第18章 発黄疸是府病非経病也『瘟疫論』より

これまでのあらすじ

前章の「畜血」では血分の熱について学びました。
熱病の本体である熱邪が血分の位に侵入するか?気分に居るのか?で発症する病状はまるで違います。
血分熱か気分熱か?これは急性熱病だけでなくても、理解しておくべき鑑別法です。鍼灸師も必読の内容と言えるでしょう。

さて今回のテーマは発黄(黄疸)です。
今更ですが、黄疸は肝臓や胆管系の病気だと教わりますが、東医的には太陰湿熱の病症です。
西洋医学と東洋医学(近代医学と伝統医学)、その両者は、生理学が違うので病理学も当然異なります。

基盤が異なるため表現が変わるのは当たり前です。
「自分が知っているものと違う!」と目くじらを立てずにまずは伝統医学の基盤から理解してみましょう。
批判するのは、しっかりと味わって飲み込んで咀嚼しきってからするものです。

(写真・文章ともに四庫醫學叢書『瘟疫論』上海古籍出版社 より引用させていただきました。)

第18章 発黄疸是府病非経病也

■発黄疸是府病非経病也
疫邪、裏に傳えて熱を下焦に遣りて小便利せず。
邪、輸泄すること無く、経氣鬱滞して、それを傳えて疸と為す。身目が金の如くなる者は、茵陳湯に宜し。

(茵陳湯方)
茵陳(一銭)、山梔(二銭)、大黄(五銭)
水薑煎服す。

按ずるに茵陳は疸を治し、黄を退けるの専薬と為す。
今、病症を以て之を較るに、黄は小便不利に因る故に山梔を用いて小腸屈曲の火を除く。瘀熱既に除かれば小便自利す。
當に発黄を以て標と為し、小便不利を本と為すべし。
小便不利を論ずに及べば、病原、膀胱に在らず。乃ち胃家熱を移すに係る。
又、當に小便不利を以て標と為し、胃實を本と為すべし。
是、大黄を以て専功を為し、山梔これに次ぎ、茵陳又その次也。
設し大黄を去りて山梔、茵陳を服せば、これ本を忘れ標を治す。
効有ること鮮(すくなし)矣。

或いは茵陳五苓を用い、惟だ退黄すること能はず。小便も間(まま)亦た利すること難し。
舊くに発黄を湿熱に従う有り、陰寒に従うも有る者、これ妄りに枝節を生ずる。
学ぶ者、未だ多岐の惑有るを免れず。
夫れ傷寒、時疫、既に以って裏に傳う皆熱病なり。
萬物を熯(かわか)す者は、火に過ぎるもの莫し。
是、大熱の際燥、必ずこれに随うことを知る。
又、何の暇にて寒を生じ、湿を生ぜん。辟は氷炭の若し、豈に並處に容れんや。既にその証無し。
焉ぞその方有らん。智者、信ぜざる所。
古方、三承気の證、有り。便ち三承気に於いて茵陳山梔を加え、當に證に随いて治を施す。
方、善を盡すと為す。

「発黄をもって標とし、小便不利を本とする」
黄疸は表面的な現象・病症であり、その根本は小便不利によって湿熱が排出できないことにあります。
なので清熱除湿や利水、退黄の薬能をもつ茵陳蒿を主薬とします。

ただし、これまでの章で再三にわたって言及されていたように熱邪が本体です。
ですから「小便不利をもって標となし、胃実を本となすべし」「病原は膀胱に在らず、胃家熱を移す(膀胱に波及した)」とあるように、
(この病態における)小便不利という現象は、胃腑の熱邪が本体だと指摘しています。

なので、大横は外せないのです。もし仮に大黄を外して茵陳蒿と山梔子だけの方剤にしてしまうと、本を忘れ標を治す。
つまりただの対症療法になってしまうと戒めています。

この表面に現れる病症をみて、根本の病原をいかに見極めるか!?が診断なのです。
繰り返しますが「黄疸を鍼灸治療でいかに治療すか?」でなくても同じことが言えるのです。

ただ、当たり障りのない治療をするのか?
病原を見極めて、攻めるべきは正しく攻める!

この違いは慰安と治療の差ともいえるでしょう。

第17章【畜血】≪ 第18章【発黄疸是府病非経病也】≫ 第19章【邪在胸膈】

鍼道五経会 足立繁久

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