霊枢 五癃津液別第三十六のみどころ
五癃津液別第三十六には「津液」に関する情報が記されている。人体における水分の分類や動きについて詳細な情報が記されている。一般的にも東洋医学の知識として、人体を構成する要素の一つとして「氣・血・水」の存在はよく知られている。
この人体における「水」を理解するためにも本篇を読みすすめてみよう。
※『霊枢講義』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
霊枢 五癃津液別第三十六
書き下し文・霊枢脹論第三十五(『甲乙経』巻一 津液五別第十三、『太素』巻二十九氣論 津液、『類経』巻十八 疾病類 58 五癃津液別)
黄帝、岐伯に問うて曰く、水穀は口に入り、腸胃に輸する、其の液は別れて五と為す。天寒く衣薄ければ則ち溺と氣と為す。天熱く衣厚ければ則ち汗と為す。悲哀の氣并すれば則ち泣と為す。中熱して胃緩すれば則ち唾と為す。邪氣内逆すれば則ち氣は之(これ)が為に閉塞して行らず、行らざれば則ち水脹を為す。
余、其の然るを知る也、其の何に由りて生ずるかを知らず、願くばその道を聞かん。
岐伯曰く、水穀は皆な口に入る、其の味に五有り、各々其の海に注ぐ。津液は各々その道に走る。故に三焦は氣を出だし、以て肌肉を温め、皮膚を充たし、其の津を為す。其の流れて行らざる者は液を為す。
天暑く衣薄ければ則ち腠理開く故に汗を出だす。寒が分肉の間に留まり、沫の聚まれば則ち痛を為す。天寒ければ則ち腠理は閉づ、氣湿は行らず、水は下り膀胱に留まるときは則ち溺と氣を為す。
五臓六腑、心は之(これ)主を為す、耳は之が聴を為し、目は之が候を為す。肺は之(これ)が相を為し、肝は之が将と為し、脾は之が衛を為し、腎は之が外を主るを為す。
故に五臓六腑の津液は、盡く上りて目に滲む。心に悲氣并するときは則ち心系は急するなり。心系は急なれば則ち肺は挙がる。肺挙がるときは則ち液は上り溢るる。夫れ心と肺は、常に挙ぐること能わず、乍(あるい)は上がり乍(あるい)は下る、故に欬して泣(なみだ)を出だす。
中熱すれば則ち胃中消穀す、消穀すれば則ち蟲は上下に作(おこ)し、腸胃は郭を充たす、故に胃は緩む。胃緩まれば則ち氣逆する、故に唾出づる。
五穀の精液は、和合して膏を為す者、内に滲みて骨空に入る、脳髄に補益して、而して陰股に下流する。
陰陽和せざれば、則ち液をして溢れ陰に下流せしむ、髄液は皆な減じ而して下る。下ること過度なるときは則ち虚する。虚する故に腰背は痛みて脛は痠する。
陰陽の氣道が通ぜざれば、四海は閉塞し、三焦は寫せず、津液は化せず、水穀は腸胃の中に并(あわさ)り、回腸に於いて別れ、下焦に留まる。
膀胱に滲むること得ざるときは、則ち下焦は脹る。
水が溢するときは、則ち水脹を為す。此れ津液五別の逆順也。
液には5種類ある
「其液別爲五」とあり、まずは人体における水分・津液の種を「溺」「汗」「泣」「唾」「水脹」に区分している。
「なぜ尿が出るのか?」「汗をかくのか?」「なぜ涙するのか」「なぜ唾液が出るのか?」「なぜ水脹(浮腫)が起こるのか?」の生理・病理について説かれている。
東洋医学を専門とし、それを生業とするならば、「自律神経のはたらきにより…」といった説明では不十分である。東洋医学には東洋医学の生理学があり、それに基づいた病理を解する必要がある。
ところで、なぜ生理学を解する必要があるのか?
改めて問うておきたい疑問・テーマである。この答は人それぞれによって異なるだろう。常にこのように自己問答をしておくべきであろう。
その基盤となる生理学から解するべき情報は、本篇・五癃津液別第三十六や口問第二十六などは理解しておくべき論篇であろう。
とくに涙に関する生理学は黄帝内経において詳しく論じられている。この点に関しても非常に興味深いものがある。『素問』解精微論第八十一や『霊枢』口問第二十八には泣涙の原理が説かれている点は注目に値する。
さて、本篇の興味深い点は上記の如く、身体における“水の動き”を東医的生理学として理解できる点が一つ。また生理学を通じて、東医的な人体器官を詳細に知ることができる点も貴重である。
本文にある「心系」という器官もまた興味深いもので「…心悲氣并、則心系急。心系急則肺挙、肺挙則液上溢。…」とあるように、心と肺を繋ぐ存在でもある。心は五臓の主である故に、心は他の四臓と繋がっていて然るべきである。その心と他の四臓を結ぶ系が心系であると解することができる。(参考記事『』…)
五臓の精は…
「五穀の精液は、和合して膏を為す者、内に滲みて骨空に入る、脳髄に補益して、而して陰股に下流する。」
この条文に関する註文には以下のように記されている。
原本では、膏は“高”の誤りである。(馬蒔は、“高”を當に“膏”に作るべしと曰う)今、正す。
『太素』、精液を津液と作する。『甲乙経』も同じなり。『太素』には“股”の字は無し。
張介賓が曰く、此れ津液之(これ)が精髓を為す也。膏は脂膏也。精液和合して膏を為し、骨空の中を填補するを以てするときは、則ち脳と為し、髄と為し、精を為し、血と為す。故に上り巓頂に至り、得て以て充実す。陰股に下流して、得え以て交通する也。
■原文
原本、膏誤髙。(馬蒔曰、髙當作膏)今、正。大素、精液作津液。甲乙經同。大素、無股字。
張介賔曰、此津液之為精髓也。膏、脂膏也。精液和合為膏、以填補於骨空之中、則為腦、為髓、為精、為血。故上至巓頂、得以充實。下流陰股、得以交通也。
五穀から得た精は和合して“膏”を為す。引用した註文のように“高”を為すという説もあるが、個人的にはどちらも通ずるように思える。いずれにせよ、精は膏となり、上は脳、骨中には髄となる。精は脳・髄を生ずるという身体観もやはり東医的なものである。
さらに「補益脳髄、而下流於陰股」という上下を交流・周流を示している点も重要な生命観である。
鍼道五経会 足立繁久
脹論第三十五 ≪ 五癃津液別第三十六 ≫ 五閲五使第三十七
原文 霊枢 五癃津液別第三十六
■原文 霊枢 五癃津液別第三十六
黄帝問於岐伯曰、水穀入於口、輸於腸胃、其液別爲五。天寒衣薄、則爲溺與氣。天熱衣厚、則爲汗。悲哀氣并、則爲泣。中熱胃緩、則爲唾。邪氣内逆、則氣爲之閉塞而不行、不行則爲水脹。
余知其然也。不知其何由生、願聞其道。
岐伯曰、水穀皆入於口、其味有五、各注其海。津液各走其道。故三焦出氣、以温肌肉、充皮膚、爲其津、其流而不行者、爲液。
天暑衣薄、則腠理開、故汗出、寒留於分肉之間、聚沫則爲痛。天寒則腠理閉、氣溼不行、水下留於膀胱、則爲溺與氣。
五藏六府、心爲之主、耳爲之聴、目爲之候。肺爲之相、肝爲之将、脾爲之衛、腎爲之主外。故五藏六府之津液、盡上滲於目。心悲氣并、則心系急。心系急則肺挙、肺挙則液上溢。夫心與肺、不能常挙、乍上乍下、故欬而泣出矣。
中熱則胃中消穀、消穀則蟲上下作。腸胃充郭、故胃緩、胃緩則氣逆、故唾出。五穀之精液、和合而為膏者、内滲入骨空、補益脳髄、而下流於陰股。陰陽不和、則使液溢下流於陰、髄液皆減而下、下過度則虚、虚故腰背痛而脛痠。陰陽氣道不通、四海閉塞、三焦不寫、津液不化、水穀并於腸胃之中、別於回腸、留於下焦、不得滲膀胱、則下焦脹。水溢、則為水脹。此津液五別之逆順也。