難経二難の書き下し文と原文と…

難経二難のみどころ

前の一難ではまず大きく生命観を提示した難だと言えます。(広義の)寸口脈で死生吉凶を観るということは、生命そのものを脈診の対象とすることだと言い換えることができるでしょう。

続く二難では(広義の)寸口脈を関を境として陰陽に区分します。これも言い換えると、生命を陰陽の観点から分け、診察ひいては診断に活用しようとする意気込みの表われといえるでしょう。


※『難経経釈』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

難経二難の書き下し

書き下し文・二難

二難に曰く、脈に尺寸有りとは何の謂い也?

然り。
尺寸は脈の大要會也。
関より尺に至る、是れ尺内、陰の治める所也。
関より魚際に至る、是れ寸内、陽の治める所也。

故に寸を分けて尺と為し、尺を分けて寸と為す。
故に陰は尺内一寸を得、陽は寸内九分を得る。
尺寸は終始一寸九分。故に尺寸と曰う也。

脈の大会と脈の大要会との違い

一難でも登場した「(広義の)寸口は脈の大会」という言葉が、二難では「脈の大要会」とバージョンアップした表現を採られています。
一難の寸口が脈の大会であるに対し、本難の「尺寸は脈の大要会」とある言葉は、陰陽の交差が“要”であることを示しています。

寸と尺に分けることで関上が生まれる

寸口・関上・尺中の設定に関して、疑問を持つことは今日ではまずありません。
しかし手首の脈を三部に分けることは測定の上でも、陰陽論に於いても非常に重要なことだったのです。

楊氏は『難経集註』にて以下のように註しています。

……寸関尺の三位、諸家の撰ずる所、多くは同じくすること能わず。故に備えて之を論ず、以て其の正を顕わす。
按ずるに、皇甫士安の脈訣には、以て掌後三指を三部と為し、一指の下を六分と為し、三部凡せて一寸八分とす。
華佗脈訣に云う、寸尺の位を各八分、関の位を三分、合して一寸九分とす。
王叔和の脈訣に云う、三部の位、輙ち相い去ること一寸、合して三寸と為す。
諸経は此の如く差異なれば則ち後の学者の疑惑彌(いよいよ)深し。…

■原文
……寸関尺三位、諸家所撰、多不能同。故備?而論之、以顕其正。按皇甫士安脈訣、以掌後三指為三部、一指之下為六分、三部凡一寸八分。華佗脈訣云、寸尺位各八分、関位三分、合一寸九分。王叔和脈訣云、三部之位、輙相去一寸合為三寸。諸経如此差異則後之学者、疑惑彌深。…

(『難経集註』については早稲田大学図書館古典籍総合データベース『王翰林集註黄帝八十一難経』をご覧ください)

また時代は異なりますが、日本の曲直瀬道三が『脈論口訣』には以下のように寸尺について記しています。

【寸関尺の事】

脉処三部に定めることは、秦越人より始まる事也。
人の手肘のおれかがみの横筋より、腕くびの内の横文まで一尺と定めて、
是を十に分けて、肘の方より九分取りて是を尺と云う。
又、腕の方に一寸残る。是を又、十に分けて、
魚際の方より十の一つ分を一寸と云いて、是を寸口と名づく。
或説に肘より腕まで一尺一寸と定めて肘より一尺とりて、是を尺澤と云うことあり。用いるべからず。
一尺に定めて十に分けて九分を尺澤と云う、
残る一寸を又、十に分け、此の内 九歩を寸の内の尺と云う。
尺と寸との正中を関と云う。是、掌後の高骨也。

(『脈論口訣』については早稲田大学図書館古典籍総合データベース『新鐫増補脉論口訣』をご覧ください)

以上のように寸関尺の寸法定義には諸説あるとしています。
関上部分は高骨(橈骨茎状突起)でとる、と習っただけに『関上の設定にも色々な説と歴史があったんだな~…』と驚きと感動を覚えます。

関上の設定と定義に関しては、個人的には納得できる説として江戸期の岡本一抱氏の図解を紹介したいと思います。彼が記した『難経本義諺解』のこの図の寸関尺の定義が分かりやすいです。

関上は陰陽氣交の位


画像は『難経本義諺解』(発行 東方会 小野文恵)より引用させていただきました。

図中にある註を以下に一部抜粋しましょう。

【関格覆溢之図】

此れ尺の位一寸を得て、尺と寸の間を関と為す。関とは陰陽氣交の位也。…

此れ関位は尺内三分、寸内三分を得て、尺陰寸陽の交わる所なり。
寸尺の太過不及は関に於いて之を定む。故に此の図、関圍を以て笮(せばく)為す。学者、関の図位笮(せばき)に於いて深く考えば、太過不及覆溢の義に明らかなるべし。関位を寸陽に奪わるる者は覆なり。関位を尺陰に奪わるる者を溢とす。

此れ寸の位九分を得て、寸と尺との間を関と為す。陰陽氣交の位也。…

以上のように、寸口九分、尺内一寸(十分)ですが、寸尺それぞれから三分ずつ拝借して関上を設けます。そうすることで、寸口九分、尺内一寸、関上六分、寸尺合わせて一寸九分となるのです。

この「関上は陰陽氣交の位」という岡本氏の言葉は大いに賛同できるものであります。そして陰陽氣交の意を体現するには、上記の「寸三分尺三分をとり関六分を設ける」という主旨には『なるほど…』と思わず唸らされてしまった次第です。

本二難では生命(太極)を陰陽に分類しながらも、陰と陽の間を提示するという意気込みを感じます。これは「…一は二を生じ、二は三を生じ、三は萬物を生ずる」(『老子』)という言葉にも通ずると感じるのは私だけでしょうか。

寸尺が脈の大要会ということ

寸口が九分、尺が一寸(十分)というのはそれぞれが奇数と偶数、すなわち陽と陰であることを示唆しています。
まとめますと・・・
寸口が九分・奇数(陽数)である故に陽の治める所である。
尺中が十分・偶数(陰数)である故に陰の治める所である。

故に(広義の)寸口をただ二つに区分するのではなく陰陽に分けるという点に大きな意味を持たせているといえるでしょう。

また岡本一抱の説を採用すると、寸三分尺三分を取り六分とすることは「陽数+陽数=陰数」となり陰陽氣交を示すと考えるのは言葉遊び、数遊びが過ぎるでしょうか…。

鍼道五経会 足立繁久

難経一難 ≪ 難経二難 ≫ 難経三難

原文 難経二難

■原文 難経二難

二難曰、脉有尺寸何謂也。

然。
尺寸者、脉之大要會也。
従関至尺、是尺内陰之所治也。
従関至魚際、是寸内陽之所治也。

故分寸為尺、分尺為寸。
故陰得尺内一寸、陽得寸内九分。
尺寸終始一寸九分。故曰尺寸也。

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