『中医臨床』に「易水派の治療について-羅天益が記した灸薬併治-」を寄稿

「易水派の治療」に焦点を当てる

『中医臨床』6月号に「易水派の治療について」と題して寄稿しました。

前回までは金元時代の医家たち、とくに易水派と呼ばれる医家にフォーカスを当てて論考を提出してきました。
張元素・張璧(雲岐子)・李東垣・王好古・羅天益です。前回は羅天益の灸法から、彼が李東垣から継承した医学についてを主に紹介しました。

今回の論考では、羅天益の医案(症例)をいくつかピックアップして、彼の治療の根底にある身体観を解説しています。

羅天益の医案からわかる鍼灸医学

羅天益が『衛生宝鑑』には多くの医案を残しています。その中でも鍼灸と湯液の併用治療を行っている症例としては以下のように挙げることができます。

「風中臓治験」「驚癇治験」「癧風刺并治験」「舎時従証」「胃脘当心而痛治験」「陰陽皆虚灸之所宜」「結陰便血治験」「熱入血室証治并方」「䐜脹治験」「疝気治験」「胻寒治験」「上熱下寒治験」

これら中から、易水派鍼法灸法の特徴がみられる症例をさらに厳選して紹介したのが、「易水派の治療について」です。彼の症例を丁寧に読み、比較することで、羅天益が如何にして経穴・経絡の使いこなしていたかが分かることでしょう。本稿ではとくに灸薬併治に関する医案を紹介しています。

もちろん現代の鍼灸師も大いに学ぶべき症例だといえます。

羅天益の医案からわかる歴史

羅天益が『衛生宝鑑』に記した医案は主に1254年以降のものであり、そのころ彼は元(モンゴル帝国)の軍医として活動していました。とくに四代皇帝となったモンケ・カアンの大理国南征に従軍していたようで、中国南方に起こる特有の病症に対して治療を行っていた記録が散見されます。

中国大陸の南部特有の気候は唐代の詩人、杜甫も詩に「江南瘴癘地」と詠んだほど、彼の地の気候は健康を害しやすいものでした。北方出身のモンゴル軍の軍人たちは病に罹ることもしばしばで、羅天益はその医術を駆使して治療にあたっています。

とくに羅天益の医案に記される患者にはとりわけ大物が多いのが印象的でした。

本稿の医案にも採り上げた廉台王(おそらく廉希憲)は、ケシクと呼ばれる部隊(親衛隊)に所属する軍人です。
他にも征南元帥(いわば南方軍司令官か)である不憐吉歹(ブリルギテイ)、征南副帥(南方軍副司令官か)忒木児(テムデイ)といった人物は史書(『元史』『国朝名臣事略』など)にも登場する人物たちです。
このような大物軍人たちの治療あたる医家といえば、日本では曲直瀬道三・玄朔が思い浮かびます。

…と、このように歴史の視点からみても、彼の医案はなかなかに面白く、医学的な視点だけでなく歴史的な視点からも伝統医学の魅力を感じていただきたいと思いながら執筆した次第です。もし興味がわいた方は『中医臨床』(172号 vol.44-No.2)をお買い求めください。

鍼道五経会 足立繁久

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