数脈とは『瀕湖脈学』より

“脈がはやい”…はナニを示すのか!?

数脈は八綱弁証では熱証に属します。しかし脈の遅数は寒熱のみではないことを『瀕湖脈学』でも学んでいきましょう。


※『瀕湖脈学』(『重刊本草綱目』内に収録)京都大学付属図書館より引用させていただきました
※下記の黄色枠部分が『瀕湖脈学』の書き下し文、記事末青枠内に原文を引用しています。

数 陽

数脈とは、一息六至。『脈経』(第一 脈形状指下秘訣では「数脈、去来促急」)
脈の流ること薄疾なり『素問』

数は陰が陽に勝たざる、故に脈の来ること太過なり。
浮沈、遅数は脈の綱領。『素問』『脈経』はみな正脈と為す。
『脈訣』は七表八裏を立てて、数脈を遺す、歌のみ心臓に止めて、その妄甚だし。

【体状詩】
数脈は息間 常に六至、陰微かに陽盛ん、必ず狂煩す。
浮沈表裏、虚実を分つ、惟(ただ)児童に有るは吉と作して看よ。

【相類詩】
数脈は平人に比すれば一至多く、緊脈は来たること数の如くして縄を弾くに似たり。
数にして時に止まるは名を促と為す。
数が関中に見(あらわ)るは動脈の形。

数にして弦急なるは緊と為し、流利なるは滑と為し、数にして止有るは促と為す。
数甚しきは痰と為し、数の関中に見るを動と為す。

【主病詩】
数脈は陽熱と為すことを知る可し、ただ将に君相の火を以って来たりて医せんとす。
実には宜しく涼瀉し虚には温補すべし。
肺病、秋深くして却ってこれ(数脈)を畏る。

寸口の数脈は咽喉口舌の瘡、吐紅(吐血)、咳嗽、肺に瘍を生ず。
関上に当るは胃火并び肝火。尺中(数脈は)滋陰降火湯に属す。

数脈は腑を主る。
有力なれば実火、無力なるは虚火。
浮数は表熱、沈数は裏熱。
氣口の数実は肺癰、数虚は肺痿なり。

脈の速い遅いには二通りの表現

脈の速い遅いの表現には二通りあります。

遅脈は一息三至、数脈は一息六至、という数字で表わす脈の遅数。
これに対し「遅脈は慢」「数脈は薄疾」という表現との二つのパターンです。

「脈の流ること薄疾なり(脈流薄疾)」は『素問』生氣通天論第三(※1)にある言葉です。

この薄の文字は迫の意として解釈され、脈の流れが迫急、急疾であることを意味します。これは陽の性を色濃くあらわすもので「陰が陽に勝たざる」すなわち陰が陽を制御できない状態にあります。これを脈でいうと数脈であり、病症では熱病、その極みが狂症ということになるのです。

ただし例外があります。小児の数は吉兆、というか子どもの数脈は平脈、正常な所見なのです。これも脈の遅数、脈数の本質を考えるための大きなヒントとなるでしょう。この記事と併せて考えてみると良いと思います。「恋のドキドキ♡数脈は熱証なのか?」

【相類詩】では数脈と促脈、緊脈、動脈を挙げて、これらにそれぞれに共有する要素を持つ脈、もしくは同じ系統上にある脈として挙げています。
李時珍が挙げた「そのココロは?」を理解することが大事です。

数脈に対する治法

本項では、珍しく具体的な治法や処方が記されています。
「数脈を示す実証には涼瀉、数脈で虚証には温補。」や「尺中数脈は滋陰降火湯」などはイメージしやすいと思います。

また「肺の病、秋季に数脈がみられるのは畏る(警戒)すべし。」これも陰陽と五行のセオリー通りの解釈で可だと思われます。

 

鍼道五経会 足立繁久

※1:『素問』生氣通天論第三「陰不勝其陽則脈流薄疾并乃狂。陽不勝其陰則五藏氣争九竅不通。」とある。

以下に原文を付記しておきます。

■原文

数 陽

数脉、一息六至。『脉経』
脉流薄疾『素問』

数為陰不勝陽、故脉来太過。
浮沈、遅数、脉之綱領。『素問』『脉経』、皆為正脉。『脉訣』立七表八裏、而遺数脉、止歌于心臓、其妄甚矣。

【體状詩】
数脉息間常六至、陰微陽盛必狂煩。浮沈表裏分虚實、惟有児童作吉看。

【相類詩】
数比平人多一至、緊来如数似弾縄。数而時止名為促、数見関中動脉形。

数而弦急為緊、流利為滑、数而有止為促、数甚為痰、数見関中為動。

【主病詩】
数脉為陽熱可知、只将君相火来医。實宜涼瀉虚温補、肺病秋深却畏之。
寸数咽喉口舌瘡、吐紅咳嗽肺生瘍。
當関胃火并肝火。尺属滋陰降火湯。

数脉主腑、有力實火、無力虚火、浮数表熱、沈数裏熱、氣口数實肺癰、数虚肺痿。

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