第47章 脉厥【瘟疫論】より

これまでのあらすじ

前回は虚実の先後、治法の先補後瀉、先瀉後補がテーマでした。
急性熱病の治療でなくとも意識しておきたい内容でしたね。

六分の補法、七分の泻法といった言葉が使われていましたが、これは普段の鍼灸治療でも補瀉を始めとする各種の診法を組み合わせていると思います。

果たして、十分の補法、泻法はいかほどか?私自身はその配分を把握しているでしょうか?
それでいて、補法、利水、通腑、行気または活血…などなどを、それぞれどの配分で、時間内に治療しているのか?
さらに臨床では、前回の治療を考慮し、次回の治療のプランを立てながら、今回の治療を組み立てるのです。

さてさて、今回も極めて実践的なお話です。

(写真・文章ともに四庫醫學叢書『瘟疫論』上海古籍出版社 より引用させていただきました。)

第47章 脉厥

脉厥

瘟疫、裏證を得て、神色敗せず、言動自如(常の如く)、別に怪證無く、忽然として六脉絲の如く微細にして軟、甚しきは無に至る。或いは両手倶に無。或いは一手先に伏す。
その人を察するに、この脉有るに應ぜず。
今、この脉有る者は、皆 應(まさ)に下すべきに下を失することに縁る。内結壅閉し、榮氣は内に逆して、四末に達すること能わず。
これ脉厥なり。
亦、多くは黄連石膏の諸寒の剤を過用し、その熱を強遏して、邪愈(いよいよ)結して脉愈(いよいよ)行かざること有り。

醫、脉微にして絶せんと欲することを見て、以為(おもえらく)陽證に陰脉を得るは不治と為すと。委ねてこれを棄する。
これを以て人を誤ること甚だ重し。
若し更に人参生脉散の輩を用いば、禍、踵を旋さず。
宜しく承気にて緩緩にこれを下すべし。
六脉自ら復せん。

瘟疫に罹患し、裏証のステージに移行したものの、望診所見も問診所見もさほどの大きな異常はみられません。

しかし、脈診情報だけが大いに異常を示します。
微細にして弱く、いまにも途切れそうな脈をしています。

これを診て『陽証に陰脈をあらわすのは逆証なり!』として誤診するケースあり…と警告しています。
しかし、この脈と症状の不一致には、からくりがあります。

下すべき実邪を処理していないため、内部に栄気が集中してしまい、四肢・末梢に伸び伸びと巡らなくなります。
その結果、脈にもそのコンディションが反映し、脈微細、欲絶のような脈証を呈するのです。

これは瘟疫・熱病だけでなくても、日常でもしばしばみられる現象です。
一度、どのようなシチュエーションで、証に反して微細伏のような脈證が現れるのか?観察してみてください。
自身の脈で再現するのも当然可能です。

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鍼道五経会 足立繁久

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