診家宗法『診家枢要』より

『診家枢要』シリーズも最後

早稲田大学の古典籍データベースや他の資料では『診家枢要』の診家宗法の続きがあるようですが、まずは一旦ここまでとさせていただきます。

診家宗法
按ずるに、この篇、六条を列する所、即ち予、位、数、形、勢の義也。

浮沈
挙按の軽重を以って言う。
浮の甚しきは散と為り、沈の甚しきは伏と為す。

遅数
息至の多少を以って言う、数の甚しきは疾と為し、数の止は促と為す。

虚実洪微
虧盈を以って言う。
虚は以って芤濡を統べ、実は以って牢革を該ね、微は以って弱を括る。

弦緊滑澀
体性を以って言う、弦の甚しきは緊と為し、緩の止は結と為し、結の甚しきは代と為し、滑は以って動を統べる。

長短
部位の過不及を以って言う。

大小
形状を以って言う。(早稲田本では「脉象歌」を挟む)

諸脈も亦これを統べるに宗有り歟。
蓋し以ってみるに対待を相い為す者は、以って見わすに曰く陰、曰く陽、表と為し裏と為し、必断断然たらず。
七表八裏九道、昔人の如しと云々也。
『素問』、仲景の書の中論脈の處を観て、尤も象を取るの義を見わすべし。
今の脈を為す者は、能くこれを以ってこれを観る、思い半ばに過ぐ。
於呼(ああ)。脈の道の大いなる矣、而してこれを以ってこれを該ねんと欲せば、一を挙げて百を廃するに幾かにせず歟。

殊に知らず至微なる者は理也、至著なる者は象也。
体と用は一源であり、顕と微には間無し、その理を得るときは則ち象を得て推するべし!
これ脈や、これを陰陽対待統系の間に求むるときは、則ち源を啓きて流れに達す。此れに因りて彼を識らば、遺策無し!

前の章「脈陰陽類成」では30種の脈に展開し、各脈象について詳解されました。

この診家宗法では一転して収束し、六条「浮沈・遅数・虚実洪微・弦緊滑濇・長短・大小」にまとめています。
「挙按の軽重」「脈至(脈数)」「脈の盈虧」「脈の体性」「脈の部位(寸関尺といった脈位)」「脈の形状」といったように、滑伯仁が提唱する脈の六要素といったところでしょうか。

脈診書をこのように読んでいくと、ただ脈象を列記しているのではなく、系統立てて脈の理を述べていることが多いに伝わってきます。
以前、紹介した『切脈一葦』もそうでした。また浅田宗伯先生も脈を系統立て、分類した上で脈理を説いています。
このように優れた臨床家・脈診家は主観と客観をうまく機能させる観点をもっているように感じます。

主観と客観(または無形と有形)という対比の言葉を挙げましたが、本文では体と用、象と理といった言葉が記されています。
私は自身の講座では、脈理を重視して指導するようにしています。この姿勢は『診家枢要』シリーズにもかなりにじみ出ていたと思います。

脈診を学ぶ人はどうしても形に拘る傾向が強いです。
「弦脈ってどんな脈ですか?」
「これは滑脈ですか!?」
「濇脈の感触がわかりません…。」など、脈の形に一喜一憂してしまうのですね。

しかし忘れてはいけません。
脈診で知り得たいのは、現れる脈象の向こう側のストーリーなのです。これを脈理として表現しても良いのではないかと思います。
脈診は体の中の変化や心身の動きを知るための手段です。(基本の段階では)
しかし往々にしてありがちですが、手段が目的になってしまうこと、ここに気をつけないといけません。
滑脈や濇脈が分かったとして、短絡的な思考では治療に結びつきません。
弦脈=気滞、濇脈=血虚といった断片的表層的な知識では、本質的な問題を解決することはかなり難しいのです。

現象として現れる脈象とその背景に垣間見える脈理、この両者を深く理解することが、深い人間理解や生命の営みとその理を追窮する姿勢になるのだと思うのです。

ジブリ絵から陰陽を学ぶ ☆ー最終回ー

ジブリ絵で脈診を考えるシリーズも今回で一旦区切りです。
脈診とジブリ絵、全く趣きの異なる組合わせでしたが、これが意外と勉強になるのですね。
「脈をジブリ絵で表現すると…」などは、古人が表現した「初春の楊柳が風に舞うの象の如し」や「病の蚕が葉を食べるが如し」と同じではないか?とも思えるくらいでした。

さて、今回のジブリ絵は下の二枚のイラスト。おなじみの『となりのトトロ』から引用です。

記事解説に主観と客観といった対比をしましたが、私たちが住む世界には無形と有形の存在があります。
無形と有形、主観と客観、気と形、陽と陰、学と術・・・このような対比を挙げるとキリがありません。

しかし、鍼灸師はどの職業よりも、この陰陽・有形無形の間にいて、自在に往来できるハズなのです。
氣と形、気と血、経絡と臓腑・・・と自在に観点をずらしては、また焦点を当て、かつ並行して診断できないと東洋医学の治療は難しいものがあります。
この主観と客観の間にあるとき、理想の鍼ができるのでは!?と考えたときもありましたが(笑)
関連記事「理想の鍼とは何ぞや?夢と現の間の鍼」


※イラストはスタジオジブリの作品静止画より引用させていただきました。

『となりのトトロ』にある「皆に見える世界」と「周りの皆には見えない世界」がある。
どちらも大切なもの、ということを映画『となりのトトロ』で多くの人が感じているのではないだろうか?

鍼道五経会 足立繁久

以下に原文を付記しておきます。

■原文 診家宗法

診家宗法(按、此篇所列六条、即予位、数、形、勢之義也。)

浮沈。以挙按軽重言、浮甚為散、沈甚為伏。
遅数。以息至多少言、数甚為疾、数止為促。
虚実洪微。以虧盈言、虚以統芤濡、實以該牢革、微以括弱。
弦緊滑澀。以体性言、弦甚為緊、緩止為結、結甚為代、滑以統動。
長短。以部位之過不及言。
大小。以形状言。

(早稲田本では「脉象歌」を挟む)

諸脉亦統之有宗歟。
蓋以相為対待者、以見曰陰曰陽、為表為裏、不必断断然七表八裏九道、如昔人云云也。観『素問』、仲景書中論脉處、尤可見取象之義、今之為脉者、能以是観之、思過半矣。於呼。脉之道大矣、而欲以是該之、不幾于挙一而廃百歟。殊不知至微者理也、至著者象也、体用一源、顕微無間、得其理、則象可得而推矣。是脉也、求之于陰陽対待統系之間、則啓源而達流、因此而識彼、無遺策矣。

 

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