『中医臨床』に「易水派の鍼法について ー雲岐子から羅天益までー」を寄稿

「易水派の医家たち」を知っていますか?

『中医臨床』3月号に「易水派の鍼法について」と題して寄稿しました。

最近は李東垣の医学を機に金元医学に焦点を当てて論考執筆していました。金元医学といえば、劉完素・張従正・李東垣・朱丹渓の四大家が有名です。ですがこの四人の医家たちを知るだけでは金元医学を語ることはできません。
この時代に端の発する医学の系譜に易水派と呼ばれる一派があります。

この易水派に名を連ねる医家として、張元素・張璧(雲岐子)・李東垣・王好古・羅天益らがいます。さらに後代の医家たちには李中梓・趙献可・薛己・張景岳たちが挙げられるようです。

さて今回の記事でフォーカスを当てたのは張璧(雲岐子)・李東垣・王好古・羅天益の鍼法・治病観です。

張璧(雲岐子)という医家について

張璧(雲岐子)は張元素(張潔古)の子にあたる人物です。張元素は金元四大家に名を連ねてはいませんが、やはりこの時代の有名な医家。あえて今風に譬えるのなら、彼は劉完素のライバルにして朋友…そんな間柄といえるでしょうか。

その張元素の子が張璧(雲岐子)になります。雲岐子の名は『雲岐子論経絡迎随補瀉法』という鍼術書の中に見ることができます。そして同書『雲岐子論経絡迎随補瀉法』の中には「王海蔵拨原例(海蔵拨原法)」もまた収録されてもいます。(雲岐子と王海蔵の関係について後述します)

この『雲岐子論経絡迎随補瀉法』にはいくつかの鍼法が系統立てて記されており、現代の鍼灸師も大いに学ぶべき鍼術書の一つといえるでしょう。

王好古(王海蔵)という医家について

王好古(王海蔵)は前回の論考の主人公でもあります。
王好古ははじめ張元素に師事していました。しかし張元素の死後は李東垣に師事したと言われています。李東垣もまた張元素の弟子であり、王好古にとっては李東垣は兄弟子にあたるわけです。ちなみに真柳先生の論文では王好古は張元素・張璧・李東垣から教えを受けています。(【『湯液本草』『此事難知』解題】を参照のこと)

以上のように王好古(王海蔵)と張璧(雲岐子)との関係は浅からぬものがあり、『雲岐子論経絡迎随補瀉法』の中に同門の王海蔵鍼法が収録されている点も不思議ではないといえます。

羅天益という医家について

羅天益は李東垣の弟子にあたる医家です。彼の書としては『衛生宝鑑』がよく知れられています。
王好古と同様に随分と李東垣を敬服していたようで、李東垣をはじめ易水派の医学(生命観・治病観)を熱心に学び、継承していた節が『衛生宝鑑』から読み取ることができます。

…と、このような流れで『易水派の鍼法』の論考を提出しています。もし興味がわいた方は『中医臨床』(172号 vol.44-No.1)をお買い求めください。

鍼道五経会 足立繁久

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