『切脈一葦』脈状②-滑脈と洪脈-

感触とは異なる脈状のカテゴライズ

前回から『切脈一葦』中巻、脈状論の紹介がスタートしました。(前回は『切脈一葦』脈状①-浮脈・芤脈・蝦遊脈-
浮脈と芤脈が同じ系統にカテゴライズされることに中莖氏のセンスを感じる…そんな記事を紹介しました。

感触をベースに脈状を分類しがちな脈状論ですが、中莖氏は脈の中にある力の要素・方向性、すなわち脈力のベクトルに注目しているようです。この観点でみると、前回の浮脈と芤脈、そして今回の滑脈と洪脈の分類は理解しやすくなると思います。

では滑脈と洪脈について紹介しましょう。

画像は『切脈一葦』(京都大学附属図書館所蔵)部分より引用させていただきました。
下記の青枠部分が『切脈一葦』原文の書き下し文になります。
文末にデジタル図書館へのリンクを貼付。

滑 洪

洪(大と同じ)
滑は粒粒分明にして、濇ならざる脈を云う。実脈の体なり。
浮滑は表熱なり。沈滑は裏熱なり。虚損の証に滑脈を見わす者は陰虚火動なり。
虚利の証に滑脈を見わす者は脾胃の傷れなり。

洪は大にして実なる脈を云う。
一に大と云う。実脈の形容なり。
洪と云う一種の脈状あるに非ず。滑と同類なり。
唯 その時の文勢を以て洪と云い、大と云い、滑と云うのみ。その実は一なり。
春潮の初めて至るが如き者を洪と為る説あり、洪水の波の如く大にして皷動する者を洪と為る説あり。
これみな洪の字を論ずるのみ。一笑に堪えたり。

洪と滑を同系脈状として分類してあります。この説に私も異論ありません。

理由は前回記事で紹介した「脈状を力のベクトルでみる」という観点に立てば、滑脈と洪脈は同系統の脈状として判断することは可能でしょう。

さて滑脈はその説明に「お盆の上を転がる玉(珠)のような脈状」だと表現されることが多いです。
「滑、不濇也。往来流利、如盆走珠、不進不退、為血実氣壅之候、蓋氣不勝於血也。」(『診家枢要』滑伯仁 著)

誤解する人もいるかもしれませんが「転がる玉(珠)のような感触の脈」ではないのです。
本当に“お盆の上を転がる玉”を触ったら分かると思いますが(私は何度も試しましたが…苦笑)、滑脈の感触からは程遠いものがあります。

滑伯仁が伝えたいのはコチラの表現「往来流利」、脈の流れが滑らかにして活発な様子を表現したかったのでしょう。
この滑脈における「如盆走珠(お盆の上を転がる玉のよう)」は感触ではなく、やはり動的な力を表現するフレーズなのです。

『切脈一葦』にある表現「粒粒分明」も一見したところ感触を表現する言葉にみえますが、これもやはり力のベクトルを表現する言葉としても解釈可能です。

そして滑脈と同ベクトルの延長戦上にある脈が洪脈であることは、前回の浮脈と芤脈のカテゴライズと同じですね。

鍼道五経会 足立繁久

 

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