三十一難では水穀の道路としての三焦を学ぶ

難経 三十一難のみどころ

先の三十難では栄衛相随が一つのテーマであった。そして本難三十一難では三焦がテーマとなる。一見関係のなさそうなテーマにみえてその実、絶妙に繋がっていることに『フーム…』と思わず感嘆の声が出る三十難と三十一難である。

『難経』における三焦論の首編がこの三十一難である。本難では三焦を上中下の三区分とし、それぞれの機能を指定している。機能という点では、三焦を「水穀の道路」と定義づけてしまっているが『ホントにそれでいいのか!?』とハラハラさせられる内容でもある。視点が変われば『難経』とはこんなにスリリングなものなのか!?と思う次第。


※『難経本義』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

難経 三十一難の書き下し文

書き下し文・三十一難

三十一難に曰く、三焦とは水穀の道路、氣の終始する所なり。

上焦は心下下膈に在り胃上口に在る。内(い)れて出ださざるを主る。其の治は膻中に在り。玉堂の下一寸六分、両乳の間に直し陥する者是也。
中焦は胃中脘に在り、上ならず下ならず、水穀を腐熟するを主る。其の治は臍傍に在り。
下焦は膀胱上口に当り、清濁を分別するを主る。出でて内れざるを主る。以て伝導す也。其の治は臍下一寸に在り。

故に名を三焦と曰う。其の府は氣街に在り、一本曰衝。

三焦は水穀の道路

「三焦は水穀の道路である」といきなり定義している。まずこの定義は難経における三焦論の前提として認識しておく必要がある。そして「気の終始する所」という表現が心ニクイ。しかし「気の終始する所」について後述しよう。

まずは上焦・中焦・下焦の区域とその機能についてである。この点に関しては『霊枢』栄衛生会第十八に共通する三焦観である。

『霊枢』営衛生会の言葉(上焦出於胃口……常與営俱行於陽二十五度、行於陰亦二十五度、一周也。)にある通り、上焦が関与する氣は衛気である。
同じく営衛生会にある「中焦亦並胃中……此此所受氣者、泌糟粕、蒸津液、化其精微、上注於肺脈。乃化而為血。以奉生身。莫貴於此。故独得行於経隧、命曰営氣。」との記述より、営気(栄気)を担当しているのは中焦である。

「気の終始する所」について、営衛両氣の“始め”に関して三焦は確かに関与している。では氣の“終わり”に関してはどうか?
本文には「不上不下」「内而不出」「出而不内」という言葉もあるが、これは栄衛というよりも水穀の道路という位置や機能を指している。

となれば、残る情報は三焦の「治」と「府」だ。この「治」或いは「府」を以て、氣の“終わり”としたのか…とも考えられる。

上中下の各焦における「治」は本文にある通り、「膻中」「臍傍」「臍下一寸」である。これらの要所、言い方を変えれば急所に各焦の「治」がある。
次に「府」である。「その府は気街に在り(其府在氣街)」という言葉もまた意味深である。“府”とは人や物が集まる所、また宝物などを収める場所を表し、“街”は大きな道が交差する様を示す漢字である。
気の終始する所であり諸氣の生じる三焦の府が「氣街」であるということは、多くの人にとってよく分からないながらも違和感のない言葉ではないかと思える。

しかし非凡な滑伯仁にとっては白黒ハッキリさせたいようで『難経本義』においてこのような疑問を述べている。

『難経本義』

「……愚按ずるに「其府在氣街」の一句、疑らくは錯簡或いは衍ならん。三焦は自ら諸腑に属す、其の経は手三焦と為し手心主とに配する。且つ各々治る所有り、応(まさ)に又腑有るべからず。……」

■原文「……愚按、其府在氣街一句、疑錯簡或衍。三焦自屬諸府、其経為手三焦與手心主配。且各有治所不應又有府。」

滑伯仁の言うには、まず三焦そのものが腑のひとつである。そしてその経脈は手少陽三焦経であり、手心主(心包経)と表裏関係にある。上中下焦の各部に治所も既に揃っているのに。さらに「府は氣街に在り」など別の腑があるなんておかしいじゃないか…という趣旨の疑問であろう。
確かに三十八難には三焦の府について「其経屬手少陽。此外府也」とあるように、三焦の外府は手少陽経であるとしている。『これ如何に?』と疑問に感じる滑伯仁の気持ちも分からないでもない。

しかし滑伯仁の疑問よりも彼の『難経本義』において次のような言葉を引用しており、こちらの方が重要である。

『難経本義』

「……古益の袁氏が曰う、所謂(いわゆる)三焦とは鬲膜脂膏の内、五臓五腑の隙、水穀流化の関に於いて、その氣はその間に融会し、鬲膜を熏蒸し、皮膚分肉に発達し、四旁に運行す。上中下と曰うは、各々属する所の部分に随いて之を名づく、これ元氣の別使なり。是故にその形無きと雖も、内外の形に倚りて名を得、其の実無きと雖も内外の実に合して位を為す者也。……」

■原文「……古益袁氏曰、所謂三焦者、於鬲膜脂膏之内、五藏五府之隙、水穀流化之関其氣融會其間、熏蒸鬲膜、発達皮膚分肉、運行四旁。曰上中下、各随所屬部分而名之、是元氣之別使也。是故雖無其形、倚内外之形而得名。雖無其實合内外之實而為位者也。」

この袁氏の言葉は味わい深いものがある。
特に「五臓五腑の隙」とはなるほど記憶に残る表現である。「鬲膜脂膏」に囲まれた区画の中で「五臓五腑の隙」を埋めるように存在し「水穀流化の関」という重要な機能を果たす。まさに名有りて形無し(有名而無形)の条件を満たす三焦観である。

これはまさに生命にとっては要といえる存在である。

この空隙を埋める存在こそが生命にとって必須の存在であり、まさに氣の概念そのものである。

これは一元的にみれば氣であり、二元的にみれば水であり火である。水と火としてみた場合、三焦ほど適任である腑は他にない…と感嘆するばかりである。ちなみに『五行大義』では三焦は水府としても定義されている。(『五行大義』巻三には「三焦膀胱並為水之府」「三焦膀胱並是水府」とある)
これも水穀の道路でもあり、上中下焦がそれぞれ霧・漚・瀆の如し、と水になぞらえて譬えられている点もただの相火ではなく「水府」としての性質をもつことが理解できよう。

さてこの袁氏の語句を振り返ると、これはまさに「氣の終始する所」のうちの“終わる所”に相当する概念ではないだろうか。

勿論“終わる所”とはいっても「終始」であるゆえ、終わりて始まるのであるが、「鬲膜脂膏の内、五臓五腑の隙、水穀流化の関に於いて、その氣はその間に融会し、鬲膜を熏蒸し、皮膚分肉に発達し、四旁に運行す」という三焦の氣の始終がよく表現された言葉であると私は思う。

そして滑伯仁が「愚按、其府在氣街一句、疑錯簡或衍。」と挙げて疑問視した「氣街」の有りようが、皮肉にも滑伯仁自身が記した袁氏の引用文そのものであると感じる次第である。

しかし以上の三焦観をみるにつけ『難経』においては陰陽複数の三焦観を提示していると思わずにはいられない。ここがある意味混乱を招く一要因になっているのではないかと推測してもいる。
今後『難経』の三焦論を調べていくうちにこれにも答えが導き出せるかもしれないと期待している。

鍼道五経会 足立繁久

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原文 難経 三十一難

■原文 難経 三十一難

三十一難曰、三焦者水穀之道路。氣之所終始也。

上焦者、在心下下膈在胃上口。主内而不出、其治在膻中。玉堂下一寸六分、直両乳間陥者是也。
中焦者、在胃中脘不上不下、主腐熟水穀、其治在臍傍。
下焦者、當膀胱上口。主分別清濁。主出而不内。以傳導也。其治在臍下一寸。

故名曰三焦。其府在氣街、一本曰衝。

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