長脈とは『瀕湖脈学』より

脈を構成する脈

脈状には浮沈・遅数・滑濇・虚実と脈状には大きな対比がありますが、長短や大小は脈象・脈状を構成する要素としてもよく用いられています。

臨床でも短脈や長脈はしばしば見受けられます。


※『瀕湖脈学』(『重刊本草綱目』内に収録)京都大学付属図書館より引用させていただきました
※下記の黄色枠部分が『瀕湖脈学』の書き下し文、記事末青枠内に原文を引用しています。

長 陽

長脈とは、大ならず小ならず、迢迢として自若なり。(朱氏)
長竿の末梢まで掲げるが如しを平と為し。縄を引くが如く、長竿を循るが如くを、病と為す。(『素問』)

長脈に、三部の長と一部の長あり、時に在りては春と為し、人に在りては肝と為す。
心脈の長は神強く氣壮ん、腎脈の長は蔕固く根深し。
経に曰く、長なるときは則ち氣治まる、皆(みな)平脈を言う也。

【体状相類詩】
本位を過ぎる脈を長と名づく。弦なるときは則ち然るに非ず但だ満張。
弦脈と長は争いて較ぶること遠し、良工は尺度を自ずから能く量る。

実、牢、弦、緊はみな長脈を兼ねる。

【主病詩】
長脈は迢迢として大小匀し、常に反するを病と為し縄を牽くに似たり。
若し陽毒に非ざれば癲癇の病、即ちこれ陽明の熱勢深し。

長は有余の病を主る。

竿に譬えられる長脈

今時、長竿をパッとイメージできる人も少ないのではないでしょうか。もしかしたら長竿と聞いて物干し竿を思い出す人もいるかもしれません。物干し竿といっても、昭和後期・平成・令和では金属パイプの物干し竿しか思い浮かびませんね。このような頑丈な長竿イメージは病脈としての長竿ですね。

平脈としての長竿は「(長竿の)末梢までを掲げるが如し(※全文は記事末に引用)」と『素問』平人気象論第十八にあります。
ここにある長竿の末梢とは何か?
身近なものでは釣り竿を思い浮かべるとよいのではないでしょうか。

スーーーッと、尖端までしなやか伸びる釣り竿のように、脈もしなやかに伸びやかに流れる様を表現したいのだと私は想像しています。
このことを「大ならず小ならず、迢迢として自若なる脈」という朱氏の言葉はうまく言い表しているのではないでしょうか。


写真:しなやかな長竿をその末梢まで掲げるの絵

実際のところ、末端・末梢まで巡らし伸びゆくためには、勢いが必要です。そして勢いが強いと力の“偏り”や“詰まり”が発生することは往々にして起こることです。しかし、そのような偏りや詰まりのない状態を言い表しているのが「不大不小、迢迢自若」ということであり、平という状態なのです。

そして伸びゆく正氣の働きが各部各藏において全うすることで健全な生命活動が行われます。
心藏において心氣が全うすることで、心に藏される神は強く氣も壮んとなります。腎においては蔕もしっかりと緩むことなく締まり、根本の元気も深く根ざし機能するわけです。

弦と長の違い

弦脈の中に長脈が含まれます。しかし長脈=弦脈ではありません。
長脈がもつ「伸び伸びとした氣の動き」を弦脈も共有します。しかし、弦脈にあって長脈にないもの、脈の外郭で起こる出来事や力の衝突などを考慮にいれる必要があります。春という季節を考えると必要な要素です。

※『素問』平人気象論第十八の長脈に関する記述は以下のとおり。
「平肝脉の来たること、耎弱なること招招として長竿の末梢までを掲げるが如し。肝の平と曰う。春は胃氣を以て本と為す。
病肝脉の来たること、盈実而して滑す、長竿を循るが如し。肝病と曰う。」

鍼道五経会 足立繁久

以下に原文を付記しておきます。

■原文

長 陽

長脉、不大不小、迢迢自若。(朱氏)
如掲長竿末梢、為平。如引縄、如循長竿、為病。(『素問』)

長有三部之長、一部之長、在時為春、在人為肝。心脉長神強氣壮、腎脉長蔕固根深。
経曰、長則氣治、皆言平脉也。

【體状相類詩】
過于本位脉名長。弦則非然但満張。
弦脉與長争較遠、良工尺度自能量。

實、牢、弦、緊、皆兼長脉

【主病詩】
長脉迢迢大小匀、反常為病似牽縄。
若非陽毒癲癇病、即是陽明熱勢深。

長主有餘之病。

 

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