現われざる脈
今回のテーマは微脈です。虚脈と同様に氣血ともに虚を示す脈状です。
まずは『診家枢要』が説く微脈をテンプレート通りに読んでいくとしましょう。
微脈の特徴をひと言でいうと「顕(あらわ)れざる脈」。その特徴を形容する言葉が「依稀」「軽細」「有るが若く無きが若く」です。(分からない漢字は各自で調べましょう)
微脈が表わす人体のコンディションが「氣血俱に虚する候」つまりは気血両虚ですね。
以下の病症群については、脈位と微脈という脈状を組み合わせて考えると自ずと理解できることでしょう。
脉陰陽類成
微脈とは顕れざる也。
依稀軽細にして、有るが若く無きが若し。
氣血倶に虚するの候と為る。
虚弱と為し、泄と為し、虚汗と為し、崩漏、敗血すること止まずと為し、少氣と為す。浮にして微脈なる者は、陽不足し、必ず身悪寒する。
沈にして微脈なる者は、陰不足し、藏寒不利を主る。
左寸口の微脈は、心虚、擾惕、榮血不足、頭痛胸痞、虚勞盗汗する。
関上の微脈は、胸満氣乏、四肢悪寒し拘急する。
尺中の微脈は、敗血止まず、男性は傷精尿血と為し、女性は血崩帯下と為す。
右寸口の微脈は、上焦寒痞、冷痰不化、中寒少氣と為す。
関上の微脈は、胃寒氣脹、食不化、脾虚噫氣、心腹冷痛と為す。
尺中の微脈は、臓寒泄瀉、臍下冷痛と為す。
微脈は虚候、とくに気血両虚を示す脈状であるということは異論の無いことだと思います。記載された各病症についてもまずまず納得可能な範疇にあるかとも思います。
ではここで同じ氣血俱虚と説かれた虚脈と微脈の違いについて考察してみましょう。
微脈と虚脈とは何が違う?
同じ「氣血俱虚の候」とされる微脈と虚脈。ではどこが違うのでしょうか?
まずは脈の感触・脈の表情から比較してみましょう。
微脈は「顕れざる脈」「有るが如し無きが若し」と表現されるように、探しても分かりにくい「かすかな脈」「かそけき脈」との印象が強いです。
対する虚脈は「脈力は無いが脈幅はある」という印象を受けます。虚脈の説明にある「実せざる脈」「散大にして軟」「挙按して豁然と自ら固すること能わず」といった記載がその証拠です。
微(かすか)か幽(かそけ)き脈としての微脈、これに対して虚脈は触れやすい脈幅を持つけど掴もうとすると脆い脈…といった比較表現になるでしょうか。
ともあれ、微脈と虚脈の感触が違う(脈状が異なる)のは一目瞭然であることが分かります。
ではなぜ虚脈と微脈はともに同じ「氣血倶虚の候」となるのでしょうか?
異なる脈状で同じ証候を示すことに矛盾はないのでしょうか?
「同病異治」という考え方に慣れた人ならさほど疑問にも感じないかもしれません。
しかし、同じ虚系の脈状(虚に属する脈)で感触が異なり(脈状が異なる)、それでいて証候は同じ…このことはやはり矛盾として感じ、冷静に考察しておくべきだと思います。
病症群の比較をしてみましょう。
虚脈は「暑」「虚煩多汗」「恍惚多驚」「小児驚風」といった病症群。
微脈は「弱」「泄」「虚汗」「崩漏敗血不止」「少氣」といった病症が挙げられています。各脈位ではそれに相応する病症が挙げられています。
これ等の病症群の比較から微脈と虚脈の違いの鍵となるのは“時間”と言えるのではないでしょうか。
時間の違いは同じ氣血両虚を示す脈でありながら、まったく異なる脈状としてあらわれることになるのです。当然、時間差という条件は病理に影響を及ぼします。
病理が異なるということは、同じ気血両虚であっても治療方針が異なります。ここは臨床家ならば異論はないところかと思います。
このことは例えば血虚においても同様の現象がみられます。また血虚がテーマの時にでも詳解するとしましょう。
このときのアシタカの脈を答えよ
スタジオジブリの作品静止画『もののけ姫』より
背後からいきなりズドン!と銃撃されながらも重い砦門を持ち上げ、サンを担いで“たたら場(踏鞴?鑪?)”から連れ出したアシタカ。このとき劇中では大量出血したシーンがあり、直後にバタンと倒れ伏します。(倒れるやいなや山犬にかみ殺されそうにもなり…)散々な目に遇うアシタカ。
苦労の甲斐あって?このシーンではサン嬢に介護されていますが、さて問題です。
この時のアシタカの脈は微脈でしょうか?虚脈でしょうか?はたまた別の脈でしょうか?
また、その理由を述べよ…です。
鍼道五経会 足立繁久
原文を以下に付記
■原文 脉陰陽類成
微、不顕也。依稀軽細、若有若無。
為氣血倶虚之候。為虚弱、為泄、為虚汗、為崩漏敗血不止、為少氣。
浮而微者、陽不足、必身悪寒。沈而微者陰不足、主藏寒不利。
左寸微、心虚、擾惕、榮血不足、頭痛胸痞、虚勞盗汗。
関微、胸満氣乏、四肢悪寒拘急。
尺微、敗血不止、男為傷精尿血、女為血崩帯下。
右寸微、上焦寒痞、冷痰不化、中寒少氣。
関微、胃寒氣脹、食不化、脾虚噫氣、心腹冷痛。
尺微、臓寒泄瀉、臍下冷痛。