正経自病と五邪 難経四十九難

難経四十九難のポイント

難経四十九難には「正経自病」と「五邪」について書かれています。『難経』の特徴の一つは五行をベースとした治病観です。
五行を基に病を分類する上で、五邪そして正経自病を理解しておくことは必須です。

それでは四十九難本文を読みすすめてみましょう。


※『難経本義』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

難経 四十九難の書き下し文

書き下し文・難経 四十九難

四十九難に曰く、正経自ら病むこと有り、五邪に傷れる所有り、何を以て之を別たん。
然り。経に言う、憂愁思慮するときは則ち心を傷る。
形寒え冷を飲むときは則ち肺を傷る。
恚怒し氣逆上して下らざるときは則ち肝を傷る。
飲食労倦するときは則ち脾を傷る。
湿地に久坐し強力して水に入るときは則ち腎を傷る。
是れ正経の自ら病む也。

何を五邪と謂う。
然り。中風有り、傷暑有り、飲食労倦有り、傷寒有り、中湿有り。
此れ之を五邪と謂う。

仮令(たとえば)、心病は何を以て中風これを得たと知るか?
然り。其の色は當に赤なるべし。
何を以て之を言うや、肝は色を主る。
自ら入りて青と為し、心に入りて赤と為し、脾に入りて黄を為し、肺に入りて白と為し、腎に入りて黒と為す。
肝は心邪と為する故に當に赤色なるべしと知る也。
其の病、身熱し、脇下満痛す。
其の脈、浮大にして絃(弦)。

何を以て傷暑これを得たりと知るか?
然り、當に臭を悪むべし。
何を以て之を言うや、心は臭を主る。
自ら入りて焦臭を為し、脾に入りて香臭と為し、肝に入りて臊臭と為し、腎に入りて腐臭と為し、肺に入りて腥臭と為す。
故に心病、傷暑これを得たりと知る也、當に臭を悪むべし。
其の病、身熱して煩し心痛む。
其の脈、浮大にして散。

何を以て飲食労倦これを得たりと知るか?
然り、當に苦味を喜ぶべし也。
虚すれば食すること欲せざると為し実すれば食せんと欲するを為す①。(他の臭、声音も同様であろう)
何を以て之を言うや、脾は味を主る。
肝に入りては酸と為し、心に入りては苦を為し、肺に入りて辛と為し、腎に入りて鹹と為し、自ら入りいて甘を為す。
故に脾邪、心に入りて苦味を喜ぶを為す也。
其の病、身熱して体重く、臥することを嗜み、四肢は収せず。
其の脈は浮大にして緩。

何を以て傷寒これを得たりと知るか?
然り、當に譫言妄語するべし。
何を以て之を言うや、肺は声を主る。
肝に入りて呼を為し、心に入りて言を為し、脾に入りて歌と為し、腎に入りて呻を為し、自ら入りて哭と為す。
故に肺邪、心に入りて譫言妄語するを為すと知る也。
其の病、身熱して洒洒悪寒す、甚しきときは則ち喘咳す。
其の脈、浮大にして濇。

何を以て中湿これを得たりと知るか?
然り、當に喜(しばしば)汗出でて止むべからず。
何を以て之を言うや、腎は湿を主る②
肝に入りて泣と為し、心に入りて汗と為し、脾に入りて液と為し②’、肺に入りて涕と為し、自ら入りて唾と為す。
故に腎邪、心に入りて汗出でて止べからずと為す也。
其の病、身熱して小腹痛み、足脛寒して逆す。
其の脈は沈濡にして大③

正経自病とは?

正経自病の病症は『霊枢』邪気臓腑病形第四にも類似の記述があります。(下記別枠に引用)
『霊枢』においては、臓・腑・経に病の起こる部位(病位)を分類して整理しています。
『難経』四十九難においては、臓に起こる病と、他所から伝わる病とに分けています。本位・本臓に起こる病を正経自病とし、他所から病伝する病を五邪としています。

正経自病は内より生じる病であり、本文通りに読むと臓を病位とします。陰であり、裏であるという性質が強い病ともいえます。
対する五邪は他所から乗じる病です。さらに加えるならば、虚に乗じて他邪が侵入する病伝だと言えます。

但し、脾に関しては正経自病の発端も五邪も共に「飲食労倦」です。
『難経集註』において虞庶先生はこのように解説しています。
「正経自病、亦た言う飲食労倦は脾を傷る。今、五邪も亦た言う飲食労倦と。正経を病むは正経の虚して、又 飲食に傷れるを謂う。五邪の病は食飲の脾を傷りて病を致すを謂う也。(正経自病、亦言飲食勞倦傷脾、今五邪亦言飲食勞倦。正経病謂正経虚、又傷飲食。五邪病謂食飲傷於脾而致病也)」と。
虞庶の説くように、正経自病は臓を病位とする病であるだけに、本の虚がなければ発症しにくい(できない)ものです。内から発するか、外から侵入するか?の違いとして虞庶の説明は分かりやすいと思います。

衍文か否か

下線部①「虚すれば食さんと欲せず、実すれば食さんと欲す(虚為不欲食、實為欲食。)」
この文は滑伯仁は『難経本義』において「(他の文にはこのような記載がないため)衍文である」としています。それを受けて『難経本義諺解』(岡本一抱 著)、『難経本義大鈔』(森本玄閑 著)も同様に衍文説を採用しています。

しかし他の文には無くとも、そもそも脾における正経自病と五邪は特殊です。他臓には無い文章が付加されていても何ら不思議なことではありません。

『難経経釈』(徐霊胎 著)では滑伯仁の説とは全く逆の評価です。「虚するときは則ち脾氣は穀を化すること能わず、実するときは則ち尚(なお)能く穀を化する。故に能食・不能食の分有り。蓋し風寒暑湿は其の氣殊ならず。故に虚実の弁無し。若し飲食労倦すれば、病因各々殊なる、故に越人は此れら二語の義、最も精細に著す。(原文 虚則脾氣不能化穀、實則尚能化穀。故有能食不能食之分。蓋風寒暑濕、其氣不殊。故無虚實之辨。若飲食勞倦、病因各殊、故越人著此二語義最精細。)」としています。

まず虚実の話から能食と不能食について説きつつも「風寒暑湿はその気異ならず」としています。これは心病に入る「中風・傷暑・傷寒・中湿」のことを言っており、外邪という言葉で一括りにすると、これら外邪の侵襲による正気のリアクションは共通しています。
よってこれら風寒暑湿の記述には虚実に関する情報がありません。しかし飲食労倦は違います。分かりやすいのが労倦です。虚労として言い換えると、虚証であると理解しやすいです。一方、飲食はどうでしょう?
上記引用の虞庶先生が註のように、飲食で傷られる場合、脾胃の虚がベースにあることを考慮すべきです。この虚の程度により、虚証・実証どちらにも転じる可能性があります。そしてベースに脾胃の虚を考慮しない五邪の場合、飲食という物を胃腑に放り込むわけですから大抵の場合、実証になると考えることも可です。このことを指して「病因各々殊なる」と言っているのでしょう。
よって虚実に関する文が、単に“他の文には無いから”という理由だけで衍文として片づけてしまうのは勿体ないないなと思う次第です。

また『難経評林(鍥王氏秘傳圖註八十一難経評林徢径統宗)』(王文潔 著)ではこのような意見があります。
「然るに、味の苦を喜ぶ者は、當に其れ虚は不能食、実は能食の分の有ることを知るべし。(■原文 然、喜味之苦者、當知其有虚不能食、實能食之分焉。)
「唯(ただ)脾味は心に入りて苦と為す。其の証は苦味を喜ぶ也。但(ただ)食すると食せざるは虚と不虚に係るのみ。(■原文 唯脾味入心為苦、其證喜苦味也。但食與不食、係乎虚與不虚耳。)

つまり、能食・不能食は食事全般を指しているのではなく、苦味に対する能食・不能食を言っているのだとしています。
この解釈はなるほどです。脾の邪(土邪)が心に乗じ「土尅火」となった場合、脾の影響により味覚に変化があらわれます。心に入ったため、変調は苦味としてあらわれますが、妙に苦味を欲する、もしくは苦味を拒絶する(當喜苦味也。虚為不欲食、實為欲食。)という異常が見られるというのも文脈上、違和感はありませんね。
この解釈を推し広げると、心火の臭いや肺金の聲にも適用できそうです。

腎は五液を主る

下線部②「腎は湿を主る」に違和感を覚えます。また同様に下線部②’「入脾為液」という記載にも違和感を覚えますね。

セオリーでいえば「腎主液」であり、脾の液は涎であるはず。しかし、この四十九難の病では「腎は湿を主る」とし「脾に入りて液と為す」となっています。これはどういう意味でしょうか?

一つの可能性として、土と水(脾土が腎水)病の特殊性を示しているのではないか?ということです。この特殊性を示す記述は下線部③にも見られますが、これについては後述します。

さて、腎の水邪が脾土に乗じた場合、水乗土で土尅水の逆パターンすなわち相侮の関係になります。

脈の記載順序には意味がある

上記と同じ観点から、下線部③「其の脈は沈濡にして大」の表記にも注目してみましょう。
これまでの脈証の記載は「浮大にして●●(浮大而●●)」という記載でした。それが一転して「沈濡にして大脈(沈濡而大)」となっているのです。

この脈の表記の意味するところは、心火が水邪に乗じられただけではなく、その脈位を奪われた表現をしています。
この脈はあくまでも心病をベースにした上で、中湿(腎邪水邪)が心病に乗じた設定であり、病症も心液である汗を主とし、「身熱」を基軸に各病症が付加されています。
しかし、脈証で深刻な脈位の逆転が起こっているということを示唆しています。
ここで五行的にみると、やはり相尅関係(賊邪)に注目すべきであると考えられます。ここでの相尅は水尅火です。

では相尅関係なら、すべてこのような特殊なケースに該当するのか?というとそうでもありません。

木剋土(肝主色…入脾為黄)
火剋金(心主臭…入肺為腥臭)
土尅水(脾主味…入腎為鹹)
金尅木(肺主聲。入肝為呼)
水尅火(腎主濕…入心為汗)※脈証にイレギュラーな記載有

土乗木(脾主味。入肝為酸)
金乗火(肺主聲…入心為言)
水乗土(腎主濕…入脾為液)
木乗金(木主色…入肺為白)
火乗水(心主臭…入腎為腐臭)

として、水尅火と火乗土のみにイレギュラーな記載が見られます。この水と火の相尅関係と、水と土の相侮関係は特に警戒すべし!といったメッセージを感じる次第です。

水(腎膀胱)が土(脾胃)を尅傷するということは非常にシビアな状態です。なにしろ先天の氣を主る腎と後天の氣を主る脾胃が不和を起こすのですから。
そして水と火の関係も然りです。
坎水と離火は健全に交流すべきあり、両者の交流に齟齬が生じると重篤な病、両者の交流が破綻すると“死”なのです。

『霊枢』邪気臓腑病形第四 引用

「黄帝曰く、邪の人の藏に中ること奈何?
岐伯曰く、愁憂恐懼すれば則ち心を傷る。
形寒、寒飲すれば則ち肺を傷り、その両寒相い感じて、中外皆な傷れる。故に氣逆して上行す。
堕墜する所有りて、悪血は内に留まる。若し大怒する所有りて、氣上りて下らず、脇下に積するときは則ち肝を傷る。
撃仆する有り、若し酔いて房に入りて、汗出で風に當(あた)れば、則ち脾を傷る。
力を用い重きを挙げる所有り、若し房に入ること過度にして、汗出て水を浴びれば則ち腎を傷る。
黄帝曰く、五藏の風に中ること奈何?

■原文

黄帝曰、邪之中人藏奈何?
岐伯曰、愁憂恐懼則傷心、形寒寒飲則傷肺、其両寒相感、中外皆傷、故氣逆而上行。
有所堕墜、悪血留内。若有所大怒、氣上而不下、積於脇下則傷肝。
有撃仆、若酔入房、汗出當風、則傷脾。
有所用力挙重、若入房過度、汗出浴水則傷腎。

黄帝曰、五藏之中風奈何?」

鍼道五経会 足立繁久

難経四十八難 ≪ 難経四十九難 ≫ 難経五十難

原文 難経 四十九難

■原文 難経 四十九難

四十九難曰、有正經自病、有五邪所傷、何以別之。
然。経言、憂愁思慮則傷心。
形寒飲冷則傷肺。
恚怒氣逆上而不下則傷肝。
飲食勞倦則傷脾。
久㘴濕地強力入水則傷腎。
是正經之自病也。何謂五邪。
然、有中風、有傷暑、有飲食勞倦、有傷寒、有中濕。
此之謂五邪。

假令、心病何以知中風得之。
然、其色當赤。
何以言之、肝主色。
自入為青、入心為赤、入脾為黄、入肺為白、入腎為黒。
肝為心邪、故知當赤色也。
其病身熱、脇下満痛。其脉浮大而絃。

何以知傷暑得之。
然、當悪臭。
何以言之、心主臭。
自入為焦臭、入脾為香臭、入肝為臊臭、入腎為腐臭、入肺為腥臭。
故知心病傷暑得之也、當悪臭。
其病身熱而煩心痛。其脉浮大而散。

何以知飲食勞倦得之。
然、當喜苦味也。虚為不欲食、實為欲食。
何以言之、脾主味。
入肝為酸、入心為苦、入肺為辛、入腎為鹹、自入為甘。
故知脾邪入心為喜苦味也。
其病身熱而體重嗜臥、四肢不収。其脉浮大而緩。

何以知傷寒得之。
然、當譫言妄語。
何以言之、肺主聲。
入肝為呼、入心為言、入脾為歌、入腎為呻、自入為哭。
故知肺邪入心為譫言妄語也。
其病身熱洒洒悪寒、甚則喘咳。其脉浮大而濇。

何以知中濕得之。
然、當喜汗出不可止。
何以言之、腎主濕。
入肝為泣、入心為汗、入脾為液、入肺為涕、自入為唾。
故知腎邪入心為汗出不可止也。
其病身熱而小腹痛、足脛寒而逆。其脉沈濡而大。

 

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