『切脈一葦』脈状⑦-濇脈・魚翔脈・釜沸脈-

『切脈一葦』これまでの内容

1、序文
2、総目
3、脈位
4、反関
5、平脈
6、胃氣
7、脈状その1〔浮・芤・蝦遊〕
8、脈状その2〔滑・洪〕
9、脈状その3〔数・促・雀啄〕
10、脈状その4〔弦・緊・革・牢・弾石〕
11、脈状その5〔実・長〕
12、脈状その6〔沈・伏〕


『切脈一葦』京都大学付属図書館より引用させていただきました
※下記の青枠部分が『切脈一葦』原文の書き下し文になります。
文末にデジタル図書館へのリンクを貼付。

濇 魚翔 釜沸

濇(澀と同じ)
濇は微弱にして粒粒分明ならざる脈を云う。一に澀(渋)と云い、虚脈の体なり。
浮濇は表虚なり。沈濇は裏虚なり。
又、病毒に痞塞せられて濇脈を見わす者あり。全証を参考すべし。
細にして遅く、往来難しくして且つ散じ、或いは一止して復た来たる者を濇とする説あり。
後人この説を潤色して、雨の沙(すな)を沾(うるお)すが如しと説く者あり。刀にて竹を刮(けず)るが如しと説く者あり。
後人、またこの説を釈して竹刀を以て竹皮を刮るときは濇る、これ往来難の意なり。
沙は聚まらざる物、雨これを沾すと雖も細かにして散ず。これ往来散ずるの意なり。
と、これみなその言巧みにして畫(か)くが如しと雖も、病人の脈を診するの時に臨みて斯くの如くにその脈状を細かに辨ずることは決して能わざる所なり。
惣じて後世の脈説、実事に害あることみなこの類なり。

魚翔は魚の止まり頭尾を動揺するが如く、ヒクヒク(ピクピク?)として流行せざる脈を云う。これ即ち濇脈の極みにして七死の脈の一なり。
釜沸は釜中の湯の沸くが如くにして流行せざる脈を云う。これまた濇脈の極みにして七死の脈の一なり。

濇脈(渋脈)は滑脈と対になる脈状です。
濇を表わす言葉に「粒粒分明ならざる」とありますが、滑脈ではその正反対の表現が使われています。
脈状を理解するには、対となる脈状を比較することで容易になります。

「このように言葉巧みに(脈状のことを)言っても、臨床でそのように細かく弁ずることはないものです」
つまりは脈状を説明するために、詩的な表現を用いられることがしばしばです。

たとえば「春の楊の葉のような…」とか
「雨の沙を沾おすがごとく…」とか
「楊花の散漫して飛ぶに似たり。」とか…こんな脈状の表現。

これらの表現で実際に脈の感触を表わすものはどれだけあるでしょうか?
多くの初級者は「詩的な表現=脈の感触」として解するでしょうね。
(以前の私もそうでした)

しかし実際には違いますよね。
小刀で竹を削っても濇脈の感触にはなりません。
(実際に竹を小刀で削ってみた人はどれだけいるだろう…笑)

しかし、詩的表現の中で唯一『なるほど!』と理解できた表現があります。

それは濇脈(渋脈)の表現。
「如病蚕食葉(病気のイモムシが葉っぱを食べるが如し)』です。
このポエムをみて『なるほど!これが濇脈を表わす言葉なのか!』と、ストンと腑に落ちたことがあります。

とはいえ、このポエムをみて濇脈を理解できる人はそうはいないでしょう(笑)
イモムシが葉っぱを食べる様子を即座に脳内再生できない人には「如病蚕食葉」の譬えは通じません。

同様に、竹を小刀で削る経験を持たない現代日本人に「濇脈は小刀で竹を削るような脈」といくら教えたところで通じるわけがないのです。

脈診の中でも特に脈状は主観的・感覚的な情報を集めて、客観的な論理にはめ込んで分析する技術です。
それだけに主観と客観を冷静に行き来できる能力が必要となります。

ちなみにこれと似た条件を要する職業にソムリエがあります(と思っています)。

脈診家は指先の感覚から得た情報を、診断治療といった客観的な形に変換して実用化しています。
ソムリエは味覚から得た主観的情報を分析し、ワインを判断し他者に勧めたりテイスティングに活かしたりします。

どちらも感覚+感性という主観的な方法で情報を集め、その情報を客観的に分析し、各々の現場に還元しています。
『たたかうソムリエ』で描かれているソムリエの分析する思考が、非常に鍼灸師の臨床的思考と共通していたことを記憶しています。
そのような理由から「ハリトヒト。の推薦図書』では『たたかうソムリエ』をお薦めしたのです。

鍼道五経会 足立繁久

 

 

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