代脈とは『瀕湖脈学』より

最後の脈は代脈です


※『瀕湖脈学』(『重刊本草綱目』内に収録)京都大学付属図書館より引用させていただきました
※下記の黄色枠部分が『瀕湖脈学』の書き下し文、記事末青枠内に原文を引用しています。

代 陰

代脈は動じて中ごろに止む、自ら還ること能わず、因りて復た動ず。(仲景)
脈至り還りて尺に入る、良久(ややひさしく)して方(まさ)に来たる。(呉氏)

脉一息五至、肺心脾肝腎の五藏の氣、皆 足(た)る。
五十動にして一息は、大衍の数に合す、これを平脈と謂う。此れに反すれば則ち止、乃ち見わる。
腎氣至ること能わざれば則ち四十動に一止す。
肝氣至ること能わざれば則ち三十動に一止す。
蓋し一藏これ氣衰して他藏の氣 代わりて至る也。

経に曰う、代脈は則ち氣衰。
滑伯仁 曰く、若し病無く、羸痩して脈代なる者は、危脈なり。
有病にして氣血乍ち損じ、氣続ぐこと能わざる者、只 病脈と為す。
傷寒、心悸、脈代する者、復脉湯これを主る(※復脉湯は炙甘草湯の別名)。
妊娠して脈代なる者は、その胎百日なり。
代の生死、辨ぜずんばあるべからず。

【體状詩】
動じて中ごろ止みて還ること能わず、復た動ずるを因りて代と作すと看る。
病者これを得て猶 療すべし、平人は却って壽と相い関わる。

【相類詩】
数にして時に止るを名けて促と為す、緩にして止むを須く将に結脉と呼ぶ。
止みて回ること能わず方にこれ代、結は生き代は死す自ら途を殊(こと)にす。

促、結の止むは常数無し、或いは二動三動にして一止して即ち来たる。
代脉の止には常数有り、必ず数に依りて止む、還りて尺中に入りて、良久して方に来たる也。

【主病詩】
代脈は元(もと)藏氣の衰に因る。腹疼、泄痢、下元虧る。
或いは吐瀉、中宮の病を為し、女子は懐胎三ヵ月。

『脈経』に曰く、代散なる者は死す、泄及び便膿血を主る。

五十にして止まずは身に病無し、数内に止むこと有る皆 定を知る。
四十にして一止するは一藏の絶、四年の後に多くは命亡す。
三十にして一止するは即ち三年、二十にして一止するは二年に應ず。
十動にして一止するは一年にして殂す。
更に氣色と形証を兼ね観る。
両動にして一止するは三四日、三四動にして止は六七に應ず。
五六にして一止するは七八朝、次第にこれを推して自ら失すること無し。

戴同父 曰く、脈 必ず五十動に満つ、『難経』より出る、而して『脈訣』五藏歌(※『脉訣刊誤』左右手分診五藏四時脉歌)には、皆四十五動を以って準と為す、と。経旨に乖く。
柳東陽 曰く、古は動数を以って脈を候う、これ吃緊の語、須らく五十動を候いて、乃ち五藏の缺失を知るべし。今の人、指 腕臂に到りて、即ち見了すと云う。夫の五十動、豈に弾指の間の事ならんや!?
故に学者、當に脈を診し、証を問い、聲を聴き、色を観、斯く四診を備えて失すること無し。

代脈は脾脈

「脾脈代」と『素問』平人気象論にあります。また「死脾脉来、鋭堅如烏嘴、如鳥之距、如屋之漏、如水之流、曰脾死。(書き下し文はコチラ)」ともあり、脾胃の寛容性と接続性(連続性)の重要さを示す記述が記されています。

代は一止する脈の一つとして、危険視されがちですが、(脈診の世界観においては)脈が止ることが問題なのではありません。
脈の往来すなわち陰陽消長が自己の力で継続させることができなくなったことが大きな問題なのです。陰陽消長が阻害されて一止する結脈・促脈とはシビアさが異なるのです。

また、一止するという点に関して、李時珍はある点に焦点を当てているのが興味深いです。
それは「不能自還」という点です。

不能自還とは…

「不能自還」とは『傷寒論』の言葉です(滑伯仁も同じく不能自還を用いています)。「脈来動而中止、不能自還、因而復動者、名曰代、陰也。得此脈者必難治。」とあり、李時珍も代脈の体状詩では「動而中止不能還、復動因而作代看。」(『傷寒論』太陽病下編 178条文より)と“還ること能わず”という点を採用しています。

では脈の還るとは一体何を意味するのでしょう?
脈を単なる脈拍としてみれば、橈骨動脈は肘部から末梢に向かってほぼ一方通行で流れ行くだけです。還ることはありません。
では、脈診の世界で考えると、還ることは有り得るのでしょうか?
これに近しい表現が『診家枢要』(滑伯仁 著)にあります。

滑伯仁の説から考察

滑伯仁は脈診の要訣をいくつか伝えていますが、その要訣の一つに「上下来去至止」という六字要訣があります。
“来去”や“至止”は、脈における陰陽消長を構成する要素でもあります。
上下も亦然りなのですが、上下の説明文は次の通りです。
「上者、自尺部上于寸口、陽生于陰也。下者、自寸口下于尺部、陰生于陽也。」

この一部を書き下し文にすると「“下”とは寸口自り尺部に下る。陰は陽に生じる也。」と読み取れます。
解釈にもよりますが「尺に還る」という要素を記しているようでもあります。

脈は尺から寸に流れ、陽が陰から生ずる。そして脈は寸から尺に還り、陰は陽により生ずる…という脈診における陰陽消長です。
以上のような意味が込められているため「動じて中ごろに止み(動而中止)」(張仲景・体状詩)「止みて回ること能わず(止不能回)」(相類詩)と書かれ、単なる「一止」(促脈・結脈)とは書かれない所以でもないでしょうか。

扁鵲の書から考察

難経十一難には五十動に満たずして一止する脈のことが記されています。
「吸、腎に至ること能わず、肝に至りて還る。(吸不能至腎、至肝而還)」という一節があります。

これは『難経集註』の虞庶先生の註を参考にすれば…脈一止により五十営の失調が起こり、最下にある腎にまで胃氣が供給できずに徐々に消耗していき、いずれは(四年の内に)死する。これが一臓無氣である、という解釈になります。

このようにみると「不能自還」は“めぐる・還流する”というニュアンスでの「還ること能わず」としての病脈または死脈として捉えることができます。

【五十営の失調→不能自還→一臓消耗→一臓無氣→逆証脈または死脈】という考えもまた是ではないでしょうか。

規則的に止まることの重要性

結脈促脈と代脈の大きな違いは「規則的に脈が止まること」です。
この点において「留滞(邪)により脈道が阻害される」脈理(結脈促脈)であるのか、「藏氣の衰絶」という脈理(代脈)であることは前述しました。

規則的に止まるという条件で、さらに脈一止を十動ごとに区切り、衰絶する藏氣のステージを深くすることも興味深いです。
この点は滑伯仁は採用しなかった代脈の脈理であるといえるでしょう。

この十動(十至)にはどのような意味があるのか?
この疑問については『死脈を考える-規則的に脈が止まることは大きな損失-』を参考にしてください。

そもそも広義の寸口脈になぜ藏氣が反映されるのでしょうか?

これは『素問』五藏別論編第十一にある黄帝と岐伯の問答を論拠としています。
「帝曰、氣口何以獨為五藏主。
岐伯曰、胃者水穀之海、六府之大源也。五味入口、藏於胃、以養五臓氣、氣口亦太陰也。是以五臓六府之氣味、皆出於胃、変見於氣口。」(書き下し文はコチラ
同じく『素問』玉機真藏論第十九も必読です。
「岐伯曰、五藏者、皆禀氣於胃。胃者五藏之本也。藏氣者、不能自致於手太陰、必因於胃氣、乃至於手太陰也。故五藏各以其時自為、而至於手太陰也。」(書き下し文はコチラ

五臓六府の氣味はみな胃に出(い)で、その変も亦 氣口(広義の寸口脈)にあらわれるのです。
この胃氣を中心とした脈診観は素問・霊枢・難経において一貫したものであると認識しています。

藏氣は胃氣に依って手太陰の氣口に現れます。胃氣が無ければいわゆる真藏脈が現れます。また藏氣が衰え尽きようとすれば、氣口に脈の“動”を現わすことが困難となります。
脈動五十を大衍の数に相当させ、この至数の中で脈が異常なく平和している内は五臓の氣は足りているという脈診観・生命観のようです。
その五十という天地を象徴する数字の中で不和(定期的に一止すること)が生じることが、人体の中でも特に重要器官を示す藏の氣に衰絶という不和を起こしている象りとしたのではないでしょうか。

各臓の氣衰と更代

五藏の氣衰に関して、李時珍は「腎氣不能至」と始まり、「肝氣不能至」と続けています。

『霊枢』根結篇では「十動ごとに一代するは一藏の氣衰(無氣)」として、具体的な藏名は記載されていません。
しかし『難経』になるとその十一難にて「今、吸氣が腎に至ること能わず、肝に至りて還る。故に知る一臓の無氣なる者、腎氣先に盡きる也。」として、腎の藏氣が先に尽きることを指摘しています。

『難経』の説を採用すると、腎氣の衰絶が先に起こります。李時珍はこの説を採用しているようです。
この前提で考えると、氣(吸氣)は衰絶した腎に接続することができず、肝がこれに代わって氣を繋ぎます。一藏の氣が絶したからといって完全に途絶させて死に至るわけにはいきません。
このようにして氣(藏氣)が残存している藏が、絶した藏に代わって生命維持を担当する…このような病理観そして代脈の脈理を滑伯仁は「代、更代也」とし「動而中止、不能自還、因而復動、由是復止、尋之良久、乃復強起為代。」(書き下し文はコチラ)と表現したのではないかと考えます。

代脈のシビアさ

李時珍が記した「腎氣至ること能わざれば則ち四十動に一止す。」という記述からは、老いていくことで腎氣が先ず尽きる…という死生観・生命観が感じられる言葉でもあります。この点は難経と同じくする記載でもあります。

この死生観・脈理を是とすれば、代脈とは腎氣の絶を表わす脈でもありますが、冒頭で述べたように脾脈でもあります。
すなわち代脈とは、先天の氣、後天の氣のどちらか(もしくは両氣共に)衰弱・衰絶している可能性の高い脈としても考えられるのではないでしょうか。

代脈は脈の五要素でいうと脈数に異常が現れる脈です。となれば、以上のように生命に深く関与する脈であることもなるほど頷けることであります。

鍼道五経会 足立繁久

以下に原文を付記しておきます。

■原文

 陰

代脉、動而中止、不能自還、因而復動。(仲景)
脉至還入尺、良久方来。(呉氏)

脉一息五至、肺心脾肝腎、五藏之氣皆足。
五十動而一息、合大衍之数、謂之平脉、反此則止乃見焉。
腎氣不能至、則四十動一止。
肝氣不能至、則三十動一止。
蓋一藏之氣衰、而他藏之氣代至也。
経曰、代則氣衰。
滑伯仁曰、若無病、羸痩脉代者、危脉也。有病而氣血乍損、氣不能續者、只為病脉。
傷寒心悸脉代者、復脉湯主之。
妊娠脉代者、其胎百日。代之生死、不可不辨。

【體状詩】
動而中止不能還、復動因而作代看。
病者得之猶可療、平人却與壽相関。

【相類詩】
数而時止名為促、緩止須将結脉呼。
止不能回方是代、結生代死自殊途。

促、結之止無常数、或二動、三動、一止即来。代脉之止有常数、必依数而止、還入尺中、良久方来也。

【主病詩】
代脉元因藏氣衰、腹疼泄痢下元虧。
或為吐瀉中宮病、女子懐胎三月兮。

『脉経』曰、代散者死、主泄及便膿血。

五十不止身無病、数内有止皆知定。
四十一止一藏絶、四年之後多亡命。
三十一止即三年、二十一止二年應。
十動一止一年殂、更観氣色兼形証。
両動一止三四日、三四動止應六七。五六一止七八朝、次第推之自無失。

戴同父曰、脉必満五十動、出自『難経』、而『脉訣』五藏歌、皆以四十五動為準、乖于経旨。
柳東陽曰、古以動数候脉、是吃緊語。須候五十動、乃知五藏缺失。今人指到腕臂、即云見了。
夫五十動、豈弾指間事耶。
故学者當診脉、問証、聴聲、観色、斯備四診而無失。

 

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