栄衛の刺法の集大成-難経七十三難-

栄衛に対する刺法まとめ

春夏と秋冬における浅層・深層に対する刺法(七十難)
栄気層と衛気層に分けた刺法(七十一難)
経脈の往来に言及しつつ表裏・内外の調気方(七十二難)

と、表現や視点を変えながらも、七十難~七十二難にかけて一貫して栄衛に対する刺法指南が続きました。

本難七十三難では、井・栄に対する刺法を説くことでやはり栄衛について説かれていると読みとれます。
この難はある意味、七十難~七十二難の集大成ともいえる内容なのです。

『難経本義』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。

書き下し文 難経七十三難

七十三難に曰く、諸々の井穴は、肌肉浅薄、氣少なく不足せしむ也。
これを刺すこと奈何?
然り。
諸々の井穴は木也。栄穴は火也。
火は木の子。
當に井穴を刺す者は、栄穴を以ってこれを瀉すべし。故に経に言う、
補するは以って瀉と為す可からず。
瀉するは以って補と為す可からず。
此れこの謂い也。

井穴の特性とは?

七十三難の主役は井穴だと言えるでしょう。
本難では末梢経穴の性質を次のように述べています。
「肌肉は浅く薄く、気は少なく不足しやすい」
と、このように井穴の構造上の(解剖学的な)説明から、気の性質について説かれています。
この説明は一理あると思います。

しかし「気少なく不足しやすい」とは言いますが、
井穴の存在する指先は感覚的に最も優れた部位のひとつです。

言い換えれば、気の働きは随一の部位であると言えるのです。
「気が少なく不足しがち」な場所と言い切るには少々無理があります。

となると、不足する気の種類・タイプを考察すべきです。

「陽は気を四末に受ける(陽受気於四末)」(『霊枢』終始篇)にもあるように、
また同様に「四肢は陽気の本(四肢為陽気之本)」(張介賓や張志聡の言葉)というように、
四肢・四末・末梢は本来陽気の盛んな部位でもあるのです。
ましてや井穴はその際たる部位です。

井穴にはどんな鍼法が向いている?

つまり井穴に於いて不足する気とは、陰気・栄気であることが考えられます。
「肌肉浅薄」という言葉もこのことを示していると言えるでしょう。
肌肉の層が薄いということは経脈層が薄いということでもあります。

となれば脈内を行く栄気は相対的に少なくなるのも当然と言えるでしょう。
以上のように考えると、井穴(末梢)は衛多栄少の経穴であることが分かります。(但し、病的な状態では例外あり)

言い換えると、井穴は毫鍼を刺して栄気を操作するには、その栄気が少ないため不向きな穴なのです。
となると、少しでも栄気の多い(=肌肉層の厚い)経穴を選び刺鍼するのは当然の流れといえるでしょう。

本難の後段では五行理論に従い栄火穴を瀉すことで、井木穴にアプローチする記述があり、六十九難を髣髴とさせるのですが個人的には七十難・七十一難、そして七十二難の流れを受けた刺法として書かれた難でもあると解釈しています。

本難の内容をもう一度まとめてみましょう。

七十三難の疑問

①肌肉層の薄い経穴は気少(衛多栄少)である。
②そのため刺鍼は不向き。特に毫鍼の瀉は不適である。
③となれば肌肉層の厚い下流の経穴に刺鍼する。
と、ここまでが以上までの話。

しかし、疑問に残る点があります。

「何故わざわざ下流の経穴(井穴ではなく栄穴)を選穴し刺鍼するのか?」
「衛多栄少であれば、七十一難の刺法のように鍼を臥せ浅層へのアプローチで良かったのでは?」
「毫鍼で刺さなくても、鍉鍼などのいわゆる接触鍼で良かったのでは?」

という疑問が浮かんでくることでしょう。
しかし、ここで提示されている刺法は七十二難に残るモヤモヤへの一つの解でもあると思うのです。

七十二難で残るモヤモヤ感は「迎随とは、栄衛の流行、経脈の往来を知る也。」というフレーズにあります。
「栄衛」と言いながらも「経脈の往来を知る」ことである…という矛盾を抱えた解というか、答えの半分しか教えていないと思うのです。

なぜなら、栄気の定義は「脈内を行く気」。ですから経脈を調えることで調気することは可能です。
しかし衛気は「脈外を行く気」ですから、経脈の往来とは関係ありません。
となれば暴れん坊・風来坊(剽疾滑利)の衛気に対してはどのような鍼法でコントロールしたらよいのでしょう?

その答えが本難の「肌肉浅薄、気少不足使也。」をキーワードとした井穴と栄穴への刺法なのです。

もう少し具体的に書きましょう。
井穴は衛多栄少、栄穴は衛少栄多の代表穴として七十三難では採用されています。
両者の穴における栄衛の偏差を調整することで調気を行うのです。

これが本難の締めの言葉、「補する者は瀉を以てすべからず」「瀉する者は補を以てすべからず」に繋がります。
衛気を補するには衛氣を瀉さず、栄気を瀉して相対的に衛気多にすることで衛気を補います。
衛気を瀉するには衛氣を補さず、栄気を補して相対的に衛気少とすることで衛気を瀉します。

余談ですが、補瀉の話ですので、七十一難の「栄気を刺すには衛気を傷ること無く、衛気を刺すには栄気を傷ること無き也。」という言葉に抵触しない鍼法であるのは言うまでもありません。

また七十三難の通例の五行的な解釈。
五行のキーワード「井木穴、栄火穴、火は木の子」から、井穴・栄穴・合穴を用いた補瀉法を否定するものではありません。

しかし、七十難~本七十三難の一連の文意をみるに、
七十難と七十一難では、栄衛を縦でみた刺鍼法を説き、
七十二難では経脈の往来という横からみた栄衛を説いています。
そして本難七十三難も同様に井栄という横の観点から見つつも、栄衛の偏差を調気するという鍼法も可能ではないかと考察して、私は実際に治療に応用しています。

 

鍼道五経会 足立繁久

■原文 難経七十三難

七十三難曰、諸井者、肌肉浅薄、氣少不足使也。刺之奈何?
然。
諸井者木也。榮者火也。火者木之子。
當刺井者、以榮瀉之。故経言、補者不可以為瀉。瀉者不可以為補。
此之謂也。

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