緩脈とは『瀕湖脈学』より

和やかなイイ感じの脈

今回のテーマは緩脈です。
緩脈は平脈や胃氣のある脈としてのイメージが強いですね。

楊玄操、滑伯仁、李時珍が楊・柳に葉が風に揺れる様子を譬えた脈状です。


写真:「初春の楊柳 風に舞う」…か? 撮影;2021.03.27
風に揺れる感は少ないですが春の感じは伝わるかと…。


写真:春先の柳梢の若葉 撮影;2021.03.27

実際に柳の若葉に触れてみました。しかし、緩脈感は得られず。見た目は瑞々しさ溢れるのですが、触れるとガサガサ感が強い…。

これ滑脈や濇脈と同様に思い込み注意な表現ですね。「春先の楊柳のような」ではなく「風に吹かれて軽く楊柳が揺れる」ような和やかさを御三方(楊玄操、滑伯仁、李時珍)は表現したかったのだということがよく分かりました。
文章をちゃんと読めば、そのまんま書いてるんですけどね(笑)ということで本文をみてみましょう。


※『瀕湖脈学』(『重刊本草綱目』内に収録)京都大学付属図書館より引用させていただきました
※下記の黄色枠部分が『瀕湖脈学』の書き下し文、記事末青枠内に原文を引用しています。

緩 陰

緩脈は、その去来は遅よりも小しく駛し。『脉経』
一息四至(戴氏)
絲の如し経に在りて、その軸に巻かず、指に応ずること和緩、その往来は甚だ匀し(張太素)
初春の楊柳 風に舞うの象の如し(楊玄操)
微風の軽く柳梢を颭ぐが如し(滑伯仁)

緩脈は卦に在りては坤と為し、時に在りては四季と為し、人に在りては脾と為す。
脈の陽寸陰尺 上下が同等であり、浮大にして耎であり、偏勝有ること無き者は平脈なり。
若しその時に非ざれば、即ち病有りと為す。
緩にして和匀し、浮ならず沈ならず、疾ならず徐ならず、微ならず弱ならざる者、即ち胃氣と為す。

故に杜光庭が云う、死期を知らんと欲すれば何を以って取らん、古の賢者は五般の土を推し定む。陽土は須らく陰に遇わざることを知るべし、陰土 陰に遇えば當に細数なるべし、と。(※)詳しくは『玉函経』
※欲知死期何以取、古賢推定五般土。陽土須知不過陰、陰土遇陰當細数

【体状詩】
緩脈は阿阿として四至通ずる、柳梢の䙚䙚として軽風に颭するが如し。
脈裏従り神氣を求めんことを欲す、只 従容和緩の中に在り。

【相類詩】
遅脈に見る

【主病詩】
緩脈は営衰えて衛有余。
或いは風、或いは湿、或いは脾虚。

上(に緩脈ある)は項強、下(に緩脈ある)は痿痹を為す。
浮沈 大小の区を分別せよ。

寸口の緩脈は風邪、項背拘る。
関上の緩脈は風眩、胃家の虚と為す。

神門濡泄、或いは風秘、或いは是 跚蹣、足力迂なり。

浮緩は風と為し、沈緩は湿と為す、緩大は風虚、緩細は湿痹、緩濇は脾薄く、緩弱は氣虚なり。
『脈訣』に言う、緩脈は脾熱口臭、反胃、歯痛、夢鬼、諸痛を主る。
杜撰より出づる、緩と関わること無し。

遅脈と似る緩脈

緩脈は2つの面でゆったりした脈です。
一つは脈の感触、もう一つは脈の往来です。

脈の“ゆったりした往来”については『脈経』や張太素が言及しています。(※)張太素は『訂正太素脈訣』の著者です。

同書 巻上論五陰脈
「緩脈とは、絲が機に在りて、その軸に巻かざるが如し。指に応じて遲緩。往来は微。尤も微これ急に応ずに若かず。沈ならず伏ならず、惟(ただ)緩みて已む。若し三部常に緩、腎怯にして精不足を主る。
(原文)緩者。如絲在機、不卷其軸。應指遲緩。往來其微。尤不若微之應急。不沉不伏。惟緩而已。若三部常緩。主腎怯而精不足。」

とあります。

この往来のゆったり加減に注目すると、類似の脈状に遅脈がノミネートされるのです。
緩脈と遅脈との違いは「速度(スピード)ではない」という点にあります。具体的に遅脈との違いについて触れているのは『脈経』です。「ゆったりした脈ではあるが遅脈に比べると駛(はや)い」としており、“速さ”の質にもニュアンスの違いがあることを強調しているようです。

“感触としてのゆったり”については「春の楊柳」「風」というワードを用いて、軽やかさや柔らかさを表現しています。

緩脈と時

李時珍は脈を卦と時と人体に当てはめて緩脈の性質を示唆しています。
その文の中で「時に在りては四季」とあります。この文を一見したところ『緩脈は土用なのでは?』と思いましたが
『待てよ…そうではないかもしれない』とも思いました。

「土用の脈は緩脈」説はいつから?

五行理論でいうと土行は季節でいうと土用であり、臓腑でいうと脾胃。そして脈状でが緩脈と教わることが多いかと思います。
しかし「土の脈=緩脈」という記載は素問には見つかりません。

脾胃の脈=緩脈という概念は『千金翼方』に見られます。(他の医書にも見られるかもしれませんが、個人的に調べることができたのがこの辺りの医書になります。他医書にも遡ることができるようでしたら、お教えください)

さて『千金翼方』の巻二十五にある「色脈」の章、診脈大意第二には以下の記述があります。

「凡そ春脈は細弦にして長、夏脈は洪浮にして長、来たること疾くして去ること遅し。秋脈は微浮にして散、冬脈は沈滑にして実、季夏の脈は洪にして遅。
(原文)凡春脈細弦而長、夏脈洪浮而長、来疾而去遅。秋脈微浮而散、冬脈沈滑而實、季夏脈洪而遅。」

ここでは土用ではなく季夏(長夏)という表現ですが、その時の脈として“洪而遅”と提示されており、緩脈の姿は見られません。
しかし続く文には「遅緩而長者、脾也。」という(季節の脈ではありませんが)脾藏として脈の記載もあります。

さらに続く同章、診四時脉第三には以下のように各季節と旺氣する藏脈が記載されています。

「春は、肝木が旺する。その脈は弦細にして長なる者は平脈なり。…
(原文)春、肝木旺、其脉弦細而長者、平脉也。…」
「季夏六月は脾土が旺する、脈大穣穣にして緩なる者を平脈と為す也。…
(原文)季夏六月、脾土旺、脉大穣穣而緩者、為平脉也。…」

と脾脈は緩脈であるとしています。しかもこの後に続く記述が実に興味深いです。

「凡そ脾の脈は旺盛なるときは則ち見れず、衰ろうときに即ち見れる。
(原文) 凡脾脉、旺則不見、衰時即見。」

なんとも禅問答のような言葉でもあります。
話が脱線したまま元に戻れませんが(汗)もう少し脱線してみましょう。

「旺盛であるときに現われにくい脈」とは胃氣の脈のことを指しているのでしょう。
平人気象論にいう「微弦」「微鉤」…の微(少しく)を指しているのだと考えています。
そして「衰えた時に即ち現れる」とは脾胃の氣、胃氣が低下したときに顕著に現れる各種病脈を言うのでしょう。これらの異常は発見しやすいですから。
…と、このように読み取ることもできます。

緩脈は四季の脈

以上の文を読むと、「緩脈は…時に在りては四季」という言葉も考察しやすいですね。
四季とはやはり春夏秋冬の全ての季節を表わしているとも考えることが可能です。

言うまでもなく各季節の脈に付随する“微”の脈を纏った各平脈をいいます。
実際の臨床では単一の脈状だけが現れるということは無いものです。
弦脈を例にとっても、弦脈に緩脈を纏った状況の脈は診られるものです。この時、弦(時脈)と緩(胃氣の脈)の両者が程よい関係にあれば平脈なのです。

これが李時珍のいう「緩脈は時にあっては四季である」という文に関する考察となります。

杜光庭の謎の言葉

杜光庭の言葉を引用しています。
「死期を知らんと欲すれば何を以って取らん、古の賢者は五般の土を推し定む。陽土は須らく陰に遇わざることを知るべし、陰土は陰に遇えば當に細数なるべし。」(※)

まず『そもそも杜光庭って誰???』と、思うかもしれません。
杜光庭とは、唐代~五代十国代の道士であり、儒学、道教に精通していたと言われています。そのため独特の言い回しが多いようです。
しかしその前に…、揚げ足を取るわけではありませんが『瀕湖脈学』に引用ミスがあるようです。

そもそも、杜光庭の言葉は『全唐詩續拾』にみられます。(さらに『廣成先生玉函経』の引用と書かれています。残念ながら『廣成先生玉函経』はまだ手元にはありません…。)

「死期を知らんと欲すれば何を以って取らん、古の賢者は五般の土を推し定む。陽土は須らく陰を過ぎざるを知るべし、陰土は陽に遇えば當に細数なるべし。四季中央戊己は同じ。万物は土に憑き以って主と為す。孤陽寡陰は即ち中らず、鰥夫及び寡婦に譬えて取る。
(原文)欲知死期何以取。古賢推定五般土。陽土須知不過陰、陰土遇陽當細數。四季中央戊己同、萬物憑土以為主。孤陽寡陰即不中、譬取鰥夫及寡婦。…」
(『全唐詩續拾』は https://ctext.org/wiki.pl?if=en&chapter=383923 コチラのサイトを参考にさせていただきました)

「陰土は陽に遇いて當に細数なるべし」と『瀕湖脈学』の文章と陰陽が逆転しているのが分かります。これは李時珍のミスなのか、転写の際の誤写なのか…はさておき、続く文章も書き下し文にしていきましょう。

「四季の中央は戊己に同じ、万物は土に憑いて以って主と為す。孤陽や寡陰は即ち中らず、譬えるならば鰥夫や寡婦に取ることができる。…」

五行の中にも陰陽があります。ここでは天干(十干)の土が挙げられています。
この場合、陽土は戊(つちのえ)で、陰土は己(つちのと)です。万物の中央は土であり、かつ万物は土より生じ、また土に帰します。万物は土に隷属しているかのようでもあります。反対にみると、万物の中で土に属さない物はいないのではないか?といえます。これを孤陽や寡陰、鰥夫(やもめ)寡婦(かふ)という言葉で表現されています。つまり、そこで繁栄はストップしてしまうということでしょう。

今の私のレベルでは考察はココまで。奇門遁甲や六壬などに詳しい方ならもう少し掘り下げて読み取り考察できることでしょう。

ということで緩脈に関してはここまで。
なかなか李時珍の緩脈に関する盛り込み具合が他脈とは違うなという印象を受けました。

鍼道五経会 足立繁久

以下に原文を付記しておきます。

■原文

緩 陰

緩脉、去来小駛于遅。『脉経』
一息四至(戴氏)
如絲在経、不巻其軸、應指和緩、往来甚匀(張太素)
如初春楊柳舞風之象(楊玄操)
如微風軽颭柳梢(滑伯仁)

緩脉在卦為坤、在時為四季、在人為脾。陽寸陰尺、上下同等、浮大而耎、無有偏勝者、平脉也。若非其時、即為有病。
緩而和匀、不浮不沈、不疾不徐、不微不弱者、即為胃氣。
故杜光庭云、欲知死期何以取、古賢推定五般土。陽土須知不遇陰、陰土遇陰當細数。詳『玉函経』

【體状詩】
緩脉阿阿四至通、柳梢䙚䙚颭軽風。
欲従脉裏求神氣、只在従容和緩中。

【相類詩】
見遅脉

【主病詩】
緩脉営衰衛有餘。或風或濕或脾虚。
上為項強下痿痹、分別浮沈大小区。

寸緩風邪項背拘、関為風眩胃家虚。
神門濡泄或風秘、或是蹣跚足力迂。

浮緩為風、沈緩為濕、緩大風虚、緩細濕痹、緩澀脾薄、緩弱氣虚。
『脉訣』言、緩主脾熱口臭、反胃、歯痛、夢鬼、諸痛。出自杜撰、與緩無関。

 

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