死脈を考える 5 胃の気と脈 -氣と精と神と脈-

鍼道五経会の足立です。

シリーズ「死脈を考える」について書くのはどうやら11ヵ月ぶりのようです。
前回の「死脈を考える4 胃の気と脈」については2017年11月に投稿しています。
死脈を考えるシリーズを復習される方はご覧ください

これまでのあらすじ・脈と呼吸と時間

さて「死脈」について考察するということは「呼吸と脈」について掘り下げていくことが一つのアプローチでした。

呼吸と脈の関係を見つめるということは「人体と時間」の関係を見つめることになります。
伝統医学は時間に対する生命観は現代以上に冷静だという印象を受けます。

そして当たり前ですが「寿命とは時間」でもあります。

くどいかもしれませんが「脈も氣の流れも時間が単位」であります。
ですから脈から寿命を推し測ることは不可能ではないとも言えるのです。

死脈を学ぶことはそのまま理想的な健康体を知ることにつながるのです。
「死を学ぶことで命を理解する」ということが死脈考の意味だと考えています。

理想的な呼吸と病的な呼吸、さらには寿命を縮める呼吸なども前回までの内容から考察できるかと思います。

このことについては死脈を考えるシリーズ1・2・3をご覧ください
死脈を考える1 脈と呼吸「難経一難」
死脈を考える2 脈と呼吸「難経八難・十一難」
死脈を考える3 脈と呼吸「難経十四難」

呼吸は生命活動を維持する上で必要不可欠の要素です。

時間・呼吸と続いて、生命活動の維持に必要不可欠なものがもう一つあります。それが食事・栄養です。

ということで今回は胃気・胃の気というキーワードから死脈を考えてみましょう。

胃気・胃の気について

まずは胃の氣のキホンから。

胃の氣と脈の関係は『素問』平人気象論に詳しいです。

『素問』平人気象論より
「平人これ常に胃に於いてその気を稟ける。
胃こそが平人の常の気なのだ。人に胃気(胃の気)が無ければそれは逆であり、逆する者は死す。…
春にみられる脈状は胃気微弦、これを平脈という。
弦脈多く胃気少ないものは肝病。
ただ弦で胃気無きは死する。…
…胃の気ありて和する者、病曰無きなり。…」
(原文の下線部に相当)

※原文は長いので文末に引用しています。

胃気(胃の気)が脈にあらわれなければ逆証であり、死証であると明確に伝えています。

人は常に気(生命力)を胃から受けている。常の気とは生命維持のことだと考えて問題ないかと思います。
恒常的に生命を維持するには、水穀の精微を胃から受けないといけません。

この水穀の精微の供給が停止した時が“死”なのです。

『霊枢』平人絶穀第三十二では「人が穀を受けなければ七日で死す。水穀の精気津液がみな尽きるからである。」といった内容も記されています。
また、難経四十三難においても「人が食飲せず七日にして死する者は…」という問答があり、霊枢の平人絶穀と同様の内容が記されています。

『素問』の平人気象論の脈状について詳しく調べるのは一旦置いておいて、
まずは胃氣(胃の氣)について調べていきましょう。

同じく『素問』の五臓別論の文から(かなり意訳ですが…)

『素問』五臓別論篇より
「黄帝いわく、脈診においてなぜ氣口だけで五臓を主り診ることができるのか?

岐伯いわく、胃とは水穀の海であり、六腑の大源です。
酸苦甘辛鹹の五味は口から入り、胃に藏され、五臓の氣を養います。
そして氣口の部位もまた太陰です。
ですから五臓六府の氣味は、すべて胃から出て、
その変化は氣口に於いて現れるのです。」
※氣口とは脈を診る寸関尺(広義の寸口)を言います。

原文・五臓別論篇第十一

『素問』五臓別論篇第十一

「帝曰、氣口何以独為五臓主。
岐伯曰、胃者水穀之海、六府之大源也。五味入口、藏於胃、以養五臓氣、氣口亦太陰也。是以五臓六府之氣味、皆出於胃、変見於氣口。」

五味は五臓を養います。その五味は口から胃に入り、五臓を養いそして氣口に出ます。
この流れに乗って五臓の氣は胃の氣と共に寸口に脈としてあらわれる。

そのため、五臓六腑の氣だけでなく胃の氣も一緒にあらわれないと、その脈は異常であるということです。

胃の氣が無ければ、五臓の脈だけ現れていても、それは死脈だと言っています。いわゆる真蔵脈ですね。

脈と胃の氣の関係がシンプルに説かれています。

同様の記述が経脈別論にあります。ここも有名な内容ですね。

『素問』経脈別論篇より

「…食氣が胃に入ると、精を肝に散じ、精を脈に淫(ひた)す。
食氣が胃に入ると、濁氣は心に帰し、精を脈に淫す。

①脈氣が経に流れて、経氣は肺に帰する。
肺は百脈を朝し、精を皮毛に輸す。
皮毛と脈、精を合して、氣を府に行らせる。

②府精、神明、四臓に留めて、氣は権衝に帰する。
権衝以って平ならば、氣口は寸を成す、以って死生を決する。

飲が胃に入りて、精氣を遊溢させ、上って脾に輸す。
脾氣、精を散じ、上りて肺に帰し、水道を通調させる。
下って膀胱に輸し、水精を四(四方)に布し、五経は並び行く。
四時、五臓、陰陽に合して揆度して以って常となす也。」
(※揆度…度をはかる、推しはかる)

と、このように胃の氣と脈診の関係を説いています。

①の脈氣が経に流れ、経氣は肺に帰する…云々は、
五臓別論の「水穀の海である胃が五臓六腑を養い、その変化は同じ太陰である氣口(広義の寸口)にあらわれる」の説につながってきます。また、難経一難の内容にも通ずる論でもあります。

ちなみに三行目の府ですが、玄府という解釈あり、氣府という解釈あり、です。
「玄府とは汗空である(所謂玄府者、汗空也)」と素問水熱穴にあります。
また、氣府とは氣があつまる所(府)であります。
いずれの説が正しいかは置いておいて、府には氣と水が流れ集まる可能性を示しています。
この氣と水(とくに目に見えない水)が集まるということが生命の維持において重要な要素だといえるでしょう。

②府精、神明と意味深な言葉がでてきました。水穀から集めた精、そして神明です。
胃氣と神の関連が説かれている文でもあります。
この胃の氣と神の関係については死脈を考えるその4その6にも書いています。

権衡(けんこう)とは釣り合い・バランスのこと
バランスや調和がとれていたら寸口脈は平脈ですよ、ということですね。

故に、脈を通じて氣・精・神そして平をみることからこそ、死生を決することが寸口脈で可能なのです。


『内経知要』李中梓(盛文堂漢方医書頒布会 発行)より引用させていただきました

なぜ脈診で病・平を診ることができるのか?
なぜ脈診で死生吉凶が判断できるのか?

このようなシンプルな疑問を持つ人は多いと思います。
(どちらかというと脈診に懐疑的な人がよく問いかけてくれますね)

しかし「そもそもなぜ?」と突き詰めていく姿勢が大事です。

〆に脈を診る意義

人間は飲食を摂取し、そこからエネルギーを得て生命活動を営む存在ですので、
胃に飲食が入り、そこからエネルギー(精)が取り込まれ、
全身に巡っていく、その過程に脈が重要な位置を占めているため
脈を詳細に診ることで、その変化を診察・診断に活用できる、ということですね。

・・・と、くどい文章になりましたが、
「東洋医学の世界における医学理論で突き詰めると、以上のことがいえる。」
といった説明能力を身に着けることは、これからの鍼灸師にとって必須の素養だと思います。

次回は「脈と神」について書こうと思います。

原文・経脈別論篇第二十一

『素問』経脈別論篇第二十一

「…食氣入胃、濁氣帰心、淫精於脈。脈氣流経、経氣帰於肺、肺朝百脈。輸精於皮毛、毛脈合精、行氣於府。府精神明、留於四臓、氣帰於権衝。権衝以平、氣口成寸、以決死生。
飲入於胃、遊溢精氣、上輸於脾、脾氣散精、上帰於肺。通調水道、下輸膀胱、水精四布、五経並行。合於四時五臓、飲用揆度以為常也。」

原文・平人気象論(一部)

「黄帝問曰、平人何如。(略)
平人之常氣稟於胃。胃者、平人之常氣也。人無胃氣曰逆。逆者死。
春胃微弦曰平。弦多胃少曰肝病。但弦無胃曰死。
胃而有毛曰秋病。毛甚曰今病。
藏真散於肝、肝藏筋膜之氣也。
有胃氣而和者、病曰無也。
人以水穀為本、故人絶水穀則死。脈無胃氣亦死。
所謂無胃氣者、但得真藏脈、不得胃氣也。
所謂脈不得胃氣者、肝不弦、腎不石也。
・・・
夫平心脈来、累累如連珠、如循琅玕、曰心平。
夏以胃氣為本。
病心脈来、喘喘連属、其中微曲曰心病。
死心脈来、前曲後居、如操帯鉤、曰心死。

平肺脈来、厭厭聶聶、如落楡莢、曰肺平。
秋以胃氣為本。
病肺脈来不上不下、如循鶏羽、曰肺病。
死肺脈来、如者之浮、如風吹毛、曰肺死。

平肝脈来、耎弱招招如掲長竿末梢、曰肝平。
春以胃氣為本。
病肝脈来、盈実而滑、如循長竿、曰肝病。
死肝脈来、急益勁、如新張弓弦、曰肝死。

平脾脈来、和柔相離、如鶏践地、曰脾平。
長夏以胃氣為本。
病脾脈来、実而盈数、如鶏挙足、曰脾病。
死脾脈来、鋭堅如烏之啄、如鳥之距、如屋之漏、如水之流、曰脾死。

平腎脈来、喘喘累累如鉤、按之而堅、曰腎平。
冬以胃氣為本。
病腎脈来、如引葛、按之益堅、曰腎病。
死腎脈来、発如奪索、辟辟如弾石、曰腎死。」

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コメント

  • […] 胃氣と神についてはコチラの記事を参照のこと。 「死脈を考える・その4」 「死脈を考える・その5」 […]

    by 胃氣『切脈一葦』⑥ | 鍼道五経会 2019年3月12日 9:30 PM

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