太極は陰陽を生じ、陰陽は四象を生じ…
多岐にわたる脈状ですが、その根本は陰陽の二脈にあります。本章では易の考えを基に多様にある脈状の本質を理解しようとする試みが記されています。
※『切脈一葦』京都大学付属図書館より引用させていただきました
※下記の青枠部分が『切脈一葦』原文の書き下し文になります。
陰陽二脈
脈状の変化多しと雖も皆 陰陽二脈の変態なり。
故に大浮数動滑の類はその状同じからずと雖も皆 陽証の脈なり。沈濇弱遅微の類はその状同じからずと雖も皆 陰証の脈なり。
故に何脈を見(あらわ)すと雖も陽脈は陽脈なり。陰脈は陰脈なり。
結促代及び七死の脈の如きは陰陽二脈の変態に非ざるに似たりと雖も病毒に痞塞せられてこの脈を見(あらわ)す者は陽脈なり。精氣虚脱してこの脈を見す者は陰脈なり。
然れば則ちこの脈も亦 陰陽二脈の変態なり。陰陽二脈を色声形の三診に合して論ずと雖もその証を決断するに至りては則ちまた唯 陰陽の両証に過ぎざるなり。然れども四診を参考するに臨んで、若し脈虚して形実し、脈実して形虚するが如く、四診合せざる証を見(あらわ)すときは唯 陰陽両証を以て論じ難きことあり。故に両証分れて四証と為り、四証分れて八証となり、八証分れて十六証と為り、十六証分れて三十二証と為り、三十二証分れて六十四証の雑証と為る。
六十四証と為ると雖も一証一証に陰陽の消長を論ずるときは即ち陰陽両証なること、譬えば易の両儀分れて四象と為り、四象分れて八卦と為り、八卦分れて十六卦と為り、十六卦分れて三十二卦と為り、三十二卦分れて六十四卦と為る。六十四卦と為ると雖も一卦一卦に陰陽の消長を論ずるときは即ち陰陽両儀なるが如し。
又、病証の変化窮まりなりと雖も三陰三陽を体とし、雑病証六十四を用として変化をその中に盡(つく)すことは易の変化窮まりなしと雖も八卦を小成卦とし、六十四卦を大成卦として、変化をその中に盡すが如し。
又、六十四証、六十四卦と定めたる者は、その変化に随いて論じ広むるときは限り無きを以てなり。
素問に「持診の道、陰陽を先後して之を持す。奇恒の勢、乃ち六十首(持診之道先後陰陽而持之奇恒之勢、乃六十首)『素問』方盛衰論の一節」とは、これを論じたる者なり。
これ古の聖人、極を建てるの奥旨なり。蓋し三十二証、六十四証の類は、謙、私に易に倣いてこれを論ずるのみ。その数を悉く易に合わせんと欲するには非ざるなり。
又、素問の語を以て考えるときは古の医経は病門を六十に分けたる者か、又六十首は六十四首の誤りか。又、六十首はその概を挙げたる者か。徴を取る所なしと雖も粗医経の趣を見るに堪えたり。
又、易の例を以て考えるに病門を五六十に分けて一病門の中にて二三証、或いは五六証、或いは十余証の変化を論じたる者なるべし。若しこれを悉く易に合わせて病門を六十四と為して一病門に六証の変化を論じたる者と為るときは必ず分配家の説の如く、死物名目の書と為るべし。
秦帝焚書の後、道絶えて古を唱える人なく、漢起きて古書出ると雖も多くは蠧蝕錯簡の余韻のみ。全書あること少なし。
(※蠧:きくいむし。蠧蝕:トショク、虫食い)
(※秦帝焚書:秦の始皇帝に焚書坑儒を参考にされたし)
案ずるに、当時の作者これを論じ広めて古人の名に託し、或いは民間に散りて在る者を集めて編を為し、或いは諸家に載せる所を撰録して、各一家の書と為したる者なり。惜しむべき哉。その書もまた遂に亡びて、今の世に存する者は皆 仲景氏より以来の書にして当時の医風を見ること能わずと雖もまた散逸して今存する者は十中の一二のみ。その真面目を見ること能わざと雖も病門を五六十に分けたる者か。姑(しばら)く考べからず。唐宋より以来、諸科共に専門の学、盛んにして皆病門を数十に分け、病名を数百に分けて論じたる大部の書あり。今、その書を見るに詳らかになることは詳らかなりと雖も、多くは席上の空論にして実事に用べき者は十中の一二のみなり。
これを以て後人疑を起こして辨論する人あれども唯一家の私言を以て互いに是非を争うのみ。
古訓に徴して実事を論定すること少し。故に腐論迂説の書、日に多く月に盛んなり。これ皆 その極みを知らざる者の為す所なり。
吉益為則、この弊風を矯直さんと欲して万病一毒の説を唱う。その功大なりと雖も利刀深く入るが如く、矯直し過ぎて却って聖人の建てたる極を破るに至る。これまたその極みを知らざる者の為す所と同断なり。約なるときは約に過ぎ、詳なるときは詳に過ぎて、その中を執る人少なし。歎ずべきの甚しきなり。
それ医の道は活物にして論じ盡すべからずと雖もその極みを建て、陰陽表裏寒熱虚実を以て論ずるときは万病の証を論じ盡すべきこと、易の活物にして論じ盡すべからずと雖もその極みを建て、六爻の変を以て論ずるときは万物の理を論じ盡すべきが如し。陰陽両儀、八卦六十四卦は易の極なり。陰陽両門を増し、病名を多くして論ずる者は六十四卦に一畫を増して百二十八卦と為るが如く、又、聖人の建てたる病門を破りて万病一毒を唱える者は、六十四卦を破りて陰陽両儀を以て万物の変化を論じ盡さんと為るが如し。倶に異端の説にしてその中を執るの道に非ざるなり。
六十四証は陰陽両証の変態にして陰陽両証は六十四証の全体なること、六十四卦は陰陽両儀の変態にして陰陽両儀は六十四卦の全体なるが如し。故に六十四証に分かつと雖も痰飲は痰飲一証にて陰陽消長を論じ、脚気は脚気一証にて陰陽消長を論ずること、六十四卦に分かつと雖も、火天大有は火天大有一卦にて陰陽消長を論じ、地天泰は地天泰一卦にて陰陽消長を論ずるが如し。これ証を六十四に分けざれば陰陽両証を論ずること能わず。陰陽両証を以て論ぜざれば六十四証を論ずること能わざる所以なり。これ脈状を十余種に分けざれば陰陽二脈を論ずること能わず。陰陽二脈を以て論ぜざれば十余種の脈状を論ずること能わざる所以なり。
陰陽二脈の形容を考えるに、諸書に出る所皆同じからず。傷寒論には大浮数動滑を陽脈とし、沈濇弱弦微を陰脈とし、王叔和以来の脈書には浮芤滑実弦緊洪を七表とし、微沈緩濇遅伏濡弱を八裏とし、長促短虚結牢動細代を陰に属して、これを二十四脈と云う。
或いは濡牢長短なくして数革軟散あり。或いは洪大浮数緊動滑実を陽脈とし、微沈緩澁遅伏軟弱を陰脈とするの類。
小異同ありと雖もこれ皆陰陽二脈を分ちて論じてたる者なり。然れば則ち分配家の脈法と雖も陰陽を分けて論ずることは古人と脈法と異なることなし。唯 形容字に用いると脈の名に用いるとの別のみ。脈の名と為るときは何ぞ二十四脈のみならんや。
素問霊枢より以来、脈に用いる所の形容字は皆 脈の名と為すべきか。若し脈の名と為すときはその数 挙げて算すべからず。これを形容字と為るときは数十字を用ゆと雖も皆 能くその用を為すべし。
これ古人の形容字 数十字を用ゆと雖も皆 能くその用を為すべし。これ古人の形容字 数十を以て一條脈の変態を論ずる所以なり。一條脈の変態多しと雖も洪滑を一類とし、微弱を一類と為るが如く、類を以て聚まるときはその状十余種に過ぎず。故に略して用いるときは浮沈遅数滑濇と云うても陽脈陰脈と云うても皆同じことなり。
王叔和の徒、これを辨ぜず。形容する所の文字を以て脈状の名と定めて一字一字に註解を加えて二三十の脈状と為す。これ脈学の塗炭に墜ちる所以なり。
傷寒論の弱弦微の弦は減の誤りにして、遅脈のことなり。
又、王叔和以来の脈書に陰脈に遅有りて弦無きを以て考えるときは遅に改るともまた可なり。故に今遅に改てこれを論ずるなり。
脈浮弱の如く二字挙げたる脈は二字一意にて浮にして弱き脈を云う。浮脈と合したる脈のことに非ざるなり。
又、脈浮而動数、浮虚而濇の如く、而字を句中に挿れたる者は文章の句法にして別義あることなし。故に一字用いても二字用いても三字用いても、唯 簡古に挙げると詳らかに挙げるとの別のみ。脈状を形容するに至りては同じことなり。これ皆 形容字にその義分明なり。何ぞ註解を加えることを竢(ま)たんや。若し一字一字に註解を加えて論ずるときは却って脈状を辨すること能わざるなり。
陰陽思想を基に展開する医説
本章では易の思想を以て医学を説いています(そんな姿勢が伺い知ることができます)。
八綱弁証に含まれる表裏・虚実・寒熱などは陰陽の対比で表すことができます。八綱弁証では8パターン(陰陽は置いておきます)ですが、ご存知の通り実際の臨床ではもっと複雑に虚実や寒熱が絡み合ってきます。
例えば、病位に焦点を当ててみましょう。
病位は表裏だけでなく、上・中・下や臓・腑・経、三陰三陽…などなど無数の可能性があります。
もちろん病位だけでは診断は十分とはいえません。病位の他にも病質(病の性質)も考慮する必要がありますね。
病の性質も寒熱だけでは説明がつきません。例えば、外因であれば六淫(風寒暑湿燥火)の別、気水血の鑑別も必要となります。
さらに虚実や陰陽を加味して診断する必要がありますね。
診断(証)の他にも複雑な組み合わせはあります。診察の組み合わせにも虚実の矛盾はあります。
本文に「脈虚して形実し、脈実して形虚するが如く」とあるように、脈診と腹診の情報が合わないことがあります。もちろん、このようなことは臨床では往々にしてみられることですが、各診法の情報が合わないという差分が証を立てる上で重要なことなのです。
本章では、証立てを始めとする変化無窮ともいえる病態を、易理でもってその本質を捉えようとする中莖氏の姿勢・試みが伺い知ることができます。
「医の道は活物」という表現は端的にそれを表わしています。
ちなみに易理でもって医説を説く姿勢は『切脈一葦』の他にも『傷寒論正解』にもみられます。