難経における栄衛-三十難-

栄衛を知ることの意義

栄衛の違いを知ることは栄気・衛気の性質を詳しく知ることである。
鍼の技術を向上させるには栄気・衛気を把握し、「どの気の層に鍼をするのか?」を意識することは必要な鍼治イメージである。
そのために衛気・栄気を理解しよう!というのが、本サイトで素問・霊枢・難経の論篇難を紹介している目的でもある。

さて難経三十難では衛気・栄気についてかなりコンパクトにまとめられている。コンパクトであるが、人体と氣の理解が深まる程に要点を抑えた内容だな…と唸らせる難でもある。


『難経本義』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。

書き下し文 難経三十難

書き下し文・三十難

三十難に曰く、栄気の行り、常に衛気と相い隨うや、しからずや?

然り。
経に言う、人は氣を穀に受く。
穀は胃に入りて、乃ち五臓六腑に伝與す。
五臓六腑、皆な気を受く。
その清なる者は栄と為し、濁なる者は衛と為す。
栄は脈中を行き、衛は脈外を行く。
栄は周りて息(や)まず。五十にして復た大会す。
陰陽相い貫きて、環の端の無きが如し。
故に栄衛相い隨うことを知る也。

栄衛は水穀に根ざす氣である

本難では、人体が何から気の供給を受けているのか?から始まる。これは次の三十一難に繋がる内容である。
次いで栄衛の性質、特に栄気の循環、そして栄衛両者の相随関係を示している。

栄衛と清濁については『霊枢』栄衛生会篇にある通りである。
栄気は臓腑を栄養するための清なる気である。『素問』痺論では「水穀の清氣」と表現されている。
臓腑を養うのは水穀の精微である故(痺論では「営者……和調於五臓、灑陳於六府」とも記される)、清なる気が栄気と位置付けられる。

ここで重要なことは栄気(営気)衛気ともに水穀の精微に受けるということである。言い換えると胃気に由来する気であるといえよう。

さて両気の流行範囲を確認しておく必要がある。
栄気は経脈中を行き、衛気は脈外を巡行する。
この両氣の流行する範囲は『素問』痺論篇、『霊枢』栄衛生会篇、そして『傷寒論』(※)に記される素霊難傷に一貫した衛気栄気観である。
※『傷寒論』太陽病中編:53)病常自汗出者、此為栄気和。栄気和者、外不諧、以衛気不共栄気諧和故爾。以栄行脈中、衛行脈外。復発其汗、榮衛和則愈。宜桂枝湯。

しかし『難経』では栄衛の関係について気になる表現を採っている。ここで栄衛相随について、詳しく考察してみたい。

栄衛相随とは

栄気衛気に関する記述は『素問』『霊枢』の各論篇に見受けられるが、この“栄衛相随”について触れている論篇として『霊枢』五乱が挙げられる。この五乱篇では栄衛(営衛)相随と栄衛相干について説かれており、栄気(営気)と衛気の関係について深く学ぶことのできる篇である。また導気や同精という鍼の術理についても触れられている。

さて栄衛相随について話は戻るが、この言葉は栄気と衛気が相い随いながら、それぞれの流域で人体を周流しているということを示している。
衛気と栄気の両者はその役割や位は異なれど、その本は一体であり、その様はさながら陰陽互根の関係のようであるとしている。

とはいえ、衛気栄気の両者が相随しながらも、互いにどのように影響(または干渉)しあっているのか?どこで交わっているのか?…などが気になるところであろう。
なぜなら、栄衛はその本は同じであるため、必ずどこかで交わり流合しているはず…と考えるのは不自然なことではないはずだ。

衛気と栄気はいつ?どこで交わる?

ここで難経一難を振り返ってみよう、栄衛の流れに関する記述がある。

『難経』一難

「……栄衛は陽を行ること二十五度、陰を行ること亦た二十五度、これを一周と為す也。故に五十度にして、復た手太陰に会する。……」

■原文「……榮衛行陽二十五度、行陰亦二十五度、為一周也。故五十度、復會於手太陰。」

これを記した扁鵲の真意は量りかねるが、違和感を覚える言葉である。なぜならこの表現は衛気の流行についての説明であるからだ。
そもそも栄気の流行は二十八脈(十六丈二尺)を一周回とし、それを一日に50周(八百十丈)を流れる。(『霊枢』五十営篇脈度篇
この『霊枢』の栄気(営気)の流行原則を考えると、この難経一難の文はずいぶんと衛気寄りの表現(というより衛気の流行原則そのもの)である。

さらに気になる言葉は「復た手太陰に於いて会する(復会於手太陰)」である。
手の太陰とは言うまでなく「寸口部」のことであり、脈会である太淵を思い浮かべる人も多いだろう。

しかし問題となるのは「栄衛の両気が手太陰にて再び会する」という趣旨の言葉である。この意味はかなり重要なものに感じるのは私だけであろうか。

『太素』(楊上善)は次のような言葉を残している。

『太素』巻十四 診候之一 人迎脈口診

「……胃は水穀の海を為す、六腑の長、五味を出して以て臓腑を養う。血氣衛氣は手太陰の脈を行き、氣口に於いて至る。五臓六腑の善悪は、皆是(みなこれ)衛氣の将(ひき)いて来たる所、手太陰に会して氣口に於いて見わる、故に“変見”と曰う也。……」

■原文「……胃為水穀之海、六腑之長、出五味以養藏府。血氣衛氣行手太陰脈、至於氣口。五藏六府善悪、皆是衛氣所将而来、會手太陰見於氣口、故曰變見也。」

この言葉は『素問』五藏別論篇の一節「是以五藏六府之氣味、皆出於胃、變見於氣口。」に対する註文であるが、衛気が血氣(営気)を将(ひきいる)ことで、手太陰の脈すなわち氣口・寸口に臓腑の病変が現れるとしている。寸口にて営気だけでんなく衛気も会するという立場をとる医家は他にもいる。明代の張景岳である。彼の書『類経』には以下の記述がある。

『類経』巻五 脈色類 診法常以平旦

「平旦とは陰陽の交わり也。陽は昼を主り、陰は夜を主る。陽は表を主り、陰は裏を主る。
凡そ人身における営衛の氣は、一昼一夜にて身を五十周する。昼は則ち陽分を行り、夜は則ち陰分を行る。平旦に迨至(至るまで)に、復た皆寸口に会する。
故に『難経』に曰く、寸口は脈の大会、五臓六腑の終始する所也。
営衛生会篇に曰く、平旦は陰が盡きて陽が氣を受ける。日中にして陽隴して、日西にして陽衰ろう、日入りて陽盡きて陰は氣を受ける。
口問篇に曰く、陽氣盡きて陰氣盛んなれば則ち目瞑す。陰氣盡きて陽氣盛んなれば則ち寤める。
故に診法は当に平旦初寤の時に於いてす。」

■原文「平旦者、陰陽之交也。陽主晝、陰主夜。陽主表、陰主裏。
凡人身營衛之氣、一晝一夜五十周於身。晝則行於陽分、夜則行於陰分、迨至平旦、復皆會於寸口。
故『難経』曰、寸口者脈之大會、五臓六腑之所終始也。
營衛生會篇曰、平旦陰盡而陽受氣矣。日中而陽隴、日西而陽衰、日入陽盡而陰受氣矣。
口問篇曰、陽氣盡、陰氣盛、則目瞑。陰氣盡而陽氣盛、則寤矣。
故診法當於平旦初寤之時。。」

「営衛の氣は…(中略)…平旦に、復た皆寸口に会する。」と記し、やはり営気と衛気が寸口にて会するという立場をとっている。

栄気(営気)は二十八脈を流行し、衛気陽分陰分を流行し、それぞれの氣がともに一日で五十周するという。その栄衛両氣が五十周回するときに寸口部にて大会するという説は、今後も考察すべき案件だと思う次第である。

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鍼道五経会 足立繁久

原文 難経三十難

三十難曰、榮氣之行、常與衛氣相隨不。
然。
経言、人受氣於穀。穀入於胃、乃傳與五藏六府。
五藏六府、皆受於氣。
其清者為榮、濁者為衛。榮行脈中、衛行脈外。
榮周不息。五十而復大會。陰陽相貫、如環之無端。
故知榮衛相隨也。

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