『切脈一葦』脈状③-数脈・促脈・雀啄脈-

脈のベクトルではなく脈数

『切脈一葦』脈状編その3です。

今回の脈状は数脈と促脈、そして雀啄脈です。
前回は脈力の方向性・脈のベクトルを基軸に『切脈一葦』の脈状論を考察しました。

今回は数脈・促脈・雀啄脈です。
力のベクトルが主ではなく、速さ=脈数が主役となります。

脈数の奥深さ…の一端を紹介できればうれしく思います。


画像は『切脈一葦』(京都大学附属図書館所蔵)部分より引用させていただきました。
下記の青枠部分が『切脈一葦』原文の書き下し文になります。
文末にデジタル図書館へのリンクを貼付。

数 促 雀啄

数、急疾動躁駃(※1)同じ
数は医者の一息に病人の脈六動以上を云う。実脈の数なり。
八九以上は死に近きの候にして、呼吸も胸膈を越えること能わず。
唯 呼(呼気)ばかりにて吸(吸気)なき者なり。
これ精氣が下に尽きて、孤陽が上に亢ぶるの候なり。

数にして力ある者は実熱なり。数にして力なき者は虚熱なり。
浮数は表熱なり。沈数は裏熱なり。暴数(※2)は外邪なり。久数は虚損なり。細数は極虚なり。

病退きて数存する者は未だ全快に非ず。数退いて証危うき者は精氣脱するの候なり。
雑病に数脈を見わす者は急に治し難く、病久しくして数脈を見わす者は尤(もっと)も恐るべし。
卒病にして数脈を見わす者は急変を生ずることあり。
無病の人に数脈を見わす者は勞瘵の催しなり。

小児の脈は六動を常とす。大人と同じからず。
然れども、数激しき者は驚を発することあり。

数脈は内熱の候と雖も虚寒に属する者あり。一概に熱と為すべからず。
熱毒深き者は脈反て数ならず。唯 洪滑にして力ある者多く、虚寒激しき者にして脈反て急数なる者あり。
全証を参考して寒熱の決断をすべし。

動は数急なる脈の形容なり。静の反対にして数脈と同じ。動数、遅に変じるの動は、動数二字にて数脈の激しき勢いを云うなり。

関上に見れて頭尾なく、豆の大きさの如き者を動とする説あり(※3)。これは動の字より出たる説にして空論なり。
急、疾、動、躁、駃の類はみな数と同意なり。
唯 数は数を主とし、急、疾、動、躁、駃は勢いを主と為るのみ。文章の語路に因りて疾の字を用いても、急の字を用いても同じことなり。
もし分配家の如く、字義を穿鑿して六種に分けてその脈状を細かに論ずるときは、必ず空論と為るべし。

促は急促の促にして、数急の中に結促する脈を云うなり。
多くは汗下の後に見われる脈にして、陽証に虚を帯びるの候なり。
仲景氏の謂う所、脈促手足厥冷と云い、脈促胸満と云い、脈促なる者は表未だ解せざると云うの類、これなり。
又、病毒に痞塞せられて結促する者あり。全証を参考すべし。

数脈、魚際に上る者を以て促と為る説あり。これは促の字義より出たる説にして空論なり。
熱は固(もと)より進む勢あるを以て証を上部に見わし、脈もまた進みて洪数を見わすこと、必然の理なり。
もし促を数の極みにして寸口に促し、魚際に上ると為すときは、滑数洪数の如き、大熱の脈もみな寸口に促し、魚際に上るべし。
何ぞ促脈のみに限らんや。その説の通ぜざること見るべし。

雀啄は雀の食を啄む状の如く、数脈の中に結促する間の長き脈を云う。これ即ち促脈の極みにして七死の脈の一なり。

※1:駃(ケツ)…馬の足が速いの意
※2:暴数…久数に対して急に数を呈する脈を指して言うのであろう。
※3:関上に見れて頭尾なく、豆の大きさの如き者を動とする説について
「陰陽相搏、名曰動。陽動則汗出、陰動則発熱。形冷、悪寒者、此三焦傷也。若数脈見於関上、上下無頭尾、如豆大、厥厥與陽脈同等者、名曰動也。」(傷寒雑病論 辨脉法)

このカテゴリーには数脈、促脈、雀啄脈(七死脈のひとつ)が分類されています。

以前、「脈診の三機(脈機)について」に書いたことがありますが、脈診にはいくつかの要素に分けることができます。
脈数・脈位・脈力・脈状・脈機と私は脈診を5つの要素に分類しています。
(これら要素の中に脈形・脈幅・脈勢などの細かい要素が含まれます。)

数脈はこれら要素の中の脈数に含まれます。
脈数というのは実は奥が深いもので、単に病の寒熱を推し量る指標だけではないのです。
本来、脈数が示しているものは生命力・気の力なのです。

一般的には正気の力をみる要素としては脈力が挙げられると思います。もちろん私も同意見です。
しかし、脈数(数遅これに結代を含む)はそれ以上に生命力を示す脈の最重要ファクターとなるのです。

ある一定のステージに差し掛かると、死生吉凶を占うためには脈の数遅は重要な所見です。
また、七死脈においても脈数が関与する脈は3種(雀啄脈、屋漏脈、蝦遊脈)もあります。

死脈、すなわち死生吉凶を候う脈について調べるほどに、脈数と息数の関係が重要であることが分かります。
脈数と息数の調和がいかに重要なのかは以下の記事を参考にしてみてください

経脈を流れる氣の速さと呼吸
死脈を考える1 脈と呼吸【難経一難を中心に】
死脈を考える3 脈と呼吸【難経十四難から】
脈五十至から27108を考える

また、死が近づく危急の時だけに脈数の変動が起こるのではありません。
ここで挙げられているように、小児・子どもの脈は基本的に数脈です。
それはなぜか?

子どもは生命力が満ちていて、常にその力が発動されているからです。
器となる身体・そこに内蔵する精神を常に大きく構築(成長)しようと盛んに活動しているからこそ、常の脈として数脈があらわれるのです。

もちろん大人でも生命力が過剰に発動されれば数脈があらわれます。
運動時や発熱時などがこれにあたります。

また妊娠中やお産に臨むときにも数脈は現れます。

妊娠中は生命を新たに体内(胎内)で作りあげる期間です。生命力の過剰な発動が起こっていると言っても過言ではありません。

また、お産が間近になると、いつもとは違う脈(特に数脈など)があらわれると言われています。
これを離経の脈といいます。経とは“つね”。平常とは異なる脈があらわれるという意味です。

例えば、いつもは軟脈、緩脈、滑脈、大脈が中心だったのが、突然に弦脈を主体とした脈状が現れたりします。
このような緊張性の高い脈に加えて数脈が加わった時、お産がもう一段階近づいたと判断する目安になります。

弦脈は緊張や痛み(平滑筋の収縮・陣痛)、数脈は生命力の発動(お産・分娩)だと考察することができます。

 

鍼道五経会 足立繁久

 

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