『博愛心鑑』シリーズ第5回です。個人的には前回前々回がなかなか難解できたが、本章になると、氣血や病症など具体的な表現が増えて読みやすい印象を受けますね。
ということで「氣血交会不足の図」を読み進めてみましょう。
※『痘疹博愛心鑑』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
書き下し文・氣血交会不足図
氣血交會不足圖
夫れ一身の氣血は限り有り。概(おおむね)中る所の毒火は涯(かぎ)り無し。限り有るを以て而して済んと欲れば涯り無し。則ち人の微命、其れ能く保たんや。苟しくも氣の血を制するに非ずんば、血は必ず泛濫して附かず、毒は斯(ここ)に下陥し、内攻の患い立ちどころに至らん。天地聖人至仁の心と雖も、造化を以てして之を斡旋すること能わず。況んや其の下なる者をや、謹まざるべけんや!
予、嘗て深く其の旨を究むるに、必ず當に始陥の先に於いて治を加うるを要と為すべし。図式を開明して、其の我を知る者をして補益に於いて心を用いせしむ。氣を助け血を拘て漿を成さば、則ち何を陥ることの有らんや!
氣が血中痘毒を制することの大事
本章まで来ると、これまでの章とは違い比較的わかりやすいです。前章を承けて、そのまま素直に解釈できるでしょう。
前章では造化における絶妙な陰陽消長、氣血盈虧そしてその中に含まれる血中痘毒を説いていました。この血中痘毒を制御するためには絶妙なバランスで氣血交会が行わればなりません。
「氣が血を制することができなければ、血は必ず泛濫してしまう。そうなれば毒は下陥、内攻してしまい、重篤な病態に至る。」とあるのも、前章「氣血盈虧図説」を踏まえると魏氏の言いたいことも自ずと分かることでしょう。
そして「いかなる聖人と雖も、造化においては人為的な操作によって調整すること不可能です。ましてや聖人でもない我々であればなおさらである。」だから「始陥の先に於いて治を加えることを要と為す」とあります。
そして具体的な治法としは「補益がポイントとなる。氣を助け血を制することで、痘疹に発症時に痘漿段階にスムーズに移行することができる。そうすれば、内陥する憂いも減るのだ!」と明確な指針を示しています。
この章の内容は分かりやすいため、気がつけばコピペばかりになってしまいました。
氣血交会不足図
痘変百千形状 / 医道一半の功夫
交会不足 〔血豆(血痘)氣至れども漿を成さず 氣及ばずは血に毒を載せて入りて内攻す〕
虧盈中より来たる〔陷豆(陷痘)氣至りて漿を成せども満たず 氣続かず毒を漿に化せず外に剝ぐ〕
血痘は氣の至らず、元氣の損う也。五日前は則ち血は毒を載せて泡に入り、臓腑を熾して内攻を為す。碩果の腐ちて亡うが如し。世に治すべきの理無し。陥痘する者、氣至れども満ちず、生氣の絶する也。治せず。
七日後は則ち血悖(みだれ)附かず、毒は漿に化せずして外剝を為す。桂木に膚の無きが如し。但だ氣至れば、満たされども、血附きて力有り、輔翊(ほよく)人を得れば、功一簣を九仞に於いて虧くと雖も、亦た修為を以てすべし。故に復た五陥の説に繋げて下処に於いて学者に告ぐ。當に心を斯の図に潜めば則ち自ら見るべし。
氣血交会不足となると…
本章は氣血交会不足図の解説です。
「血痘は氣の至らず、元氣の損う也。」の言葉から始まります。血痘という病態の原因は「氣不至」のため「血載毒」を制することができません。なぜ「氣不至」なのか?その原因として「元氣損」であると示しています。
本来、順証ならば氣盈血附の状態であるため、痘毒は自ずと化して漿を成して順証となります。(同書「氣血偏勝受傷圖」の漿行図より)
しかし本章では「氣血交会不足」の状態を解説していますので、氣は及ばず血中の痘毒を制することができず内攻してしまう…そんな病理ストーリーを前提に読んでいきましょう。
発症後、五六日…
痘疹(天然痘)は傷寒とは違って、発症後の日数経過で発現する症状が分かりやすい病です。
ここに記されている病理としては、痘疹発症から時間経過(本文では「五日前則」とありますが、発症後五六日と読んで良いのではと思います。)とともに「血中に潜んでいた痘毒は疱に入ります。」(本文では泡=水泡としていますが、解説文では“疱”と表記します。)
この疱に侵入した毒は(氣が制毒力を失っているため)、盛んとなり内攻して臓腑を熾きます。(ここでは熾を焼に近いニュアンスにて解釈しています)
上記の説明では少しわかりにくいかもしれませんね。痘毒が内攻するということは、内位において“氣が血中毒を制することができず”に、臓腑という内位(裏)に内攻してしまいます。その結果、体の内部へと崩壊するように病は侵攻します。
この様を「如碩果之腐亡矣」という剝卦の上爻爻辞「碩果不食」になぞらえて表現しています。剝卦象をみると、この臓腑内攻の病態はイメージしやすいですね。
このような病態になると「陥痘」となり、この後に氣が至っても満ちてこずに痘毒を発出することができません。故に「不治」となるのです。この陥痘に関しては『博愛心鑑』巻上「氣血偏勝受傷圖」の頂陥図・倒陥図に詳しい説明があります。
発症後七日前後で…
さらに七日後となれば「血悖(みだれ)て附かず(妄行する)」「痘毒は痘疹中の漿液化せず」そのため発出することができません。
この状態になれば、内の臓腑は内攻を受け、肌肉皮表には痘毒が不発状態のまま鬱滞しています。そのため外“剝”の状態になるのです。
ただし「氣が至りさえすれば、満たずとも、血は附いて(妄行せずに)制毒力が回復し、氣が輔翊(ほよく・たすけ)を得れば、起死回生の好機をつかむことができるのです。
「功一簣を九仞に於いて虧くと雖も、亦た修為を以てすべし。」とは、最後のツメが甘く台無し(難治)になったとしても、まだ起死回生の僅かな機を手放さずに“修為”を以て治すべしということでしょう。
ちなみに「九仞の功を一簣に虧く」という言葉は、『書経』旅獒「為山九仞、功虧一簣」を出典とします。
また「修為」という言葉は『大学問』(王陽明)に登場する言葉のようです。他にも調べると修為は仏教用語でもあるようです(詳細は不明ですが…)。
ちなみにネット検索では「修為=伊藤仁斎」と出てくるのですが、『博愛心鑑』の頃にはまだ伊藤仁斎(1627-1705年)は生まれていません。また時代でみるならば『大学問』成立は1524年、『博愛心鑑』は1525年とほぼ同年成立なので、王陽明『大学問』の影響を直接的に受けたかどうかは甚だ不明ですが…。
いずれにせよ『易経』『書経』そして陽明学からの知識を散りばめた本書から、魏直の碩学ぶりが伺い知れるのであります。
鍼道五経会 足立繁久
原文 『博愛心鑑』氣血交會不足圖
■原文 『博愛心鑑』 氣血交會不足圖
氣血交會不足圖
夫一身之氣血有限。慨(※1)所中之毒火無涯、以有限而欲濟無涯、則人之微命其能保乎。苟非氣之制血、血必泛濫不附、毒斯下陷、内攻之患立至矣。雖天地聖人至仁之心、不能以大造化而斡旋之。況其下者可不謹耶。
予嘗㴱究其旨、必當加治于始陷之先爲要。開明圖式、俾其知我者用心於補益。助氣拘血成漿、則何陷之有哉。
※1:慨當作概
氣血交會不足圖
痘變百千形状/毉道一半功夫
交會不足〔血豆(血痘)氣至不成漿 氣不及血載毒入内攻〕
虧盈中來〔陷豆(陷痘)氣至成漿不滿 氣不續毒不化漿外剝〕
血痘者氣不至、元氣損也。五日前則血載毒入泡(※1)熾臓腑爲内攻、如碩果之腐兦矣。世無可治之理。陷痘者氣至不滿、生氣絶也、不治。七日後則血悖不附。毒不化漿爲外剝、如桂木無膚矣。但氣至不滿、血附有力。輔翊得人、雖功虧一簣于九仞、亦可以修爲。故復繫五陷之説於下處告學者。當潛心于斯圖、則自見矣。
※1:泡當作炮とあるが疱の方がよさそうである。