死脈を考える 3 脈と呼吸【難経十四難から】

鍼道五経会の足立です。例によって死脈考その3です。

脈と呼吸で生命力をはかる十四難

難経一難、八難、十一難…と続いて、今回は十四難の呼吸と死脈との関わりを書いてみようと思います。

現代語風に十四難の文を一部抜粋しますと次のようになります。

十四難に曰く、脈に損と至があるが何のことか?
然り。
至の脈は一呼に二至を平という。
一呼に三至を離経という。
一呼に四至を奪精という。
一呼に五至を死という。
一呼に六至を命絶という。
これらが至の脈である。何を損の脈というのか?
一呼に一至を離經という。
二呼に一至を奪精という。
三呼に一至を死という。
四呼に一至を命絶という。
これらが損の脈という。至脈は下より上り、損脈は上より下る。
原文は長文のため、今回は記事の最後に貼り付けています。

と、以上のように息数と脈数の和・不和によって平・病・死を分けています。

至脈は数脈ベース、損脈は遅脈ベースの異常脈として分類しているようです。遅数の区分は前々難の九難に臓腑(陰陽)を弁別する脈法として前述されています。

離経とは経(つね)を離れる、即ち平常から離れる状態であります。つまりこの場合は“病の状態”であると理解できます。
ですから、一呼三至(=一息六至、閏を入れると七至)、一呼一至(一息二至、閏を入れると三至…に近いか)は病脈レベルの数脈、遅脈だといえます。

では、離経から次の段階、奪精・死・絶命の段階に進みます。

…と、その前にイメージしやすいように単位を変えて至脈・損脈を見直してみましょう。

もう少し分かりやすく?至脈と損脈の目安

至脈、損脈ともに「一呼に何至の脈か?」という診かたですが、至脈は一呼一吸つまり“一息”を単位にして脈数を見直します。すると下枠のようになります。

■至脈
一息、四至=平脈
一息、六至=離経
一息、八至=奪精
一息、十至=死
一息、十二至=命絶

損脈は遅脈ベースですので、一息を基準にすると脈数は1以下になってしまう脈もあります。ですので脈数“二至”を基準に息数をカウントします。

■損脈
一息、二至=離経
二息、二至=奪精(一息一至)
三息、二至=死
四息、二至=命絶(二息で一至)

 十四難損至脉病生死図(『鍥王氏秘伝図註八十一難経評林捷径統宗』難経古註集成3 東洋医学研究会 発行 より引用させていただきました)

特に危険そうな“奪精・死・命絶”の息数と脈数を(至脈、損脈ともに)下表にまとめます。※閏はここでは省略としました。

 至脈損脈
奪精一息八至一息一至
一息十至三息二至
命絶一息十二至四息二至

奪精の段階は、精が奪われ失う段階です。その名称から既に危ない雰囲気を漂わせていますね。
死の段階は、死を覚悟すべき段階…かと思いきや、同難の後段には“難治”であると指定されています。
絶命の段階が“死脈”です。まさに命が絶えんとする時であると理解します。

至脈を体験してみよう!

実際にこれらの身体の状態がどんな感じか試してみました。(もちろんまだ私は生きています)

とはいえ、至脈の奪精、死、絶命にまで行く(逝く?)には無理があります。
ですので、脈数と息数を本当の意味で不調和の状態にさせるのはあきらめて(ホントに実現しても困りますし…)、脈数だけを早めることにしました。疑似的・至脈体験です。

脈数だけを早める手段はコレ↓

 ダッシュ=無酸素運動です。

実際に平地200mダッシュした直後で脈数は十至~十一至になります。普段の私はまだ平~離経の段階にいると思いますので、脈も乱れますが、息数(呼吸)も同じように乱れます。

カウントしてみると、脈数十~十一至に対して、息数六~七回というところです。
しかし、この状態で息数を一息にして、一息十至に近づけてみましょう。至脈の死に近い“死レベル”です。

当たり前ですが、苦しいですね。
さらに“絶命レベル”に行こうと十二至を目指します。体力が衰えた今の私の身体では脈を乱すことは簡単ですが、何度も走るのは堪えます。

※あくまでも人為的・疑似的に至脈に近づけている状態ですので、この場合を“奪精レベル” “死レベル” “絶命レベル”とレベルを付けて書き分けることにします。これは損脈の実験においても同様の表記とします。

 この膝関節の余裕の無さが運動不足を物語っている…

44才を迎えた私にとって十二至の壁を超えるのはそう難しいことでありません。
先ほどの十至のときと同様に、息数を一至に縮めます。・・・なるほど、苦しい段階であることが実感できます。

損脈を体感してみよう!

そしてもうひとつ。損脈を疑似的に体感するには、どうしたらいいでしょう?遅脈ベースの損脈ですと、息数に対し脈数を少なくしなくてはなりません。

ヨガの行者、しかも達人クラスになると拍動を調整することもできる…と、そんな話も聞いたことがあります。しかし、私は凡人ですのでそんな脈数の調整は不可能です。

考えた結果、通常の脈数に対し息数を変えて損脈に近づけることにしました(反則でしょうけど、ハイ)。

離経・損脈は一息二至ですので、“離経レベル”は脈二拍の間に呼吸一回とします。

奪精・損脈は二息二至ですので、“奪精レベル”は脈二拍の間に呼吸二回とします。

死・損脈は三息二至ですので、“死レベル”は脈二拍の間に呼吸三回とします。

絶命・損脈は四息二至ですので、“絶命レベル”は脈二拍の間に呼吸四回とします。

さらに脈数二至の定義を決めます。平人の呼吸時間は6.4秒です。そして呼気と吸気はそれぞれ3秒と3秒です(呼気と吸気の間、閏を0.4秒としました。強引でスミマセン…)この数字に関しては経脈を流れる氣の速さと呼吸を参照のこと。

ですから、一呼は3秒という条件で、呼吸を合わせていきます。すると・・・

離経レベル(一息二至)は3秒間で一呼吸です。平常の半分の時間で呼吸をする計算になります。

試してみると、なるほど早い呼吸…というよりも、それほど違和感の少ない呼吸ペースです。ネット情報にもある現代人の呼吸ペースに近い(1分間に12~16回との説あり、3.75~5秒/呼吸)とも言えるでしょう。

奪精レベル(二息二至)は3秒間で2回の呼吸です。これも人によっては早い呼吸には感じられないペースでしょうね。

死レベル(三息二至)だと3秒の内に3回呼吸。ここまで来ると荒い呼吸です。
命絶レベル(四息二至)は3秒の打ちに4回呼吸。これも死レベルよりもさらに荒い呼吸となります。

※離経・奪精・死・命絶の損脈と書いていますが、離経・奪精・死・命絶に相当する呼吸の乱れです。厳密には離経損脈・奪精損脈・死損脈・命絶損脈ではありませんので、ご了承の上、読み進めてください。

この命絶レベルの呼吸(浅く早い呼吸)を1分も続けていると、脈は完全に数・浮にシフトします(早い人なら30秒でも変化します)。

陽の性質を帯びる(帯びさせる)呼吸法ですので、当然の変化といえます。陰陽のバランスを取らないままこの状態を続けると、陰氣・陰臓が消耗することになるのでしょう。

面白いことに隣でこの呼吸音を聞いていた人(私の妻ですが)は胸がザワザワして、苛々すると言っていました(笑)。気を上らせるのでしょう。呼吸は個人のものだけでなく、全体につながるものですから。

さて、厳密には至脈・損脈ではないとはいえ、この実験から至脈・損脈に近い脈数・息数を人為的・疑似的に体験するだけでも身体に宜しくない(悪そうだ…)ということが分かります。

加えてもう一つ気付いたことがあります。それは損脈のことです。実験するまでは損脈とは遅脈ベースだと考えていたのですが、基準を息数(呼吸)に切り替えると、現代人が日常的に行っている呼吸は損脈の離経に近い状態にあるということが分かります。

至脈と損脈の死脈

至脈では、一息十至の死の段階はその名とは裏腹に“難治”と指定されており、死脈として指定されているのは命絶段階である一息十二至です。

損脈では命絶(四息二至)の段階を無魂、または行尸(生ける屍のような状態)としています。至脈の絶命と同じく死脈扱いです。

ですが、無魄や行尸といった「魂が抜けかかっている存在」「死にゆくことに気付いていない状態」として表現されており、死脈とは違った趣きが感じられます。呼吸の乱れというのは、それほどまでに密かに藏氣を傷つける要素であるということが想像されます。

呼吸と脈のケアこそが鍼灸師の専門分野

さて、ここからが臨床の話です。
日常での脈と呼吸の調和に注目しケアすることは、鍼灸師の得意領域だと言えます。脈診で脈数をチェックして調整する。腹診の際に呼吸の状態(静・動や深・浅)をみて呼吸指導したり納氣のはたらきを強めたり…と、できることはまだまだあるのではないでしょうか。

一般的には心拍のペース調整は難しいこととされていますが、鍼灸では脈の遅数を調えることは可能です。
また、呼吸の調整は患者さんにとっても、特殊ケースを除いて可能だと思います。

治療の締めに呼吸法の指導を行ったり、日常での深呼吸や腹式呼吸を習慣づけるように指導したり…等々、患者さんの潜在的な生命力を保持することにも働きかけることができると考えます。

最後に…十四難はまだ終わりではない

あたかも十四難を最後まで解説したかのようなまとめでしたが、実際の十四難ではまだまだお話は続きます。今回の記事は十四難のホンの一部について書いているだけに過ぎません。(下青枠・原文「附、難経十四難の原文」の下線部に相当)

至脈と損脈の陰陽の違い、具体的な病症、そして治法…と。治法が提示されているのはありがたい情報です。ですから、この記事を読んで興味や勉強する必要性を感じた方は十四難を熟読されることをお勧めします。

しかし十四難の末には捨ておけない文がありますので、ここに触れて締めとします。

上部に脈があり、下部に脈が無い者は、嘔吐させるべきである。嘔吐しなければ死する。
上部に脈は無く、下部に脈がある者は、たとえ困窮した状態であっても害となることは無い。
このことを譬えるならば、人の脈に尺中脈があるのは、樹木に根があることと同じである。
仮に枝葉が枯れたとしても、根本から自然とまた生えてくるものである。
脈に根本がある者は人に元氣・生命力があることを示すので、死なないということが分かるのだ。
上部有脈、下部無脈、其人當吐、不吐者死。
上部無脈、下部有脈、雖困無能為害也。
所以然者、譬如人之有尺、樹之有根、枝葉雖枯槁、根本将自生。
脈有根本、人有元氣、故知不死。

と、八難につながる話で十四難は締めくくられています。そして根に相当する存在が生氣の原、腎間の動氣であります。そのため、脈の中でも特に尺脈に注目するのです。

そして、その根はそのまま呼吸の門でもあり、呼吸の質が良くも悪くも生氣の原に影響するのです。

また、五臓六腑の本、十二経の根という表現からも各々の枝分かれ先で治療し調和させることができます。これも我われの専門領域ですね。

鍼灸師がケアできる枝葉を挙げると経絡(脈氣)・五臓六腑・呼吸の3つ。これら3つを入り口に人体にアプローチすることができるのです。治療家の臨床における工夫が問われるところです。

附、難経十四難の原文

十四難曰、脈有損至、何謂也。
然、
至之脈、一呼再至曰平、三至曰離経、四至曰奪精、五至曰死、六至曰命絶。
此至之脈也。
何謂損。
一呼一至曰離經、二呼一至曰奪精、三呼一至曰死、四呼一至曰命絶。
此謂損之脈也。
至脉従下上、損脉従上下也。
損脉之為病、奈何。
然、
一損損於皮毛、皮聚而毛落。
二損損於血脈、血脈虚少、不能榮於五臓六府也。
三損損於肌肉、肌肉消痩、飲食不為肌膚。
四損損於筋、筋緩不能自收持也。
五損損於骨、骨痿不能起於牀(床)。
反此者至於收病也。
従上下者.骨痿不能起於牀(床)者死。
従下上者.皮聚而毛落者死。
治損之法奈何。
然、
損其肺者、益其氣。
損其心者、調其榮衞。
損其脾者、調其飲食、適其寒温。
損其肝者、緩其中。
損其腎者、益其精。
此治損之法也。
脉、
有一呼再至、一吸再至。
有一呼三至、一吸三至。
有一呼四至、一吸四至。
有一呼五至、一吸五至。
有一呼六至、一吸六至。
有一呼一至、一吸一至。
有再呼一至、再吸一至。
有呼吸再至。
脈来如此、何以別知其病也。
然、
脈来一呼再至、一吸再至、不大不小、曰平。
一呼三至、一吸三至、為適得病、前大後小、即頭痛目眩。前小後大、即胸満短氣。
一呼四至、一吸四至、病欲甚、脈洪大者、苦煩滿、沈細者、腹中痛、滑者傷熱、濇者中霧露。
一呼五至、一吸五至、其人當困、沈細夜加、浮大晝加、不大不小、雖困可治、其有大小者、為難治
一呼六至、一吸六至、為死脈也、沈細夜死、浮大晝死。
一呼一至、一吸一至、名曰損。人雖能行、猶當著牀、所以然者、血氣皆不足故也。
再呼一至、再吸一至、名曰無魂。無魂者當死也。人雖能行、名曰行尸
上部有脈、下部無脈、其人當吐、不吐者死。
上部無脈、下部有脈、雖困無能為害也。
所以然者、譬如人之有尺、樹之有根、枝葉雖枯槁、根本将自生。
脈有根本、人有元氣、故知不死。

原文はけっこう長文ですね。

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