補瀉を考える・3 大きい補瀉と小さい補瀉

鍼道五経会の足立です。シリーズ補瀉を考える…第3回です。

瀉の重要性を考え直す

瀉法の重要性は第1回「補は瀉の補助、瀉は補の結果」)でも紹介しました。体質改善には瀉がカギとなる…という考え方です。なぜなら病・症状の原因は実邪と見ると、それを取り除かないと根本的な解決にはならないからと考えるからです。

また、この考えが今回のテーマである補瀉の大小を理解する入口にもなります。

ではなぜこのような考えを持つようになったのか?
第3回はその経緯を鍼灸と漢方(湯液)の対比を交えて書いてみようと思います。

鍼灸と漢方との共通点・・・補瀉

私の中では鍼灸を理解するにあたって、漢方(湯液)医学を学んだことが大きかったと言えます。
漢方(湯液)と鍼灸には大きな違いと共通点があります。

まず鍼灸と漢方の共通点は、両者ともに補瀉があること。

同じ東洋医学という土俵にある医学ですから(細かな設定の違いはあれども)人体観・病理観の共通性は大きいです。

その上で鍼灸・漢方ともに補瀉という共通した治療概念があるのは、お互いの医学・治療を理解するヒントとなります。本当にありがたいことです。

鍼灸と漢方の違い・・・補法

鍼灸と漢方、両者の違いは補瀉にあります。

第2回でも書きましたが、漢方で使われる補法は鍼灸に比べて大きな補法だと言えます。なにしろ実際に物(有形のモノ)としてお薬を服用・摂取するわけですから。

胃の腑に摂り込んで薬力・薬気を全身にまたは目標となる部位に到達させる。その結果、氣・水・血・精を益す…これが湯液における補法だと理解しています。

有形の物を摂取するので、同じ有形の水・血を補うことに向いているのではないでしょうか(もちろん気を動かすことも可能でしょうが)。ここでは、この補法を便宜上“大きい補法”とします。

これに対し、鍼の補法は無形の補法です。

この種の補法については第2回「鍼に瀉有りて補無し」のときにも書きましたが、鍼の補は不足している部位(経脈・経穴)に気を引っ張ってくる補法であり、何を足す・モノを追加する補である要素は少ないです。

鍼により氣を集める。さらに集めた氣を介して水・血を集める、益す、行(めぐ)らす…というように“氣を媒介とした補法”です。

鍼で直接に血を補うわけではありません。ですから大きい補法に対して便宜上“小さい補法”とします。

鍼灸と漢方の違い・・・瀉法

補法に対して瀉法はさらに両者の違いが分かりやすいです。

それは“身体から邪を追い出すか否か”という点です。

この方法では漢方医学における“汗・吐・下”がその最たるものでしょう。

発汗法・吐法・下法…これに滲法(利尿法)を加え、実際に汗・嘔吐・便・尿という形で、邪を体外に排除します。わかりやすいですね。
ですからここでは“大きい瀉法”と呼ぶことにします。

では対する“小さな瀉法”とはどのような瀉法でしょうか?

もちろん全ての鍼灸がそうだとは言いませんが、鍼灸における瀉法は、「経穴の実を瀉する」「経脈の実を瀉する」「実すればその子を瀉す」…といったふうに瀉法の出口が見えてきません。

一見、実邪を瀉して取り除くという表現なので同じように見えるかもしれませんが、経穴・経脈の実を瀉したところで“身体の外には出てません”。

漠然と邪を動かしているものの、明確な治療のゴール・邪の追い出し口が見えてないのです。

極端に表現すると、経穴・経脈の実を瀉した結果、経脈の行(めぐ)りが良くなっただけ…ということは十分に起こるかと考えます。

もちろん、経脈の行(めぐ)りが良くなることは悪いことではありません。良いことです。
ですから“小さな瀉法”と呼びます。
しかし、小さな瀉法はつまるところ「行気」とも言えます。

もちろん経気を行(めぐ)らせた結果、表気や腑の動きが活発になり、汗・吐・下が起こることはよく起こることです。

しかし問題とするのは「汗・吐・下を目的として鍼するのか?」「氣を行(めぐ)らせるための鍼なのか?」と、このように明確な治療方針が術者にあるのかどうか?という点だと思うのです。

大きな瀉法は元々から鍼灸に存在した

とはいっても本来、鍼灸にも“大きい瀉法”は在りました。いえ、今も鍼灸でも大きい瀉を使う先生もおられます。

鍼や灸を用い、経穴に施すことで汗・吐・下という現象は人体に起こります。便秘を改善するツボや尿の出を良くするツボ…などは学校でも習ったことがあると思います。

繰り返しますが、鍼や灸によって発汗させることも嘔吐させることも尿便の出を良くすることも可能なのです。

嘔吐させることは一般の鍼灸院では抵抗があるでしょうが、発汗や便尿を促すことは全く問題ないかと思います。

それによって、痛み・腫れ・痺れ・だるさ・眩暈・浮腫…といった症状も緩解します(もちろん病理に則して治療する必要はあります)。

ただこのことを知らない鍼灸学生、知っていても治療に使わない鍼灸師が多いため、鍼灸の瀉法に大小の違いがあることを忘れてしまうのです。このようなことを弁えて鍼灸を行うと治療の幅はもっと広がると思うのです。

最後に、新刊十四経絡発揮序から一説を引用します。
この文には、鍼灸の効果・扱い方について触れられています。

「医の治病、一迎一随、一補一瀉、一汗一下、一宜一導、凡そその和平を取る所以の者も、亦これの若きのみ。
しかるに経絡を構わずに置くべけんや。」


一迎一随とは、経脈の順逆に応じた補瀉。一補一瀉とは、虚を実させ、実を虚させる。
一汗一下とは、邪が表にあれば発汗させ、裏にあれば下し去る。
一宜一導とは、宜は吐法で、導は小便通利・利尿の法であると『十四経発揮和語鈔』では解釈されています。

つまりは鍼灸では、経絡の迎随(小さな補瀉)、汗下宜導(大きな補瀉)を行うことができるのです。
そしてその大小の補瀉を使い分けることで自在に治療を組み立てることができます。

そうなると病理が必要であることも分かってきます。

病理の必要性を理解すると「便秘にはこのツボ」「浮腫みにはこのツボ」…といった安易なツボ処方を覚えようとする鍼灸学生さんも減るのではないでしょうか?

鍼灸を医学として学び、考え、理解することは本当に大事でありますし、実際には楽しいことでもあります。

 

 

おすすめ記事

  • Pocket
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す




Menu

HOME

TOP