診脈の道(前半)『診家枢要』より

一見、初級者向けの脈診のキホンにみえるが…

『診家枢要』の中でもこの「診脈の道」はおススメのパートです。
一つ一つの文字・言葉から脈診の要訣(ポイント)をどこまで受け取ることができるのか?読み手の力量が問われる章です。

診脈の道

凡そ診脈の道は、先ず須く自己の氣息を調平すべし。
男性は左から女性は右から診る。
先ず中指を以って関位を定め得て、却って前後の二指(示指と薬指)を斎え下す。
初めは軽く按じ以ってこれを消息す、次に中ほどに按しこれを消息す、再び重く按じてこれを消息す。

然る後に寸関より尺に至り、部に逐いて尋究す。

一呼一吸の間、脈行四至を以って率と為す、閏して以て太息の脈五至ならんことを要す。これ平脈と為す也。
その太過不及あるときは則ち病脈と為す、何れの部に在るかを看て、各々その部を以ってこれを断ず。

凡そ診脈は須らく先ず時脈を胃脈と臓腑の平脈を識り、然る後に病脈に及ぶことを要すべし。

時脈とは謂る春三ヵ月は六部の中倶に弦を帯びる。
夏三ヵ月は(六部)倶に洪を帯びる。
秋三ヵ月は(六部)倶に浮を帯びる。
冬三ヵ月は(六部)倶に沈を帯びる。
胃脈は謂る中按してこれを得るに脈和緩なり。
臓腑の平脈はすでに前章に見えたり。

凡そ人の臓腑の脈、既に平、胃脈和して、又 時脈に応ずは、乃ち無病なる者なり。これに反するは病と為す。

診脈の際、人の臂(うで)長きは則ち疎に指を下し、臂の短きは則ち密に指を下す。
三部の内、大小浮沈遅数同等にして、尺寸陰陽高下相符し、男女左右の強弱相応し、四時の脈 相戾せざるを、命じて平人と曰う。
その或いは一部の内、独り大独り小、偏えに遅く偏えに疾く、左右強弱の相反し、四時男女の相背するは、皆病脈なり。

凡そ病病の見(あら)われること、上に在るは上病と曰い、下に在るは下病と曰う、左は左病と曰い、右は右病と曰う。
左脈の和せざるは病表に在ると為し、陽と為し、四肢に在り。
右脈の和せざるは病裏に在ると為し、陰と為し、腹臓に在り。次を以ってこれを推せ。

凡そ取脈の道理、各々同じからず。
脈の形状、又各々一つに非ず。
凡そ脈の来、必ず単のみ至らず。必ず浮にして弦、浮にして数、沈にして緊、沈にして細と曰うの類。将(はた)何を以ってこれを別たん?

大抵提綱の要は、浮沈遅数滑澀の六脈を出ざる也。
浮沈の脈、軽手重手にてこれを得る也。
遅数の脈、己の呼吸を以ってこれを取る也。
滑濇の脈、則ちその往来の形を察す也。

浮は陽と為す、
軽手にてこれを得る也。而して芤洪散大長濡弦は皆 軽手にてこれを得るの類也。
沈は陰と為す。
重手にてこれを得る也。而して伏石短細牢實は皆 重手にてこれを得るの類也。

遅とは一息脈三至(※慎徳本では二至)、而して緩結微弱は皆 遅の類也。
数とは一息脈六至、而して疾促は皆 数の類也。

或る人の曰く、滑は数に類し、濇は遅に類すとは、何ぞ也?
然り。脈は是と雖も理は則ち殊る也。
彼の遅数の脈は、呼吸を以ってその至数の疏数を察し、
此の滑濇の脈は、則ち往来を以ってその形状を察す也。

数は熱と為し、遅は寒と為す、
滑は血多氣少と為し、濇は氣多血少と為す。

所謂(いわゆる)脈の提綱とは、六字より出ざる者なり、
蓋し以るにそれ以ってかの表裏陰陽冷熱虚実風寒燥湿臓腑血氣を統べるに足る也。
浮は陽と為し、表と為し、診して風と為し、虚と為す。
沈は陰と為し、裏と為し、診して湿と為し、実と為す。
遅は臓に在りて、寒と為し、冷と為す。
数は腑に在りて、熱と為し、燥と為す。
滑は血有餘と為し、濇は氣独り滞ると為す也。
人の一身の変は、此れに越えず。
能くこの六脈の中に於いて以ってこれを求むるときは則ち疚病の人に在る者、能く逃るること莫し。
(『内経』以滑為血少氣多、澀為氣少血多者、蓋氣盛而血不能壅之則滑、血壅而氣不能行之則澀也。)

己の氣血を調えるということ

脈を診る際にはまず己の氣血を調えよ。これはとても重要なことです。
これは『素問』平人気象論に「医は病まず。故に病人の為に平息し、以て之を調えるを法と為す也。」とある通り。

脈診とは相手の脈に触れる行為です。臨床で脈に触れるということは病者の氣血(の先)に触れるという行為とも言えます。
ルーティーンのように脈診を行うと気づかないのですが、相手の氣血に触れることで我々の氣血も変動しているのです。
これは当会の脈診実技でも検証確認したことがあります。

気息や脈を通じた氣の交流が在るということを鍼灸家・脈診家は知っておくべきです。

『風の谷のナウシカ』にみる気息の運用法?


写真はスタジオジブリの作品静止画『風の谷のナウシカ』より引用
この時、ナウシカは呼吸(気息)を止めて(調整して)、部下(おじい達)の混乱を鎮めました。
呼吸とは氣息。
氣息の緩急は周囲の人に影響を及ぼすのです。
人により氣息には緩急の違いがあります。そして性急な人が周囲の人々に知らず悪影響を与えていることはイメージできると思います。
イライラしがち(易怒)な人と同じ空間にいると、肩こりや頭痛が起こったりすることも日常で起こることです。(周囲の気に共感しない人はそうでもない)

逆もまた然り。これは平人気象論で説かれている通りですね。

消息とは陰陽消長

消息とは陰陽の盛衰を示します。

脈の往来、波の上下至止を捕捉し観察するという趣旨において「消息」という表現はなるほどなチョイスです。
脈診書にはしばしば登場する表現です。この消息を浮中沈の三位で行うべしとあります。

「脈とは波である」
脈の一面を表わす言葉です。波を性質をもって伝えられる脈状に洪脈があります。詳しくは洪脈の項にて説明しましょう。

「凡脈之来、必不単至」や「提綱之要、不出浮沈遅数滑濇之六脈也」等々については講座【医書五経を読む】にて解説しましょう。

鍼道五経会 足立繁久

 

■原文 診脉之道

凡診脉之道、先須調平自己氣息、男左女右、先以中指定得関位、却斎下前後二指、初軽按以消息之、次中按消息之、再重按消息之。然後自寸関至尺、逐部尋究。

一呼一吸之間、要以脉行四至為率、閏以太息、脉五至、為平脉也。其有太過不及則病脉、看在何部、各以其部断之。

凡診脉須要先識時脉、胃脉與臓腑平脉、然後及于病脉。時脉謂春三月、六部中倶帯弦。夏三月、倶帯洪。秋三月、倶帯浮。冬三月倶帯沈。
胃脉謂中按得之、脉和緩。臓腑平脉已見前章。凡人臓腑脉既平、胃脉和、又應時脉、乃無病者也。反此為病。

診脉之際、人臂長則疎下指、臂短則密下指。三部之内、大小浮沈遅数同等、尺寸陰陽高下相符、男女左右強弱相応、四時之脉不相戾、命曰平人。

其或一部之内、獨大獨小、偏遅偏疾、左右強弱之相反、四時男女之相背、皆病脉也。

凡病脉之見、在上曰上病、在下曰下病、左曰左病、右曰右病。
左脉不和、為病在表、為陽、在四肢。右脉不和、為病在裏、為陰、主腹臓、以次推之。

凡取脉之道理、各不同。
脉之形状、又各非一。凡脉之来、必不単至
必曰浮而弦、浮而数、沈而緊、沈而細之類。将何以別之?

大抵提綱之要、不出浮沈遅数滑澀之六脉也
浮沈之脉、軽手重手得之也。
遅数之脉、以己之呼吸而取之也。
滑澀之脉、則察夫往来之形也。

浮為陽、軽手而得之也。而芤洪散大長濡弦、皆軽手而得之之類也。
沈為陰、重手而得之也、而伏石短細牢實、皆重手而得之之類也。

遅者一息三至、而緩結微弱、皆遅之類也。数者一息脉六至、而疾促皆数之類也。
或曰滑類乎数、澀類乎遅、何也?然脉雖是而理則殊也。彼遅数之脉、以呼吸察其至数之疏数、此滑澀之脉、則以往来察其形状也。
数為熱、遅為寒、滑為血多氣少、澀為氣多血少。

所謂脉之提綱、不出乎六字者、蓋以其足以統夫表裏陰陽冷熱虚實風寒燥湿臓腑血氣也。
浮為陽、為表、診為風、為虚。
沈為陰、為裏、診為湿、為實。
遅為在臓、為寒、為冷。数為在腑、為熱、為燥。
滑為血有餘、澀為氣獨滞也。
人一身之変、不越乎此。
能于是六脉之中以求之、則疚病之在人者、莫能逃焉。(『内経』以滑為血少氣多、澀為氣少血多者、蓋氣盛而血不能壅之則滑、血壅而氣不能行之則澀也。)

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