“脈がおそい”…はナニを示すのか?
遅脈は寒証の脈として知られています。例えば八綱弁証などがその最たるものでしょう。
しかし、遅脈が示すのは寒証だけではありません。人間の体や脈はそんな単純なものではありません。
李時珍は遅脈の脈理を「陽が陰に勝てない状態」すなわち陰盛陽衰という説を採っています。
実際に人の体そして病態はダイナミックにかつ複雑に変化します。
「遅脈=藏病」とみるのではなく、このように脈を大きくつかむと臨機応変に対応できる余裕が生まれるのです。
※『瀕湖脈学』(『重刊本草綱目』内に収録)京都大学付属図書館より引用させていただきました
※下記の黄色枠部分が『瀕湖脈学』の書き下し文、記事末青枠内に原文を引用しています。
遅 陰
遅脈とは、一息三至、去来極めて慢なり。『脈経』(第一 脈形状指下秘訣では「一息三至、去来極遅」とある)
遅は陽が陰に勝たざる、故に脈の来たること及ばず。
『脈訣』に言う、重手にて乃ち得る、これ沈有りて浮無。一息三至、甚はだ見え易しと為す。而して曰く隠隠、曰く状(かたち)且つ難は、これ濇脈なり。その謬(あやま)ちを知る可し。
【体状詩】
遅脈の来たる、一息至ること惟三。
陽の陰に勝たざる氣血寒く。但だ浮沈を把て表裏を分ち、陰を消して須らく火の原を益すべし。
【相類詩】
脈来たること三至、号(なづけ)て遅と為す。
小(すこし)き遅よりも快(はや)きを緩と作して持す。
遅細にして知れ難きをこれ濇、浮にして遅大、虚を以って推す。
三至を遅と為し、有力を緩と為し、無力を濇と為す。
止有るを結と為し、遅の甚しきを敗と為し、浮大にして耎を虚と為す。
黎氏曰く、遅は小にして実、緩大にして慢。遅は陰盛陽衰と為し、緩は衛盛営弱と為す、宜しくこれを別つべし。
【主病詩】
遅は臓病を司る、或いは多痰、沈痼、癥瘕を仔細に看る(べし)。
有力にして遅なるは冷痛を為し、遅にして無力なるは定めて虚寒。
寸口の遅は必ずこれ上焦寒え、関上(遅脈は)中寒、痛みて堪えざるを主る。尺中(遅脈は)これ腎虚して腰脚重く、溲便禁ぜず、疝(痛)の丸に牽く
遅脈は藏を主り、有力なれば冷痛、無力なれば虚寒。
浮遅なるは表寒、沈遅なるは裏寒。
脈遅から何を考える?
遅脈と緩脈との違いにも少し触れられています。遅脈を示す指標として三至という数字の表現(脈数)と、緩慢さによる表現があります。
この微妙なニュアンスの差にも留意すべきでしょう。
この差が遅脈と緩脈の違いであると本書では指摘しています。
【相類詩】では、他にも遅脈に似た脈として濇脈があるとしています。こういったことも知識としてそなえておくべきでしょう。脈診書を読み解きやすくなります。
各病症群に関しては、遅脈の本質が分かれば特に問題はないでしょう。
遅脈は藏病の所見でもありますが、その他「痰」「沈痼」「癥瘕」「冷痛寒痛」…などといった症状を示す所見ともなります。同様に考えて、他にもどのような病症が考えられるか、各自考えてみてはいかがでしょう?よいトレーンニングになるはずです。
クイズ☆尺遅は腎虚とあるが…
本文に「尺中(遅脈は)これ腎虚して腰脚重く、溲便禁ぜず、」とあるが、ここでの腎虚は腎のナニが虚しているのでしょうか?
また脈診法にもよるが、尺中のどちらに病脈が強く現れているのでしょうか?
※『尺部だけ脈が遅いなんてあり得るの?』という疑問は受け付けないものとする。
鍼道五経会 足立繁久
以下に原文を付記しておきます。
■原文
遅 陰
遅脉、一息三至、去来極慢『脉経』
遅為陽不勝陰、故脉来不及。
『脉訣』言重手乃得、是有沈無浮、一息三至、甚為易見。而曰隠隠、曰状且難、是澀脉矣、其謬可知。
【體状詩】
遅来一息至惟三、陽不勝陰氣血寒。但把浮沈分表裏、消陰須益火之原。
【相類詩】
脉来三至号為遅、小快于遅作緩持。遅細而難知是澀、浮而遅大以虚推。
三至為遅、有力為緩、無力為澀、有止為結。遅甚為敗、浮大而耎為虚。
黎氏曰、遅小而實、緩大而慢、遅為陰盛陽衰、緩為衛盛營弱、宜別之。
【主病詩】
遅司臓病、或多痰、沈痼、癥瘕、仔細看。有力而遅為冷痛、遅而無力定虚寒。
寸遅必是上焦寒、関主中寒痛不堪。尺是腎虚腰脚重、溲便不禁疝牽丸。
遅脉主藏、有力冷痛、無力虚寒、浮遅表寒、沈遅裏寒。