難経七難の書き下し文と原文と…

難経七難のみどころ

二難・三難・四難・六難では陰陽の観点から脈診が説かれ、五難では五行(五臓・五層)の観点によって脈診が展開されました。この七難ではこれまでと違った観点から脈診が展開されています。時間(天地の氣の運行)を基にした生命観という点では、一難に通ずるものがあります。それでは本文を読んでみましょう。


※『難経評林』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

難経七難の書き下し

書き下し文・七難

七難に曰く、経に言う、少陽の至る、乍ち小 乍ち大、乍ち短 乍ち長。
陽明の至る、浮大而して短。
太陽の至る、洪大而して長。
太陰の至る、緊大而して長。
少陰の至る、緊細而して微。
厥陰の至る、沈短而して敦。
此れら六の者は、是れ平脈なりや?将(はた)病脈なりや?

然り。
皆(みな)王脈也。

其の氣、何れの月を以て各々王すること幾日?

然り。
冬至の後、甲子を得て少陽王す。
復た甲子を得て陽明王す。
復た甲子を得て太陽王す。
復た甲子を得て太陰王す。
復た甲子を得て少陰王。
復た甲子を得て厥陰王す。
王すること各々六十日、六六三百六十日、以て一歳と成す。
此れ三陽三陰の王する時日の大要也。

天地の氣の運行と人体と脈

本難では人体の三陽三陰の氣と暦(天地の運氣)との相応について述べています。
一難にも記されていますように、人体と天地の運気は相応関係にあります。それを繋ぐ存在として脈が提示されている点において難経一難や七難は秀逸であります。

本文にある少陽・陽明・太陽・太陰・少陰・厥陰は寒熱温涼の氣令(岡本一抱『難経本義諺解』)としており、天地の氣の陰陽消長を表わす言葉です。
本難は天地の氣が主役ですので、天干地支(十二支十干)のツートップすなわち甲子を起点としてカウントされています。
冬至の日の後の“甲子の日”からスタートして次の“甲子”までを少陽の王(旺)する季節とします。さらに次の“甲子の日”までを陽明の王(旺)する季節とし…後は以下同文です。

少陽が旺する時期ってどんな季節?

何月何日から始まるの?

少陽の季節は正月二月に相当するとされていますが、現代のカレンダーに慣れている我々にはピンとこない表現です。
現行暦では2022年1月11日~3月12日の期間にあたります。この期間には土用あり、立春ありと冬から春へと動き出す季節です。
とはいえ、当時は現代暦(太陽暦のグレゴリオ暦)ではなかったでしょうから、せめて旧暦の太陰太陽暦でみてみましょう。当時の古代中国暦は専門外ですので分かりませんが、秦から前漢あたりまで(※諸説あり)顓頊暦(せんぎょくれき)が使用されていたとされています。その後、顓頊暦が改められ太初暦(たいしょれき)が用いられます。この太初暦で初めて二十四節気が揃ったとされています(多少の差異はあるとのこと)。この顓頊暦・太初暦も太陰太陽暦であるとのことです。

さて旧暦(太陰太陽暦)では冬至の日は現代では(2021年では11月19日、2022年だと11月29日)と約一ヵ月ズレます。しかし七難における甲子法は60日間隔ですので、三陽三陰の旺氣の区間において現行暦と旧暦とで大きな差異はでないものとします(もし間違いであればご指摘ください)。
ですので冬至後の甲子はやっぱり2022年では1月11日、2023年だと1月06日で、少陽旺の時期は上記と同じといえるでしょう。

どんな季節なの?

上記のように少陽の氣が旺する時期は2022年1月11日~3月12日(ちなみに2023年では1月06~3月07日)にあたります。この期間には土用あり、立春あり、と冬から春へと動き出す季節です。

「乍ち小 乍ち大、乍ち短 乍ち長(乍小乍大、乍短乍長)」とは脈が陰から陽へ、陽から陰へと変化し、いまだ安定しない初春のようすを表わす脈です。自然界でいう三寒四温が、脈でいう乍陰脈乍陽脈というところなのでしょう。

しかし五行・五季でみると『この時期は弦脈じゃないのか?』と思われる方もいるでしょう。
立春は2月4日から始まり約72日後に土用入りしますので、少陽時期(冬至後の甲子から次の甲子までの期間)の後半がその春木の時期に当たります。(春木の時期に弦脈をあらわすについては難経十五難を参照のこと)

ともあれ複数の脈が重なり合って現れるのは、四難でも記されている通りです。「全ての脈が現れる訳ではない(非有六脉俱動也)、しかし複数の脈が重なって現れる(一陰一陽~一陽三陰のパターン)」とあり、本難でも複数の脈の組合わせが提示されています。
また春木の氣に応じて弦脈を呈するか、少陽の氣令に応じて乍小乍大、乍短乍長の脈を呈するのか…はその人の素体やその時の条件にも依ることでしょう。
いずれにせよ、天地の氣の旺に人体の氣が応するという理を知っておくことが大事です。

そして次なる甲子~甲子の期間が陽明の旺する時期であり、旧暦の三月四月とします。…と、このように考えていくと分かりやすいかと思いますので、以下は略します。

以上の少陽の脈を始め、陽明・太陽・太陰・少陰・厥陰の脈は『素問』平人気象論にも記されています。

60日周期ということは

甲子~甲子の日数を一区切りにするということは60日周期ということです。
この60を一周とする考え方は十二支十干の一周を意味します。12と10の最小公倍数ということです。

60を一周として人体や世界をみる法は『素問』を始め各文献に記されています。

『素問』では六節藏象論の冒頭にある「天は六六の節を以て、以て一歳と成す。(天以六六之節、以成一歳)」の一節は、七難の説(三陽三陰が王・旺する)が拠り所とする理です。
同じく六節藏象論には「天に十日有り。日、六たび竟(きわまり)て甲を周り。甲六たび復(かえ)して歳を終う。三百六十の日法也。(天有十日、日六竟而周甲。甲六復而終歳、三百六十日法也)」と、甲子の六十日周期を提示しています。
更に後代になると、60日を周期とする理論は鍼法にも取り入れられるようになります。
60日ひいては30日を基本とする周期は、月の運行に重きを置いた世界観であったのだろうと想像します・これは太陰暦という名の通りですね。

ともあれ、一難そして七難では天地の氣の運行と人体の氣の相応について強調している点が印象的です。

おまけ・課題

『素問』至真要大論には次のような脈の記載があります。

■原文 『素問』至真要大論
・・・
帝曰、其脉至何如。
岐伯曰、厥陰之至其脉弦。少陰之至其脉鈎。太陰之至其脉沈。少陽之至大而浮。陽明之至短而濇。太陽之至大而長。
至而和則平、至而甚則病。至而反者病、至而不至者病。未至而至者病。陰陽易者危。

至真要大論には上記のような記載があります。脈の記載は七難のそれとは異なりますが、氣令の至りとともに人氣がそれに応じ、その徴候が脈に現れるというコンセプトは同じです。脈の記載文の構造も似ていると感じますので、『素問』至真要大論の理解も必要であると思われますが、本記事ではメモ程度に留めておきます。

鍼道五経会 足立繁久

難経六難 ≪ 難経七難 ≫ 難経八難

原文 難経七難

■原文 難経七難

七難曰、経言少陽之至、乍小乍大、乍短乍長。陽明之至、浮大而短。太陽之至、洪大而長。
太陰之至、緊大而長、少陰之至緊細而微。厥陰之至、沈短而敦。
此六者、是平脉邪、将病脉邪。
然。
皆王脉也。

其氣以何月各王幾日。

然。
冬至之後、得甲子少陽王。復得甲子陽明王。復得甲子太陽王。復得甲子太陰王。復得甲子少陰王。復得甲子厥陰王。
王各六十日、六六三百六十日、以成一歳。此三陽三陰之王時日大要也。

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