精血『博愛心鑑』下巻 その②

「魏直先生の痘毒新説編」もいよいよ佳境です。前回記事では「男女交媾」「火」「精血」が鍵となることを紹介しました。本記事では天地の理と人の理や節度の観点から火毒・痘毒について説かれているように思えます。ということで「精血」の章を読み進めていきましょう。


※『痘疹博愛心鑑』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

書き下し文・精血

精血

陽精は水穀の生化、清の尤なり。陰血は水穀の資化、濁の尤なり。その尤なるは、誠に生育の源なり。蓋し陽は寅に生じ、陰は申に生ず、俱に巳火に盛んなり。故に男子三十歳にして陽足る。女子二十歳にして陰足る。陽足れば陰に従い、陰足れば陽に従う。陽は陰に従い、陰は陽に従う。各々其の偶を私して、以て天地生育自然の理を見わす也。是れ故に男は精を以て主と為し、女は血を以て主と為す。精血の動、火に非ざれば興らず。其の性に随いて之を行えば則ち順なり。其の情を恣にし欲を肆にし、火熾にし淫生に及ぶときは則ち逆なり。男女は一陰一陽、各々其の道を盡す、乾坤易簡の理を得て、而して其の孕を成せば、則ち天地生物の節を失わず。豈に淫火の患いを骨肉に於いて遺すこと有らんや!迷いて悟らず後に悔いも何ぞ及ばん。予、此の理を知りて、謹みて四方の有道の者に告げる。鑑みよ。

精血と分離不可の火毒にも順と逆がある

魏直先生の痘疹病理の鍵となるのが「精血」と「男女交媾」と「火」であることは前章にて述べました。
本章「精血」では、精血において男女の性差を難経十九難の説を引用している点が興味深く、従来の説を打破しようとする魏先生の意気込みが強く感じられます。
天地の道理・人の摂理を説き、その上で人としての節度を弁えた営みを行えば、過剰な火・毒は蓄積は少ない(順証である)とあります。前章の「精血とと火毒とが分離不可である」の説と比べると、まだ少しっは希望が感じられる論旨となっております。

難経十九難では地支(十二支)と性差の関係を説いています。男女の性は生まれたときから寅(木)と申(金)と分かれています。十九難本文では触れられていませんが、巳位において出会います。(『難経評林』や『難経本義諺解』に記されています。)この男女が出会う巳位にて「俱盛于巳火」と表現しています。
言うまでもなく巳は五行的に火に配当されますが、本文ではこの巳火が淫火にも発展しうる可能性を示唆しています。

この儒学的な観点・儒教的な価値観を踏まえつつ、“節度を弁えると胎毒の蓄積は少ない”という姿勢は、従来の胎毒説とは少し趣きが異なる印象を受けます。観方によっては、天地の理を踏まえつつも、そこからさらに離れて人の理を主体とする生命観のようにもみえます。

鍼道五経会 足立繁久

原始 ≪ 精血 ≫ 淫火

原文 『博愛心鑑』精血

■原文 『博愛心鑑』巻下

精血

陽精者水穀生化、淸之尤也。陰血者水穀資化、濁之尤也。其尤者、誠生育之源也。葢陽生于寅、陰生於申、俱盛于巳火。故男子三十歳而陽足。女子二十歳而陰足。陽足從陰、陰足從陽。陽從陰、陰從陽。各私其偶、以見天地生育自然之理也。是故男以精爲主、女以血爲主。精血之動、非火不興。隨其性而行之則順。及其恣情肆欲、火熾淫生則逆矣。男女一陰一陽、各盡其道、得乾坤易簡之理、而成其孕、則不失天地生物之節。豈淫火遺患於骨肉哉。迷而不悟後悔何及。予知此理。謹告四方有道者鑒焉。

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