難経六十八難では井栄兪経合の各病症を学ぶ

難経 六十八難のみどころ

井栄兪経合をテーマにした問答は六十三難・六十四難・六十五難と続いてきた。それぞれ井栄兪経合における相生関係・相剋関係・小循環と緻密にかつ立体的に陰経陽経における井栄兪経合の構造を説かれている。
六十八難では井栄兪経合にそれぞれ特徴的な病症を相当させて治療応用にまで理論を展開している。

本六十八難の内容は鍼灸学生さんにとっては「ココ試験に出るよ!」的な知識であるため鍼灸業界ではよく知られている話でもあろう。そんな前置きはさておき、まずは六十八難本文を読んでいこう。(とはいえ下画像は『難経本義』の難経彙攷部分であるが)


※『難経本義の難経彙攷』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

難経 六十八難の書き下し文

書き下し文・難経六十八難

六十八難に曰く、五臓六腑に各々井栄兪経合あり。皆(みな)何れの主る所か?

然り。
経に言う、出づる所を井と為し、流るる所を栄と為し、注ぐ所を兪と為し、行く所を経と為し、入る所を合と為す。
井は心下満を主り、栄は身熱を主り、兪は体重節痛を主り、経は喘咳寒熱を主り、合は逆氣而泄を主る。
此れ五臓六腑、其の井栄兪経合、主る所の病なり。

井栄兪経合の基礎を振り返る

井栄兪経合に関する情報は『霊枢』本輸篇に登場する。少々長くなるが以下に引用する。

『霊枢』本輸篇第二

黄帝、岐伯に問うて曰く、凡そ刺の道、必ず十二経絡の終始する所に通ず。
絡脈の別つ所の処、五輸の留る所、六府と合する所、四時の出入する所、五臓の溜処する所、闊数の度、浅深の状、高下の至る所、願くばその解を聞かん!?

肺は少商に於いて出づる。少商は手の大指端の内側也、井木と為す。
魚際に於いて溜する、手の魚也、榮と為す。
太淵に於いて注ぐ、太淵は魚後一寸、陥する者の中也、腧と為す。
経渠に於いて行く、経渠は寸口の中也、動じて居らず、経と為す。
尺澤に於いて入る、尺澤は肘中の動脈也、合と為す。
手太陰経也。

■原文
黄帝問於岐伯曰、凡刺之道、必通十二経絡之所終始。絡脈之所別處、五輸之所留、六府之所與合、四時之所出入、五藏之所溜處、闊数之度、浅深之状、高下所至。願聞其解。
岐伯曰、請言其次也。

肺出於少商、少商者、手大指端内側也、為井木。
溜於魚際者、手魚也、為榮。
注於太淵、太淵魚後一寸、陥者中也、為腧。
行于経渠、経渠寸口中也、動而不居、為経。
入於尺澤、尺澤肘中之動脈也、為合。手太陰経也。……

霊枢と難経における共通点と相違点

『霊枢』本輸、『難経』における井栄兪経合の共通点は以下の三点になる。

①陰経・陽経ともに井穴・栄穴・兪穴・経穴・合穴が存在が記されていること。(肺経以下の引用は省略している)
②井栄兪経合は“氣”においては要所であり、「出る所(所出)」「溜る所(所溜)」「注ぐ所(所注)」「行く所(所行)」「入る所(所入)」との氣の動きが定義されていること。
③陰井穴は木性・陽井穴は金を帯びること(従って栄兪経合はそれぞれ火土金水の性を帯びることを暗示)

また『難経』に記されていない点が『霊枢』本輸にはある。「陽経の原穴は過ぎる所」と記されている点である。
この“過”という表現も理解のしどころである。しかし井栄兪経合システムは何れの氣が主となっているのか?と考えると、自ずと理解できるのではないだろうか。詳しくは『難経』六十二難の記事を参照のこと。

栄衛は川の流れのように…

『難経本義』では「難経彙攷」の章にて、井栄兪経合の出溜注行入の様子を水の流れに譬えて記されている。参考までにその文を以下に引用する。

『難経本義』難経彙攷

……項氏(項平菴)が家説に曰く、凡そ経絡の出る所を井と為し、溜る所を栄と為し、注ぐ所を兪と為し、過ぎる所を原と為し、行く所を経と為し、入る所を合と為す。
井は水の泉を象り、栄は水の陂(たまる)を象り、兪は水の𧶠を象る、𧶠とは即ち窬の字なり。
経は水の流れを象り、合は水の帰するを象る。皆な水の義を取る。……

■原文
……項氏家説曰、凡経絡之所出為井、所留為榮、所注為腧、所過為原、所行為経、所入為合。井象水之泉、榮象水之陂、腧象水之𧶠、𧶠即窬字也。経象水之流、合象水之歸。皆取水之義。……

上記、項氏が採用した水の流れに譬えた表現は非常に分かりやすい。どんな大きな川でも水源にまで辿れば、その流れは小さな泉のようなものである。そしてわずかな水も少しずつ集まってせせらぎとなり流れとなり大きな河川に合流するのである。

さて、どんな川でも上流から下流に向かって流れるものであるが、実際にはその流れは単一の流れではない。複雑な流れが絡み合って河川を構成しているのである。
川の場所によっては表層は上流から下流に向かって流れるが、深層では反対の下流から上流に流れる、つまり逆流しているところもあるのだ。(その逆もまた然り)
他にも大きな譬えとして、伏流水や海洋深層水など、複数層で構成される水流などはイメージしやすいだろう。

このように自然に存在する事象を人体に相応させて考えることは、東洋医学の人体観を理解するのに適している。まさに天人相応の思想である。

単層的な流れだけでは人体を維持できない

このようにみると、単に「衛気は脈外を行く」「栄気は脈内を行く」「栄衛相随」といった単層的な流れだけで人体を維持することは不足であり困難である。人体における気の動きも、体の各所・各部位で小循環が形成されており、それが機能的に有機的に全体と連環していることを理解すべきである。当会にて認識している当サイトに記載の小循環は以下の通りである。(当サイトに記載している小循環はまだ他にもあるが)

衛気と栄気の小循環・六十五難
陰陽蹻脈が構築する小循環
足太陽経内にある小循環

以上のように井栄兪経合システムは『霊枢』本輸にて①「出溜注行入」という気の動き、②井木(井金)という五行の性質の付加という二説から始まり、『難経』にて五行説の補完がなされたように思われる。特に六十八難の井栄兪経合に対応させた固有病症を示した点においては『難経』ならでは五行観に依るものといえるのではないだろうか。

個人的な感想としては、井栄兪経合と出溜注行入の対応はそれなりに理解しやすかった。しかし五行(木火土金水)をベースとした井栄兪経合と各病症の関係を病理として理解するには少々難しく感じる。
歴代の医家たちの注釈をみても、心ナシが各医家もその解説には手古摺っているように感じるのは私だけであろうか。

以下に各医家の註文を附記しよう。

六十八難について各医家のご意見

『難経集註』は虞庶先生は賊邪説

まずは『難経集註』における虞庶の註である。『難経集註(王翰林集註黄帝八十一難経)』は明代の王九思らが編纂にあたったという難経系最古の書という。註文は呂広(呉)、楊玄操(唐)、虞庶(宋)、丁徳用(宋)などの註文を採用しているとのこと。
本記事ではそれら医家の中でも宋代の虞氏の意見をピックアップしてみた。虞氏の説は相剋による病症として説明している点である。例えば、井穴=木証であるが、実した木邪は土位を尅することで心下(脾の部位)に病症が現れるという、いわゆる賊邪の病態を指している。その元となる木邪を木性を帯びる井穴でもって治するという。
また単純な相剋病変のみならず、本位と乗じた先の位における複数病所を指定しており、五行ベースの病理観を提示している。

『難経集註』の虞庶の註

虞氏曰く、井穴は木に法り以て肝に応ずる、脾の位は心下に在り。今、邪が肝に在り、肝は脾を乗ずる、故に心下満する。今、之を井穴に治して、木をして土を乗じせしめざる也。
虞曰く、栄は火を為す、以て心に法る。肺は金に属し、外は皮毛を主る。今、心火が肺金を灼す。故に身熱する。邪、心に在るを謂う也。故に之を栄穴に治して、火をして金を乗じせめずときは則ち身熱は必ず愈ゆる也。
虞曰く、兪は土に法り脾に応ず。今、邪は土に在り、土は必ず水を刑す。水は腎、腎は骨を主る。故に病むときは則ち節痛す。邪、土に在り、土自ずから病むときは則ち体重す。宜しく兪穴を治すべし。
虞曰く、経は金に法り肺に応ず。今、邪は経穴に在るときは則ち、肺は病を為す。寒を得れば則と咳す。熱を得れば則ち喘す。今、邪が金に在り、金は必ず木を刑す。木は肝、肝は志に在れば怒を為す、怒となれば則ち氣逆して肺に乗ず、故に喘す。何を以て然るに謂うか?肝の支別は、肝より別れて膈を貫き、上りて肺に注ぐ。脈要精微論に曰く、血が脇下に在れば、人をして喘逆せしむる。此れの謂い也。之を経穴に於いて治するときは則ち金は木を刑せず。
虞曰く、合は水に法り腎に応ず。腎氣不足し、衝脈を傷れば則ち氣逆して裏急す。腎は二陰に開竅するを主る。腎氣禁じざる故に泄注す。邪が水に在れば、水は必ず火に乗ずる。火は心、法においては病を受けず。肝木は心火の母と為し腎水の子と為す。一つは母が邪を受くを憂い、二は子が刑を被るを憂う。肝の志に在りては怒を為す。憂れば則ち怒り、怒れば則ち氣逆する故也。
此れら五行更々相い乗尅す。故に病に異同有り。今、之を合穴に於いて治す。水をして火に乗じせしめざるときは則ち肝木は憂えず、故に氣逆止む、邪は腎に在らざれば則ち注泄無し。
以上、井栄兪経合、五行に法り、五臓に応ず。邪はその中に湊(あつまる)。故に病を主ること是の如し。
善く診る者、審らかに之を行うときは則ち自病か或いは相乗かを知る。虚するときは則ち之を補い、実するときは則ち之を瀉す。
虞曰く、以上の井栄兪経合の病を主るは、各々四時に依りて之を調治す。四時の邪、各々栄兪の中に湊まり留止するを謂う也。

■原文
虞曰、井法木以應肝、脾位在心下。今邪在肝、肝乗脾、故心下満。今治之於井、不令木乗土也。
虞曰、榮為火、以法心。肺屬金、外主皮毛。今心火灼於肺金、故身熱。謂邪在心也。故治之於榮、不令火乗金則身熱必愈也。
虞曰、兪者法土應脾。今邪在土、土必刑水、水者腎、腎主骨。故病則節痛。邪在土、土自病則體重。宜治於兪穴。
虞曰、經法金應肺。今邪在經則、肺為病、得寒則咳。得熱則喘。今邪在金、金必刑木。木者肝、肝在志為怒、怒則氣逆乗肺、故喘。何以然謂、肝之支別、従肝別貫膈、上注肺。脈要精微論曰、血在脇下、令人喘逆此之謂也。治之於經則金不刑於木矣。
虞曰、合法水應腎、腎氣不足、傷於衝脈、則氣逆而裏急。腎主開竅於二陰。腎氣不禁、故泄注。邪在水、水必乗火、火者心、法不受病、肝木為心火之母、為腎水之子、一憂母受邪、二憂子被刑、肝在志、為怒。憂則怒、怒則氣逆故也。
此五行更相乗尅。故病有異同。今治之於合、不令水乗火則、肝木不憂、故氣逆止、邪不在腎、則無注泄。
以上井榮兪經合、法五行應五藏、邪湊其中。故主病如是。善診者、審而行之則知自病或相乗。虚則補之、實則瀉之。
虞曰、以上井榮兪經合之主病、各依四時而調治之。謂四時之邪、各湊榮兪中留止也。

『難経本義』滑伯仁は水の流れに譬える

次に『難経本義』(元代 滑伯仁)の註文を挙げよう。滑伯仁は井栄兪経合を川の流れに譬えることを好むようである。井栄兪経合の病症パターンとしては、虞氏の相剋病態とは異なり素直に井穴=木証、栄穴=火証、兪穴=土証、経穴=金証、合穴=水証としている。賊邪に対して正邪というところであろうか。

『難経本義』六十八難(滑伯仁)

主は主治なり。井は谷井の井、水源の出づる所也。
栄は絶小の水なり。井の源は本(もと)微なり、故に流るる所は尚小にして栄と為る。
兪は輸なり、注ぐ也。栄自りして注ぐ乃ち兪と為す也。
兪より此れに経過す乃ち之を経と謂う。
経よりして合する所に入る、之を合と謂う。合とは会なり。
霊枢第一篇に曰く、五臓五兪五五二十五兪。六腑六兪六六三十六兪(此の兪の字、空穴之総名、凡そ諸々空穴は皆 兪と言う以てすべし)経脈十二、絡脈十五、凡て二十七氣の行く所、皆 井栄兪経合の係る所にして病を主る所は、各々同じからず。
井は心下満を主る、肝木の病なり。足厥陰の支脈は肝より別れて鬲を貫き上りて肺に注ぐ、故に井は心下満を主る。
栄は身熱を主る、心火の病也。
兪は体重節痛を主る、脾土の病也。
経は喘欬寒熱を主る、肺金の病也。
合は逆氣而泄を主る、腎水の病也。
謝氏が曰く、此れ五臓の病の各々一端を挙げて例と為す。余病は類を以て推して互いに取るべき也。
六腑を言わざる者は臓を挙げて以て之を該(か)ぬるに足れり。

■原文
主主治也。井谷井之井、水源之所出也。榮絶小水也。井之源本微、故所流尚小而為榮。
兪輸也、注也。自榮而注乃為兪也。由兪而經過於此、乃謂之經。
由經而入於所合、謂之合。合者會也。
靈樞第一篇曰、五藏五兪五五二十五兪。六府六腧六六三十六兪(此兪字空穴之緫名、凡諸空穴皆可以言兪)經脉十二、絡脉十五、凡二十七氣所行、皆井榮兪經合之所係而所主病、各不同。
井主心下満、肝木病也。足厥陰之支従肝別貫鬲上注肺、故井主心下満。
榮主身熱、心火病也。兪主體重節痛、脾土病也。經主喘欬寒熱、肺金病也。合主逆氣而泄、腎水病也。
謝氏曰、此擧五藏之病各一端為例、餘病可以類推而互取也。不言六府者、擧藏足以該之。

『難経評林』王氏は折衷案?

次に『難経評林(鍥王氏秘伝図註八十一難経評林捷経統宗)』(明代 王文潔)の註文を引用する。『評林』においても虞庶の賊邪病態説を採用しているようだ。また「経脈の行りは水の如し」とあるように、井栄兪経合を川の流れに譬えている点は浅見であるであるが、虞氏と滑氏の折衷案のようにもみえる。「経よりして臓腑に入り、衆経(諸経)と合流する」という言葉は、井栄兪経合システムをイメージしやすい。

『難経評林』六十八難の(王文潔 註)

此の言、臓腑に各々井栄兪経合有り、迺(すなわ)ち経脈の行に由りての路、皆な主治の病有る也。
五臓に井栄兪経合有りて、六腑は則ち井栄兪原経合と言うは、但だ臓は兪を原と為して、腑にては兪は原を過ぎる。
故に総じて臓腑に各々井栄兪経合有りと言う。主治する所の病、果して何れに在りや?
然り、井栄兪経合とは、必ず各々義有り。経に言う経脈の行りは猶お水の如き也。
その始めの出づるに遡る、山下の谷井の泉の出づるが如し、故に井その源は本(もと)微と謂う。
流れる所は尚小にして栄と為す、故に栄は栄自(よ)りして此れに於いて輸すと謂う。故に兪は兪自(よ)りして此れを過ぎる故に経と謂う。経は経自(よ)りして臓腑に入り、衆経と相い会する、故に合と謂う。
此れ井栄兪経合は、迺ち経脈の由りて行くの路也。各々主治する病有るなり。
井の治する所は、則ち心下満を主る、井は木に法り以て肝に応ず。脾は心下に在り。肝が邪を受ければ必ず脾を侵す、故に心下満つ。今、井穴を治して木をして土に乗じせしめざるのみ。
栄の治する所、身熱を主る也。栄は火に法り以て心に応ず。肺は金に属し、外は皮毛を主る。心火、肺金を灼する故に身熱す。邪、心に在る也。今、栄を治し火をして金に乗じせしめざるのみ。
兪の治する所、体重節痛を主る也。兪は土に法り以て脾に応ずる。邪、土に在れば、必ず水を刑する。水は腎、腎は骨を主る、故に病むときは則ち節痛す。邪、土に在り、土自ら病むときは則ち体重し。今、兪を治して、土をして自ら病ませず而して復た乗水に乗じることを得さしめざるのみ。
経の治する所、喘咳寒熱を主る。経は金に法り、以て肺に応ず。邪、肺に在りて、寒を得れば則ち咳し、熱を得れば則ち喘す。金邪は必ず尅木を致す。木、肝が志に在るときは怒と為し、怒すれば則ち氣逆す、亦た能く喘を作す。必ず金を治して則ち金、木を刑せざるのみ。
合の治する所、氣逆而泄するを主る。合は水に法る、以て腎に応ず。腎氣不足すれば、衝脈を傷る則ち氣逆する。腎は下に開竅す。陰氣逆するときは則ち禁ぜず、而して下泄す。今、合を治するに、腎邪をして去らしむるのみ。
此れ五臓六腑、其の井栄兪経合の主治する所の病也。五臓を言いて六腑を言わざる者は、臓を挙げて以て腑を該(か)ねるに足るなり。

■原文
此言臓腑各有井榮腧經合、迺經脉由行之路、皆有主治之病也。
言五臓有井榮腧經合、六腑則井榮腧原經合、但臓腧為原、而腑腧過原。
故緫言臓腑各有井榮腧經合。所主治之病、果何在乎。
然、井榮腧經合者、必各有義、經言經脉之行、猶水也。
遡其始出如山下谷井出泉、故謂井其源本微。
所流尚小而為榮、故謂榮自榮而輸於此。故謂腧自腧而過於此故謂經。
經自經而入臓腑、與衆經相會、故謂合。
此井榮腧經合者、迺經脉由行之路也。各有主治病焉。
井所治者、則主心下満、井法木以應肝、脾在心下。肝受邪必侵脾、故心下満。今治井不令木乗土耳。
榮所治者、主身熱也。榮法火以應心、肺属金、外主皮毛。心火灼乎肺金、故身熱。邪在心也。今治榮不令火乗金耳。
腧所治者、主躰重節痛也。腧法土以應脾、邪在土、必刑水。水者腎、腎主骨、故病則節痛。邪在土、土自病則體重。今治腧不使土自病而復得乗水耳。
經所治者、主喘咳寒熱、經法金、以應肺。邪在肺、得寒則咳、得熱則喘。金邪必致尅木。木者肝在志為怒、怒則氣逆、亦能作喘。必治金則金不刑木耳。
合所治者、主氣逆而泄、合法水、以應腎。腎氣不足、傷衝脉則氣逆。腎開竅於下。陰氣逆則不禁、而下泄。今治合、使腎邪去耳。此五臓
六腑、其井榮腧經合所主治之病也。言五臓而不言六腑者、擧臓足以該腑矣。

次に日本の医家たちの註文を紹介しよう。

『難経或問』の古林先生は五行の性を説く

『難経或問』では五行の性質を病理に組み込んでいる「木気は升揚上達する」「火気は炎蒸壮盛する」「土気は重濁にして凝滞す」「金気は収斂して冷縮する」「水気は厥逆して潤下する」ために、各病症を生じさせるとの立場をとっている。

『難経或問』六十八難(1715年 古林見宜)

或る人問うて曰く、六十八の難、五穴の主る所の病、独り五臓の主病を言いて六腑の主病を言わざるは何ぞや?
又、其の主る所の病、此れに尽きるか?
対て曰く、否。然らず。此こに五穴の主病を説く者は、五行の生ずる所の病の大概を言う也。
夫れ一身の病は木火土金水の五つを遁れず。
木気は升揚上達す、故に心下支満等の病を生ずる也。
火気は炎蒸壮盛す、故に身体発熱等の病を生ずる也。
土気は重濁にして凝滞す、故に体重節痛等の病を生ずる也。
金気は収斂して冷縮す、故に喘咳寒熱等の病を生ずる也。
水気は厥逆して潤下す、故に逆氣利泄等の病を生ずる也。
是皆(これみな)臓腑五行、和を失いて病を生ずる也。
故に何れの臓腑の不和を察して、其の経の五穴を詳らかにして之を治す。
是、五臓六腑の五穴の主る所の病の大概也。
謝氏が曰く、此に五臓の病各々の一端を挙げて例と為す。
六腑を言わざる者は、臓を挙げて以て之を該ねるに足れり。(その)説未だ詳らかならざるに似たり。

■原文
或問曰六十八難、五穴所主之病、獨言五藏之主病而不言六府之主病、何乎。
又其所主之病、盡此乎。
對曰、否。不然此説五穴之主病者、言五行所生病之大槩也。
夫一身之病、不遁於木火土金水之五矣。
木氣者升揚上達、故生心下支満等之病也。
火氣者炎蒸壮盛、故生身體發熱等之病也。
土氣者重濁而凝滞、故生體重節痛等之病也。
金氣者収斂而冷縮、故生喘咳寒熱等之病也。
水氣者厥逆而潤下、故生逆氣利泄等之病也。
是皆藏府五行失和、而生病也。故察何之藏府不和、詳其經之五穴、而治之。
是五藏六府之五穴所主病之大槩也。
謝氏曰、此擧五藏之病各一端為例、不言六府者、擧藏足以該之説、似未詳焉。

『難経達言』はいたってシンプルだ

『難経達言』はシンプルながらも井栄兪経合の気の流れの特性と病症について簡潔に説明している。

『難経達言』六十八難(1749年 高宮貞)

井に於いて出る所、浅くして微也。心下に満するは氣の軽き也。其の流れに及びて栄と為るに敷きて身の熱と為る。
注に至りては則ち已に深し、体に重く、節に痛む。
経に行きて又盛んなり、喘咳と寒熱を為す。入る所に於いて深し、而して極まり氣逆して亦た泄する也。

■原文
所出於井浅而微也。満于心下氣之輕也。及其流而為榮敷而為身之熱。
至於注則已深重乎體、痛乎節。
行於經而又盛、為喘咳與寒熱。深於所入而極氣逆而亦泄也。

『難経古義』では陽気を主とした病理観を説く

『難経古義』では病症説明について陽気を主体とした病理を展開している点が秀逸である。
井穴は東方木の性質をもつため陽気開発を主る。各経の陽気が開き発する動きを失えば、邪気となって鬱する。その結果、心下満などの症状が現れるという。
栄経合も同様に「陽気遍満」「陽気下降」「陽気閉蔵」の性質を挙げ、その気の動きの失調が各症の病因になるという。

『難経古義』六十八難(1760年 加藤俊丈・滕萬卿)

按に、五兪の主治、豈に此れら数証に止まんや!是、その要となる者を挙ぐ。
所謂(いわゆる)井は東方木と為す。則ち陽氣開発を主る。その心下満は乃ち各経に邪鬱することを知る。故に之を発する。
栄は南方火と為す。則ち陽氣遍満を主る。その身熱は乃ち陽邪の偏盛なるを知る。故に之を泄す。
兪は中央土を為す。則ち過不及無きを主る。その体重節痛する者は、中氣不和の致す所。故に之を和す。
経は西方金を為す。則ち陽氣下降を主る。その喘咳寒熱する者は、これ陽氣の降を失いて陰氣と交争す。故に之を収むる。
合は北方水を為す。則ち陽氣閉藏を主る。その逆氣而泄する者は、これ陽その根に帰らずして下虚す。故に之を止む。
凡そ諸々井栄は皆な春夏に属す、故に行鍼の道は専ら発泄を主る。
経合は皆な秋冬に繋る、則ちその施治も亦た収藏を主る。
兪原はその中間に在り。共に三焦の過ぎる所を為す。則ち諸々経氣をして過不及の差を無さしむる。
此の篇は前の諸論に因りて、結びに主治法を以てす。
此の下の諸篇は皆、鍼家補瀉の法を論ず。

■原文
按五兪主治豈止此數證。是擧其要者。
所謂井為東方木、則主陽氣開發。其心下満、乃知各経邪欝。故發之。
榮為南方火、則主陽氣遍満。其身熱、乃知陽邪偏盛。故泄之。
兪為中央土、則主無過不及。其體重節痛者、中氣不和之所致。故和之。
経為西方金、則主陽氣下降。其喘咳寒熱者、是陽氣失降、而陰氣交争。故収之。
合為北方水、則主陽氣閉藏。其逆氣而泄者、是陽不歸其根、而下虚。故止之。
凡諸井榮皆属春夏、故行鍼之道専主發泄。経合皆繋秋冬、則其施治亦主収藏。
兪原在其中間、共為三焦之所過、則使諸経氣無過不及之差。此篇因前諸論、結以主治法。
此下諸篇皆論鍼家補瀉之㳒。

また易水派の医家である王好古(王海蔵)は六十八難を基に地元図なる鍼法を展開している。(『天元図・地元図』および『天元図・地元図ふたたび』を参考にされたし)

鍼道五経会 足立繁久

難経 六十七難 ≪ 難経 六十八難 ≫ 難経 六十九難

原文 難経 六十八難

■原文 難経 六十八難

六十八難曰、五藏六府、各有井榮兪経合。皆何所主。

然。
経言、所出為井、所流為榮、所注為兪、所行為経、所入為合。
井主心下満、榮主身熱、兪主體重節痛、経主喘咳寒熱、合主逆氣而泄。
此五藏六府、其井榮兪経合、所主病也

六十八難に関しては視点を変えた考察も必要かもしれない。

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