難経五十三難から五行の病伝を学ぶ

難経 五十三難のみどころ

五十一難、五十二難は臓腑病の陰陽区分でありました。本五十三難も同じく臓腑病がテーマです。
但し、今回の五十三難のテーマは病伝です。

病伝とは病の伝変を意味します。
病というのは生き物のようでして、ずっと同じ場所に居て、ずっと同じ症状で、ずっと同じ段階に居続ける…ということはありません。
どれだけ慢性的で緩慢な変化であろうとも、やはり病は病で変化、成長するものなのです。

本五十三難では、病伝の一定の傾向・パターンについて五行的に記されています。


※『難経抄』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

難経 五十三難の書き下し文

書き下し文・難経五十三難

五十三難に曰く、経に言う、七伝は死し、間臓は生くとは何の謂い也?

然り。
七伝は其の勝つ所に伝える也。
間臓は其の子に伝うる也。

何を以て之を言えば
仮令(たとえば)心病みて肺に伝え、肺は肝に伝え、肝は脾に伝え、脾は腎に伝え、腎は心に伝う。
一臓、再び傷れず、故に言う七伝は死する也。

仮令、心病みて脾に伝え、脾は肺に伝え、肺は腎に伝え、腎は肝に伝え、肝は心に伝う。
是れ子母相い伝え竟(おわり)て復た始まること、環の端の無きが如し。故に生くと曰う也。

2つの病伝、不可治と可治

冒頭文に七伝と間臓という言葉が登場します。両者とも病伝の名です。
七伝は五行の相尅病伝パターン、間臓は五行の相生病伝パターンです。

相尅の病伝は「其の勝つ所に伝える(傳其所勝)」という表現で、伝えられた側からみれば賊邪です。
相性の病伝は「其の子に伝える(傳其子)」という病伝で、同じく伝えられた側からみれば虚邪です。
賊邪や虚邪の用語に関しては難経五十難を参照のこと。

但し、この五十三難においては単なる病伝ではなく臓病における病伝ですので、五十難の病伝とはその病位の深さ、そして病態の重さが違います。
ですので、相尅の病伝パターンである七伝は死証として分類されています。

臓気が二度傷られることは死を意味する

「臓が2度の病伝を受けると人は死ぬ」…と、このような設定から「七伝」という名称が使われています。


画像『難経本義諺解』(発行 東方会 小野文恵)より引用させていただきました。

【七傳間藏の図】

○此れ第五十二難の図也。七傳は相尅して傳える者也。凡そ何の藏にても一藏が二度まで尅を受ければ其の藏氣絶して死す。故に邪を五藏へ傳えること七度なれば五藏の中、尅を受けることが二度になりて死する也。
假令(たとえば)心病(一傳)肺に傳う(二傳)肺より肝に傳う(三傳)肝より脾に傳う(四傳)脾より腎に傳う(五傳)腎より心に傳う(六傳也)此の時に心二度病むことありと雖も、尅を受けることは一度のみ。始め心病むは自ら病みて未だ尅を受けず、是に於いて心火始めて腎水の尅を受ける也。心、肺に傳えて七傳也。始め心火が肺を尅し、今復た心火、肺を尅するときは則ち此れ肺の一藏、再び尅を受けるが故に七傳の者は死すと云う。餘藏、此の例に倣いて知るべし。
○図中に肺を二と数える者は始め心自ら病むの一傳を略して第二傳より図するのみ、詳注は本篇に見えたり。
○間藏は相生して邪を傳う、詳らかに本篇に鈔注す。

以上の図註の内容は「最初の心病は病伝ではなく自発の病であるから、一伝にはカウントしませ~ん」…という読む人によってはこじつけのような説でもある。

ところで、ここで疑問に思うことがあります。
このように一旦 臓病が発症したとして、これほどまでに都合よく段取りよく相尅病伝が七回も起こるものなのでしょうか?
「病は生き物のようだ」と冒頭では述べましたが、生きていくにはそう都合の良いことが連続して起こるものではありません。それは病にとっても同じこと。

人体はそれほど脆弱ではなく、抗病機能がそれなりに備わっています。臓腑病においてもそれは同様と言えるでしょう。

霊枢の臓腑経の病伝とを重ねて考えよう

ここで思い出したいのが『霊枢』邪気臓腑病形第四です。邪気臓腑病形にはこのような一節があります。
「邪、陰経に入れば則ちその藏氣は實す。邪氣入りて客すること能わず。故に府に還る。(邪入於陰経、則其藏氣實、邪氣入而不能客。故還之於府)
これも病伝の話です。
要約すると、臓に属する陰経に病邪が侵入します…が、臓は基本的に実しているため、邪気の侵入を拒み、腑に跳ね返します。

邪気臓腑病形の病伝は外邪ベースの話であり、七伝は他臓・他位から侵入しようとする邪という差はありますが、同系統の病伝という仮定で話を進めます。

「臓に侵入しようとした邪は腑に丸投げされる」という設定で話を進めると、七伝という病伝はそう簡単に起こるものではない。それどころか、七伝と間臓の相尅と相生の病伝は、実際にはより複雑に入り組んだ病伝となることが推測できます。その病伝の各ルートを簡略化した図がコレです。

図1:難経 五十三難の七伝病伝と霊枢 邪気臓腑病形の病伝を合わせた全体図

この図は陽干が陰干を乗じるという一つの原則に基づいて作図しています。陽干が陰干へと乗じるは、すなわち腑から臓への病伝を示します。
仮に本文のように心が病んだとします。
心(丁火)の病は小腸(丙火)にも波及しており、その丙火の邪は肺(庚金)を尅します。尅傷された肺(辛金)の病は大腸(庚金)に及び、また金尅木…と七伝が続くというのが難経五十三難の七伝理論です。

しかし留意しておくべきは、この理論を実現させるには“臓も腑も共に虚衰している”という条件が必要です。

図2:五十三難の七伝と邪気臓腑病形の病伝を合わせた図-臓から腑、腑から経へ-

しかし『霊枢』邪気臓腑病形のように、臓腑がそれなりに実していれば病邪は下位の器官に逐いやること(自然治癒)ができます。

心の病は相尅病伝(七伝)を起こす前に小腸腑に病邪を追いやり、小腸はその腑位で病を処理するか、または小腸経へと表位に病伝させる可能性があります。

また仮に本文にあるように心病が火剋金と肺に病伝しても、同様に肺から大腸腑へ、さらには陽明大腸経へと病邪を下位へ表位へと還(かえ)し、病位を浅層にと移します。
このセオリーは次の難・五十四難にも示唆されていることでもあります。
もちろん以上の病伝・自然治癒パターンは前述の通り、臓腑経の正氣がしっかり保持されていることが前提であることは言うまでないことは補足しておきます。

鍼道五経会 足立繁久

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原文 難経 五十三難

■原文 難経 五十三難

五十三難曰、経言、七傳者死、間藏者生、何謂也。

然。
七傳者傳其所勝也。
間藏者、傳其子也。

何以言之。
假令心病傳肺、肺傳肝、肝傳脾、脾傳腎、腎傳心。
一藏不再傷、故言七傳者死也。

假令、心病傳脾、脾傳肺、肺傳腎、腎傳肝、肝傳心。
是子母相傳竟而復始、如環之無端、故曰生也。

 

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