四時の脈を学ぶ-難経十五難-

十五難は四時の脈

四時とは四季、春夏秋冬をいいます。四季折々に応じた脈状がある。というのは鍼灸学校でも習うかと思います。
春には春の脈、夏には夏の脈、秋には秋の脈、冬には冬の脈…。
この四時の脈は『素問』平人気象論にも詳しいです。

このように季節によって脈が変わるってホント!?と思う人もいるかもしれません。

では見かたを変えてみましょう。
人体にはバイオリズムがあります。
このバイオリズムは、季節の動きに応じて体を順応させるための機能です。

季節の変化、すなわち環境の変化に対応できている身体は平。
つまり健康なのです。
環境の変化に対応できていないといことが病の状態といえるのです。
その指標となるのが脈である…と考えると、さほど摩訶不思議な話ではありません。

では、四時(四季)の変化に体を対応させている根源的なチカラ(機能・生命力)とは何でしょう?
難経十五難では、そこまで触れています。
では本文を読んでみましょう。


『難経本義』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。

書き下し文 難経十五難

書き下し文・難経十五難

十五難に曰く、経に言う、春の脈は弦、夏の脈は鈎、秋の脈は毛、冬の脈は石。
これ王脈なるか、将に病脈なるか?

然り。
弦・鈎・毛・石なる者は、四時の脈也。

春の脈、弦とは、肝は東方にして木也。
萬物の始生となる。
未だ枝葉は有らず。
故にその脈の来たるは、濡弱にして長。
故に弦と曰う。

夏の脈、鈎とは、心は南方にして火也。
萬物の盛大なる所。
枝は垂れ葉は布きて、みな下に曲りて鈎の如し。
故にその脈の来たること疾く去ること遅し。
故に鈎と曰う。

秋の脈、毛とは、肺は西方にして金也。
萬物の終わる所。
草木の華や葉は、みな秋にして落ちる。その枝のみ独り在りて、毫毛の若き也。
その脈の来たること軽虚にして以って浮。
故に毛と曰う。

冬の脈、石とは、腎は北方にして水也。
萬物の藏する所也。
盛冬の時、水は凝りて石の如し。
故にその脈の来るや、沈濡にして滑。
故に石と曰う。
これ四時の脈也。

もし変の有らば奈何?

然り。
春の脈弦、反する者を病と為す。

何を反すると謂うか?

然り。
その気、来たること實にして強。これを大過と謂う。病は外に在る。
氣、来たること虚にして微。これを不及と謂う。病は内に在る。
氣、来たること厭厭聶聶、楡葉を循るが如しを平と曰う。
益々實にして滑、長竿を循るが如しを病と曰う。
急にして勁、益々強く、新たに張りたる弓弦の如しを死と曰う。
春の脈の微弦なるを平と曰う。
弦多く胃氣少なきを病と曰う。
但だ弦にして胃氣無きを死と曰う。
春は胃氣を以て本と為す。

夏の脈鈎、反する者を病と為す、何を反すると謂うか?

然り。
その氣、来たること實にして強、これを大過と謂う。病は外に在る。
氣来たること虚にして微、これを不及と謂う。病は内に在る。
その脈来たること累累とし環の如く、琅玕を循るが如しを平と曰う。
来ること益々数、雞の足を挙げるが如き者を病と曰う。
前に曲して後に居り、帯鈎を操るが如しを死と曰う。
夏の脈は微鈎を平と曰う。
鈎多く胃氣少なきを病と曰う。
但だ鈎にして胃氣無きを死と曰う。
夏は胃氣を以て本と為す。

秋の脈は微毛。反する者を病と為す、何を反と謂うか?

然り。
氣来たること實強、これを大過と謂う、病は外に在り。
氣来たること虚微、これを不及と謂う、病は内に在り。
その脈来たること藹藹として車蓋の如し、これを按じて益々大なるを平と曰う。
上らず下らず、雞羽を循るが如しを病と曰う。
これを按じて消索として、風が毛を吹くが如しを死と曰う。
秋の脈は微毛を平と為す。
毛多く胃氣少なきを病と曰う。
但だ毛にして胃氣無きを死と曰う。
秋は胃氣を以て本と為す。

冬の脈は石。反する者を病と為す、何を反と謂うか?

然り。
その氣来たること實強、これを大過と謂う、病は外に在り。
氣来たること虚微、これを不及と謂う、病は内に在り。
脈来たること上は大 下は兌、濡滑なること雀の啄の如しを平と曰う。
啄啄と連属して、その中微曲するを病と曰う。
来たること解索するが如く、去ること弾石なるが如しを死と曰う。
冬の脈は微石なるを平と曰う。
石多く胃氣少なきを病と曰う。
但だ石にして胃氣無きを死と曰う。
冬は胃氣を以て本と為す。

胃は水穀の海也。四時に禀るを主る。
故にみな胃氣を以て本と為す。
これ四時の變、病、死生の要会也。

脾は中州也。
その平和なるを見ること得べからず。
衰えて乃ち見るのみ。
来たること雀の啄の如く、水の下漏するが如し。
これ脾の衰え見わる也。

胃氣の重要性

各脈状や病脈などはいったん置いておきます。

今回注目したいのは胃氣。
『難経』において胃氣という言葉が初めて登場するのがこの十五難です。

胃氣とは何か?

飲食を摂取することで脈が変化することはよく知られています。
この現象を利用して胃氣の有無を診わける脈診法として古来より伝えられています。
胃氣を確認する脈法は「死脈を考える-胃の氣と脈-」にて紹介しています。

なぜ上記のような脈診が可能なのか?
「本来異物である飲食を体に同化、取り込むことが可能か否か」をみる、それが胃氣の脈診です。
自分の身体に取り込めなくなった時、それはその肉体がこの世に存在することができなくなる兆しなのです。

『素問』をはじめ『難経』十五難でもこの点に重きを置いているのだと思われます。

しかし『難経』では胃氣に重きを置くだけでなく、時間・天地の運気を重視していることがよく分かる十五難の内容です。
これは拡大解釈しますと、他者や異物を受け入れるとは、飲食ではない外界の変化も含まれます。
すなわち天地の氣の動きもその一つと言えるでしょう。

季節に順応、つまりは時間との調和ができないということも、この世界に存在することができなくなる兆しでもあるのです。
この時間との調和、繋ぐという要素に言及しているのが脾の脈ですね。『素問』『難経』ともに奥深いことを示唆しております。

鍼道五経会 足立繁久

難経 十四難 ≪ 難経 十五難 ≫ 難経 十六難

原文 難経十五難

十五難曰、経言、春脈弦、夏脈鈎、秋脈毛、冬脈石。
是王脈耶、将病脈也。
然。
弦鈎毛石者、四時之脈也。春脈弦者、肝東方木也。
萬物始生。
未有枝葉。
故其脈之来、濡弱而長。
故曰弦。夏脈鈎者、心南方火也。
萬物之所盛。
垂枝布葉、皆下曲如鈎。
故其脈之来疾去遅。
故曰鈎。秋脈毛者、肺西方金也。
萬物之所終。
草木華葉、皆秋而落。其枝獨在、若毫毛也。
其脈之来軽虚以浮。
故曰毛。冬脈石者、腎北方水也。
萬物之所藏也。
盛冬之時、水凝如石。
故其脈之来、沈濡而滑。
故曰石。此四時之脈也。
如有變奈何?
然。
春脈弦。反者為病。
何謂反?
然。
其氣来實強。是謂大過。病在外。
氣来虚微。是謂不及。病在内。
氣来厭厭聶聶、如循楡葉曰平。
益實而滑、如循長竿曰病。
急而勁益強、如新張弓弦曰死。春脈微弦曰平。
弦多胃氣少曰病。
但弦無胃氣曰死。
春以胃氣為本。夏脈鈎、反者為病、何謂反。
然。
其氣来實強、是謂大過、病在外。
氣来虚微、是謂不及、病在内。
其脈来累累如環、如循琅玕曰平。
来而益数、如雞挙足者曰病。
前曲後居、如操帯鈎曰死夏脈微鈎曰平。
鈎多胃氣少曰病。
但鈎無胃氣曰死。
夏以胃氣為本。秋脈微毛。反者為病、何謂反。
然。
氣来實強、是謂大過、病在外。
氣来虚微、是謂不及、病在内。
其脈来藹藹如車蓋、按之益大曰平。
不上不下、如循雞羽曰病。
按之消索、如風吹毛曰死秋脈微毛為平。
毛多胃氣少曰病。
但毛無胃氣曰死。
秋以胃氣為本。冬脈石。反者為病、何謂反。
然。
其氣来實強、是謂大過、病在外。
氣来虚微、是謂不及、病在内。
脈来上大下兌、濡滑如雀之啄曰平。
啄啄連属、其中微曲曰病。
来如解索、去如弾石曰死。冬脈微石曰平。
石多胃氣少曰病。
但石無胃氣曰死。
冬以胃氣為本。胃者水穀之海也。主禀四時。
故皆以胃氣為本。
是謂四時之變病死生之要會也。脾者中州也。
其平和不可得見。衰乃見耳。
来如雀之啄、如水之下漏。
是脾之衰見也。

おすすめ記事

  • Pocket
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す




Menu

HOME

TOP