衛気と営気のトリセツ

どこまで氣を理解できているか?

またまた「考えるな!感じろ!(Don’t think. Feel!)」(by ブルース・リー)の言葉に反する記事です。

前回の記事「イラストでみる鍼灸師のタイプ別」で衛気タイプや営気タイプといった分類を提唱しました。
とはいえ、“氣”という言葉や概念を何気なく使っていることが多いものです。

気の専門家(のはず)の鍼灸師ですら、衛気と営気の違いを把握せずにいるケースも少なくありません。

『気ってナニ?』そもそもこの問いに対する答え・定義すらも不明瞭なものです。

ここでは前提として「気とは有名無形」すなわち「名前は有るが形の無い存在」。これを気の定義とします。
目に見えないもの・形がないもの・変化が早いものを“気”とし、東洋医学では人体においてその気が生命の営みを主るのです。

しかし、見えないナニカが気としても、その気にもいくつかの分類があります。
本記事のテーマは衛気と営気の分類について書こうと思います。

衛気のトリセツ・その性質

結論から言うと、衛気の性質は動きが早く、脈外を行く性質を持ちます。

衛気の性質を端的に表している言葉が『素問』痹論篇第四十三にあります。
それは「水穀の悍気」であり「剽疾滑利」という言葉。

悍気とは荒々しく猛々しい気ということであり、剽疾とは動きが早いこと。
『霊枢』にも同様の意味で「剽悍滑疾」(営衛生会篇第十八)という表現が使われています。

イメージするならば、風林火山における風と火「疾(はや)きこと風の如く…侵掠(しんりゃく)すること火の如く…」といったところでしょうか。
異変に対して即座に対応し、外敵には猛々しく戦う、正邪相争という現象を起こすのは、この衛気の性質によるものです。

以上の性質をみれば、衛気が陰陽どちらの性質を色濃く有しているかは一目瞭然です。

営気のトリセツ・その性質

一方、営気の性質は衛気に比べて穏やかで、脈内を行(めぐ)ります。

営気の性質も『素問』痹論篇第四十三にあります。
「水穀の精氣」という言葉は営気の役割をよく表しています。

水穀の精(精微)は『素問』に登場します。

「人は水穀を以て本と為す。故に人は水穀が絶すれば死す。脈に胃気無きもまた死す。」

人以水穀為本、故人絶水穀則死。脈無胃氣亦死。
『素問』平人気象論第十八

水穀の精が生命の根本である。いわゆる後天の元氣として知られている話です。

なぜ人は飲食を必要とするのか?
当たり前の話ですが、飲食(水穀)を摂取することでエネルギーを産生します。それが後天の氣というものです。
営気は水穀の精として生命活動を営むための重要な要素として働くのです。

この水穀と氣と脈の関係は『素問』『霊枢』『難経』の随所に明示されている生理学です。
五臓別論、脈要精微論、経脈別論、営気篇、営衛生会篇、難経三十難など、他の論・篇・難と合わせて読むと理解しやすいと思います。

しかしここで強調したい点は「営気は“規則性”を持つ」という点です。
この点、臨床家として理解しておくべきことです。なぜなら営気の性質は、診法や鍼法に直結する要素なのです。

衛気と営気のトリセツ・脈との関係

氣と脈の関係は鍼灸師にとって非常に重要です。
「衛気は脈に入ること能わざるなり」そして「営気は脈に入ること能うなり」と『素問』痹論篇にあります。

これは『霊枢』にもある概念で「営在脈中、衛在脈外」(営衛生会第十八)即ち、衛気は脈外にある気、営気は脈内を行く気として定義されています。

以下に引用する『霊枢』営気第十六のフレーズは、前述の営気の特徴のひとつ“規則性”のみならず、経脈の特徴「如環無端」、根本的な思想「天人相応」を想起させる記述だと思います。

「水穀が胃に入れば、すなわち肺に伝わる。中に流溢し、外に布散す。精専なる者は経隧を行りて常に営して已(や)むことが無い。終わりてまた始まる。これを天地の紀と謂うのだ。」

穀入於胃、乃傳之肺、流溢於中、布散於外。精専者、行於経隧、常営無已、終而復始、是謂天地之紀。
『霊枢』営気第十六

この気と脈との関係は、鍼灸師にとっては非常に重要です。
「脈をどのように理解するのか?」によって臨床のにおける鍼治の質がガラリと変わるでしょう。

衛気と営気の守備範囲と機能

衛気に関する『素問』痹論篇の記述を引用しましょう。

衛氣は水穀の悍氣なり。
その氣、剽疾滑利、脈に入ること能わざるなり。
故に皮膚の中、分肉の間を循り、肓膜を熏じ、胸膜に散ずる。岐伯曰、衛氣者、水穀之悍氣也。其氣剽疾滑利、不能入於脈也。故循皮膚之中、分肉之間、熏於肓膜、散於胸腹。
『素問』痹論篇第四十三より

衛気の性質は剽悍であり、滑利である。そのため脈の中には納まらず脈外を行(めぐ)ります。衛気タイプの鍼灸師は、この衛気の性質を利用して治療しているのです。

臨床家は衛気の性質だけでなく、その守備範囲を把握しておく必要があります。
守備範囲(層)を示す言葉が「皮膚の中、分肉の間を循る」です。衛気タイプの鍼灸師が、浅い鍼や刺さない鍼を用いるのはこの前提によります。

また「肓膜を熏じ、胸膜に散ずる」という言葉は、守備範囲とも役割とも解釈できる言葉です。衛気を対象とする鍼を行う人は当然把握しておくべき情報でしょう。

営気に関する記述は比較的イメージしやすい内容だと思います。

営氣は水穀の精氣なり。
五臓に於いて和し調え、六府に於いては陳を灑す
すなわち脈に入ること能うなり。
故に脈の上下を循り、五臓を貫き、六府に絡うなり。岐伯曰、営者、水穀之精氣也。和調於五臓、灑陳於六府、乃能入於脈也。
故循脈上下、貫五臓、絡六府也。
『素問』痹論篇第四十三より

その守備範囲は「脈の上下を循り、五臓を貫き、六府に絡う」
多くの鍼灸師が経脈を調え、経穴・経脈を介して臓腑に対する治療ができるのはこの前提によります。

もちろん衛気と営気はその性質や領分を違えども、互いに相い随うものであります(難経三十難)。ですから衛気に働きかければ営気にも影響し、逆もまた然りです。

衛気に働きかける鍼灸を行う際、どのような治療イメージを描いているのか?
営気に働きかける鍼灸を行う際、どのような治療イメージを構築しているか?
が、氣に対する鍼灸において重要な要素となるのです。

分かる人は一を以て十を知る

さて、以上のように衛気と営気について概略的にまとめましたが、この内容であれば臨床現場で“気”を活用している先生なら「既に知っている話」であり「響く話」でもあると思います。
反対に「この話のどこにポイントが?」と思う方は、“気”を治療に使わないタイプか、反対に相当なレベルにある御方ではないかと思います。

ちなみに気が分かる人は「一を以て十を知る」タイプが多いように思います。
気の動きが早いため、頭の回転も速いでしょうか、クドクド1から10まで話すことをむしろ嫌います。

ですが、敢えて1から7~8くらいまでを補足として書くとしましょう。

繰り返しますが、衛気と営気の領域・層は異なります。

となると、鍼法も診法もそれに合わせる必要があります。
最も分かりやすいのは「毫鍼を使うか否か」ですね。毫鍼を使うのか、鍉鍼を使うのか。毫鍼であっても鍼の番手、刺鍼深度、そして鍼の本数といった、いわゆる鍼刺激の方法・内容です。
いわゆるドーゼというものは条件によって大いに変動する要素です。刺激量というよりも刺激の質としてとらえる方が“気”を扱う鍼灸師には向いているでしょう。

そして、鍼の種類や刺鍼深度が変わるということは、治療の対象とする層が変わることを意味します。
となると、衛気か営気、どちらにアプローチするかで鍼治による体の動き(反応)が大きく異なるのです。もちろん、両者の違いに正否はありません。術者の得意技として片づけられる話です。

大事なのはこの先です。

治療対象の層やベクトルが異なるということは、その対象に関する情報収集=診察法が異なります。
違ってくるのは診法だけではありません。患者さんとの距離感・姿勢・振る舞い・声質・空間や時間の使い方…など、扱う気によって術者の行動や治療空間を変える必要があるのです。

もうこの際、1から9まで言ってしまいましょう。

治法に適した診法を使うことができなければ、それは治療体系として不備があるということです。というよりも、そのような診療スタイルは臨床では機能しません。

診法と鍼法には一貫した理があります。その理は生命観であり生理学であります。この技術のバックボーンとなる理を術理といいます。
当会では、テクニックとしての鍼の技術を磨くよりも、この術理の理解に力を注いでいます。

ですので、鍼の打ち方や経穴の使い方に関して細かく指導することはありません。
それよりも大事なのは人の心身と氣を鍼・お灸の関係をどのように理解するかです。このように考えて鍼灸医学の理解と工夫に努めています。

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