散脈とは『瀕湖脈学』より

柳の花のような脈です


※『瀕湖脈学』(『重刊本草綱目』内に収録)京都大学付属図書館より引用させていただきました
※下記の黄色枠部分が『瀕湖脈学』の書き下し文、記事末青枠内に原文を引用しています。

散脈 陰
散脈は大にして散。表に有りて裏に無し『脉経』
渙漫にして収せず。『崔氏』
統紀無く、拘束無く、至数斎しからず。或いは来たること多く去ること少なし、或いは去ること多く来たること少なし。渙散にして収せざること、楊花の散漫なるの象の如し(柳氏)

戴同父 曰く、心脈は浮大にして散、肺脈は短濇にして散は平脈なり。心脈の軟散は怔忡。肺脈の軟散は汗出。肝脈の軟散は溢飲。脾脈の軟散は胻腫。病脈なり。腎脈の軟散は諸病の脈。代散は死脈なり。

『難経』曰く、散脈の独り見るは則ち危なり。
柳氏曰く、散脈は氣血倶に虚、根本脱離の脈と為す、産婦これを得れば生き、孕婦これを得れば堕つ(堕胎す)。

【体状詩】
散脈は楊花の散漫にして飛ぶに似る、去来すること定まり無く斎しきこと難きに至る。
産婦は生兆と為し、胎婦は堕と為す。久病に之に逢うは必ず医せず。

【相類詩】
散脈、拘り無く散漫然たり。
濡脈、来たること浮細にして水中の綿(の如し)。
浮にして遅大なるは虚脈と為す。
芤脈は中空にして両辺有り。

【主病詩】
左寸口の散脈は怔忡、右寸口の散脈は汗。
溢飲には左関上、應(まさ)に軟散なるべし。
右関上の軟散は胻胕腫。
散脈が両尺中に居るときは魂の應(まさ)に断なるべし。

柳の花は柳絮ともいいます。フワフワとした綿毛のような花で春~初夏にかけて見られるそうです。私はまだ一度しか見たことなく、動画や写真に収めたことはありません。できればこの春に撮っておきたいものだと思います。

“散”は何を意味する?

『脈経』の言葉「大にして散じる」という言葉も脈の構成要素を端的に表わしていると思われます。散脈のベクトルは外向きです。脈力が散って収斂しないので「大にして散」「収せざる(不収)」という表現になります。

収斂しないということは陰の力が低下しています。
同じ陰分の虚損とはいえ、相類詩に挙げられた濡脈・虚脈・芤脈とはやはり脈理が異なります。
以上の各四脈を比較しつつ、散脈を考察してみましょう。単純に収斂の力が低下した脈…という認識ではなくなると思います。

四脈比較で散を理解しよう

相類詩では「濡」「虚」「芤」「散」の比較がなされています。

濡脈との違いは分かりやすいですね。
濡は「極耎(軟)にして浮細」です。細という芯は残っているのです。
散脈は「大にして散」ですので芯はありません。(なので柳氏曰く散脈は“根本脱離の脈”なのです)

鑑別が難しいのは虚脈、そして同じ系統上にある芤脈です。
芯が無いという点では芤脈の「辺実中空」、虚脈の「按之鬆」「隠指豁豁然空」といった表現はどちらも芯の無さをよく表わしています。

そもそも「虚」と「芤」の違いはどこにあるのでしょう?
虚脈の項における相類詩にて李時珍は初心者にもわかるように比較してくれています。

「虚脉は浮大而遅、按之無力。」「芤脉は浮大、按之中空。」

虚脈には“遅”の要素があり、按じて無力なのです。この言葉には深い意味があります。
ここで言う「遅」はもちろん速さのことを指しているのではないと思われます。このことについては緩脈の項で触れましたね。

以上を勘案すると虚脈と芤脈の損耗度合いは自ずと分かりますね。

散脈は形状と去来の両面で凶兆

その上で散脈について再度考えてみましょう。脈の感触、証ともに散脈に近しいのはどうやら虚脈のようです。
しかし「ぽっかりと抜け落ちたような脈」と「散り散りになってまとまらない脈」とでは、同じ虚脱の脈でもニュアンスが異なります。

李時珍の言葉「去来無定至難斎」を今風に表現し直すと「脈の去来に安定性は無く、脈力にも均一さが見られない脈」となります。脈の来去については柳氏も同様の指摘をしていますね。
このように言い換えると散脈の異常さ危険度が分かってくるのではないでしょうか。

脈の去来とは『診家枢要』で紹介した六字要訣をイメージしてもらえるとよいでしょう。それらの脈の要素が不安定であり、脈力も安定していない…かなりガタガタな脈です。
また脈の去来を拡大解釈すれば「脈数が不安定」であるとも解釈できるかもしれません。少し拡大解釈しすぎかとは思いますが、病症として妊婦を挙げている点からもこのようにも考えてしまいますね。

さて以上のように散脈のポイントを「安定性の欠如」や「均一性の無さ」としてみると、無胃氣の脈にかなり近しい脈だとも言えます。

「芯の無さ」「無胃氣」という点からやはり死脈の側面を有しており「堕胎」すなわち「胎児の死」の兆候であるという主病詩の内容も頷けるのです。
同じ“芯の無い脈”の虚脈と比べても、形状と去来の両面から散脈はもう一段階 重篤な脈だと言えるでしょう。

個人的には虚脈よりもさらに自力で回復する基盤を失っている脈のように感じるのです。

 

鍼道五経会 足立繁久

以下に原文を付記しておきます。

■原文

散 陰
散脉、大而散。有表無裏『脉経』
渙漫不収。『崔氏』
無統紀、無拘束、至数不斎。或来多去少、或去多来少。渙散不収、如楊花散漫之象(柳氏)

戴同父曰、心脉浮大而散、肺脉短澀而散、平脉也。心脉軟散、怔忡。肺脉軟散、汗出。肝脉軟散、溢飲。脾脉軟散、胻腫。病脉也。腎脉軟散、諸病脉。代散、死脉也。

『難経』曰、散脉獨見則危。
柳氏曰、散為氣血倶虚、根本脱離之脉、産婦得之生、孕婦得之堕。

【體状詩】
散似楊花散漫飛、去来無定至難斎。
産為生兆胎為堕、久病逢之不必医。

【相類詩】
散脉無拘散漫然、濡来浮細水中綿。
浮而遅大為虚脉、芤脉中空有両辺。

【主病詩】
左寸怔忡右寸汗、溢飲左関應耎散。
右関耎散胻胕腫、散居両尺魂應断。

 

 

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