昆活とは生命力を感じること

鍼道五経会の足立です。

夏は生き物の季節です。
私は生き物、特に昆虫が好きですが、よく見つけ、よく捕まえます。最近では虫と遊ぶことを昆活とも呼ぶらしいですね。

今回はこの数年間、撮りためた蔵出し写真と私の経験を紹介します。(ただ虫の写真を載せたいだけかも…ですが)

勉強会でも勧めている昆活

それは「生命力を持つ存在に触れること」です。

生命力を持つものという点では動物も良いですが、昆虫は難易度が高いという点でお勧めです。

なにが難しいって、表情がないことです。虫には犬や猫のように感情の起伏が見られない点が難しいのです。

犬や猫なら機嫌の良いとき悪いときも分かるでしょうし、元気が有る無しも分かりやすいです。
感情表現が豊かということ自体がヒントなのです。

しかし虫はそうはいきません。感情表現が無い点で大幅にヒントが減ります。

それでも虫に慣れた人・虫好きな人なら動きや雰囲気、目の光で分かってくるのです。

相手の動き・雰囲気・目の光や艶…このような情報を得て、元気かどうかを観る。

これぞ望診です。つまり昆活は望診の練習になるのです。

切診の訓練にもなる昆活

「生命力を持つ生き物に触れることが脈診の練習になる」と私は思っています。

ですので、イモムシなんかも積極的に触りますね。

これはヨトウガの仲間の幼虫。緩滑脈系の感触。


カブトムシの幼虫(蠐螬)は緩大滑脈の感触。有力な緩脈の下に滑脈が隠れている。

ナマコを触った時も、種類によって感触が全く違いました。

↑上と↓下の写真のナマコの感触はまったく異なる。(和歌山県立自然博物館にて)

上写真の茶色いナマコの感触は軟弦脈(弦脈の上に軟脈が乗っかっている感じ)でしたが、
黒いナマコは、軟弱脈(軟脈の下に空虚な空間がある)の感触で、脈証としてはあまり良い状態では無かったです。
しかし、弱脈かと思いきや次の瞬間にはググーッと力が満ちてきて軟・有力の感触に変化したきたのも印象に残っています。

生き物に触れることから学ぶこと

生き物を触ると感じることは2つあります。

1つは脈状に譬えても、単一の脈状には収まらないこと。

例えば、軟脈を主体とする感触のものでも、その奥に弦のような感触があったり滑のような感触があったりと複層的な感触を持ちます。
単一の感触ではない。これは『素問』平人気象論と同じで「但弦無胃曰死」いわゆる真藏脈=死脈ということに通じるのかもしれません…。

そしてもう1つ、体の奥底から押し上げてくる力です。

イモムシにせよ、ナマコにせよ、中から押し上げてくる力=生命力があります。脈診でいうところの“有力”や“根がある状態”に近いものだと思います。

例としていろんな脈状(軟脈滑脈等々…)を書きましたが、生き物の感触=脈状の訓練になるという訳ではありません。一番に見るべきもの感じるべきことは生命力なのです。
指先に触れる感触から気や力を感じ取ることは経穴や脈に触れることに通じるものがあるのです。

とはいえ、生き物の他にも独特の感触を持つものもあります。

上の写真はジョロウグモの巣の縦糸。
ジョロウグモは秋の頃に大きく成長して営巣します。この頃の糸はしっかりしています。

ちなみにクモの糸という比喩を使っている脈状は『傷寒論』辨脈法にあります。
「脈縈縈、如蜘蛛絲者、陽氣衰也」と。

余談ながら…
この条文が意味するところが“蜘蛛の糸の感触”か?と言われると微妙ではあります。おそらく感触より形状のことを指しているのではないかと思います。
対になる陽氣微の脈の条文も「脈瞥瞥、如羹上肥者、陽氣微也」ですから。

気の有無をみる昆活

話は生命力に戻ります。
脈診の他にも、虫の気に触れることもできます。

それがこの時期によく見られるセミの羽化(脱皮)。セミの幼虫の背中が割れて成虫が姿を現わします。

↑この背中が割れる前の幼虫の背中からはかなり活発に気が溢れている感触がわかります。(こんなこと書くと変な人認定されますが)


↑気の流れがわかる人や、興味がある人はセミの幼虫の背中に手をかざしてみてください。ただし直接触れてはいけません。


↑このように手のひらに包むようにしても背中側に感じられる“何か”があるものです。

他にも生命力に溢れた時期の昆虫に触れるだけが訓練ではありません。

生命力が尽きかけている昆虫に触れることも鍼灸師の昆活のひとつです。

8月の中旬にもなると、セミも勢いが落ちてきて、よく道路に落ちています。

ひっくり返った状態のセミに油断して近づくと、突然に「ジジジッ!!」と鳴きながら飛んでいくヤツもいます。この突然の復活(?)ドキッとさせられた人も多いのではないでしょうか。セミ爆弾やセミファイナルと呼ぶ…と、ネット情報にありました(笑)

「道端に落ちているセミが死んでるのか?死んでないのか?」を見極めるのも望診の練習になるのでは?と毎年夏の後半に観察しています。

上の写真はどちらも道に落ちているクマゼミ。どちらもお亡くなりになっている。閉証と脱証…というより死後硬直の違い。
左に比べて右の方が死亡間もないセミのように思われる。
右側のセミは死後硬直?のため足を閉じている。そして目の光が空虚。


↑これはアゲハチョウの蛹(さなぎ)。寄生蜂にやられてすでに死んでいる。アオムシコバチの仕業と思われる。
観た目もすでに枯れているが、触れた感触もかさついている。まさにもぬけの殻の状態である。

以上のように、虫を相手に聞診と問診をすることはできません。しかし、望診と切診を行うのは可能なのです。

ちなみに虫に苦手な人は植物でも応用できます。

葉っぱや全体の状態をみて「あ、これは水をやらなアカン!」とか、「水は充分足りている。しばらく水やりを控えなアカンな~…」とか、「日に当てないと(もしくは日陰にいれないと)」などなど…農家や園芸家の方々は経験と知恵と直観で、いえむしろ自然に判断しますよね。

いろいろ自分の得意分野につなげて鍼灸の腕磨きに応用するのが良いと思います。

 

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