霊枢 平人絶穀第三十二の書き下し文と原文と

霊枢 平人絶穀第三十二のみどころ

平人絶穀篇は人の腸胃のキャパと、飢餓における限界について述べられている。
胃腑・小腸・大腸の寸法や容量についても記されている。現代解剖学的には「日本人では小彎の長さは12~15cm、大彎は42~50cmである。 容量平均は、日本人の成人の場合、男性で1407.5cc、女性で1275.0ccである。(コトバンクより)」とあり、正確な寸法比較はどなたかにお任せするとして、、、

本篇では腸胃における平と死の条件について記載されている。同様に腸胃の寸法や容量、そして死の条件は『難経』の四十二難および四十三難にも記載されている。穀物はおろか水すらも安定供給が望めない当時においては、どれくらい容量があるのか?そして何日もつのか?ということも重要な情報であったのだろう…とも想像が膨らむ内容である。

さて本篇では死の条件について記述されている点にフォーカスを当てて読んでみよう。


※『霊枢講義』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

霊枢 平人絶穀第三十二の書き下し文

霊枢 平人絶穀第三十二(『甲乙経』巻二 骨度腸度腸胃所受第七、『太素』巻十三 身度 腸度、『類經』巻四 藏象 27平人絶穀七日而死)

黄帝曰く、願くば聞かん、人の食せざること七日にして死する、何ぞ也。
伯高曰く、臣請いて其の故を言わん。
胃の大きさ一尺五寸、径五寸、長さ二尺六寸、横に屈して水穀三斗五升、其の中の穀は常に二斗留め、水は一斗五升にして満つる。
上焦は氣を泄して、其の精微を出し、慓悍滑疾。下焦は下りて諸腸を漑する。

小腸の大きさ二寸半、径は八分と分の小半、長さ三丈二尺。穀を受けること二斗四升、水は六升三合と合の大半。

廻腸は大きさ四寸、径は一寸と寸の小半、長さ二丈一尺、穀を受けること一斗、水は七升半。廣腸は大きさ八寸、径は二寸と寸の大半、長さ二尺八寸、穀を受けること九升三合八分合の一。

腸胃の長さは、凡(すべて)五丈八尺四寸、水穀を受けること九斗二升一合と合の大半。
此れ腸胃の受ける所の水穀の数也。

平人は則ち然らず。
胃満つれば則ち腸虚する、腸満つれば則ち胃虚する。
更(こもごも)虚せば更(こもごも)満つる。
故に氣は上下するを得て、五藏が安定する。血脈は和して利し、精神は乃ち居する。
故に神なるは水穀の精氣也。

故に腸胃の中、常に穀二斗、水一斗五升を留む。
故に平人は日に再び後する、後すること二升半、一日の中に五升、七日に五七三斗五升にして留まり、水穀は盡きる。
故に平人は食飲せざること七日にして死する者は、水穀の精氣、津液、皆な盡きる故也。

平人の条件いろいろ…

平人気象論は呼吸ベースの平人論、四時すなわち天地の氣に応じた平人論などが記されている。
呼吸ベースの平人論は他に『霊枢』五十営にも記されている。そして一個人の中で調和がとれていることが畢竟、天地の紀に則していることでもあるのだ、ということが五十営営気篇を通じて読み取ることができる。

他の論篇難においても同様に、各条件における平人の定義が記されている。この平人の定義を理解することは、中国医学・伝統医学を理解する上で非常に重要なことである。

本篇、平人絶穀では水穀を基にした平人論が記述されている。

水穀を基にした平人の条件

腸胃のサイズは総合して「五丈八尺四寸」である。そのサイズに見合ったキャパが「水穀を受けること九斗二升一合と合の大半」として記されている。
だからといって、実際にその分量の水穀が腸胃の中に収まっているわけではない。それが「平人則不然」である。
「更虚更満」という言葉は実に分かりやすい表現である。

具体的に言い直すと「胃満則腸虚、腸満則胃虚」ということである。
胃と腸はどちらか一方に摂取した物が入れば、どちらか一方は虚している状態がベストなのだ。
平成や令和のような飽食の時代には、むしろこの状態は難しいかもしれず、毎日三度三度の食事、それに加えて間食を欠かさない…となると絶えず“胃満而腸満、腸満而胃満”の状態に陥っている人は大多数ではないだろうか。

朝昼晩と規則正しく食事をすることが悪いことなのか?とお叱りを受けそうであるが、栄養素だけで人体をみると最もなご意見であろう。
しかし「更虚更満」という体の現象に意味がある。

更々(こもごも)虚して更々実するが故に、釣瓶(つるべ)の動きのように氣が上下する、と本篇では説いている。
氣とは動きがあってこその存在である。人体の氣の動きの中でも、特にこの上下・升降の動きは重要である。五行においては水火坎離を交流させるために、木金がその動きを担う。李東垣はこの上下升降の動きを医王湯とも称される補中益気湯に込めている。

この氣の上下・升降が保たれることで、五藏はその安定を得、脈は和して利する。その結果として精神は安寧を得るのだ、とある。
この働きをみて水穀の精氣を神と呼ばずして何と呼ぶ!?との言葉で締められている。(神についての解釈はコチラの記事「死脈を考える 5」「死脈を考える 6」を参照のこと)

また後段の「平人日再後、後二升半、一日中五升」については難経四十三難に書かれてあるように「平人日再至圊、一行二升半、日中五升」の意であろう。となると一日に二度排便しない習慣の人だと、気の升降の原動力となる「更虚更満」が体現できなくなってしまう…。

いずれにせよ、以上のようにしてみると絶穀した上で定期的な排便(5升)を7日間かけて行うことで、腸胃に保有する水穀をすべて尽くしてしまう。故に人は水穀を絶することで計算上七日にて死するということになる。

余談ながら、本文の腸胃の長さおよび容量をまとめると以下の表になる

 
26
小腸32
廻腸21
廣腸28
584

☞ 〆て腸胃の長さは計、五丈八尺四寸

 
35
小腸3032/3合
廻腸175
廣腸931/8合
9210.79166...

☞ 〆て腸胃の容量は計、九斗二升一合と合の大半

鍼道五経会 足立繁久

腸胃第三十一 ≪ 平人絶穀第三十二 ≫ 海論第三十三

原文 霊枢 平人絶穀第三十二

■原文 霊枢 平人絶穀第三十二

黄帝曰、願聞人之不食七日而死、何也。
伯高曰、臣請言其故。
胃大一尺五寸、径五寸、長二尺六寸。横屈受水穀三斗五升、其中之穀常留二斗、水一斗五升而満。
上焦泄氣、出其精微、慓悍滑疾、下焦下漑諸腸。
小腸大二寸半、径八分分之小半、長三丈二尺。受穀二斗四升、水六升三合合之大半。
廻腸大四寸、径一寸寸之小半、長二丈一尺、受穀一斗、水七升半。
廣腸大八寸、径二寸寸之大半、長二尺八寸、受穀九升三合八分合之一。
腸胃之長、凡五丈八尺四寸、受水穀九斗二升一合合之大半。此腸胃所受水穀之数也。

平人則不然、胃満則腸虚、腸満則胃虚。
更虚更満、故氣得上下、五藏安定、血脈和利、精神乃居、故神者水穀之精氣也。
故腸胃之中常留穀二斗、水一斗五升。
故平人日再後、後二升半、一日中五升、七日五七三斗五升、而留水穀盡矣。
故平人不食飲七日而死者、水穀精氣津液皆盡故也。

 

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